第3話 公爵令嬢、旅にでる
屋敷の混乱ぶりを目にして、愛する娘がすでに、ここにはいないことを悟った父ロイスは、書斎の椅子へ深く腰を落とした。
「グレイス……」
うな垂れたロイスが、額を手で覆ったとき。
「貴方、おかえりなさい」
やさしく慰めるように、肩に手を添えてきたのは、娘とおなじ淡紫の髪とターコイズブルーの瞳を持つ、妻シェリルだった。
妻の手をそっと取り、腰を抱き寄せたロイスの瞳から、とめどもなく大粒の涙があふれ出す。
「行ってしまったのか」
「ええ、手紙を預かっているわ。お願い、ロイス。どうか少しだけ、わたしたちの娘に、自由な旅をさせてあげて」
「わかっているよ。これまであの子はこの国のために……いったいどれだけの時間を犠牲にしてきたか。聖女になるため神聖皇国へ行き、大陸を守るために戦い……やっと家に帰ってきたというのに、少しも自由を与えてやれなかった」
ロイスの脳裏に、
『行ってきます。お父様、お母様、どうぞお元気で』
9歳で神聖皇国に旅立ったグレイスの小さな背中が蘇る。
生まれながらにして、溢れんばかりの神聖力を身に宿していた娘が、次世代の聖女候補になるのは必然だった。そして、だれよりも貴族の義務と責任を心得ていた娘は、文句ひとついわず、第一王子との政治的な婚約を受け入れた。
「それを、あのクソ野郎は! アレが王子でなければ、八つ裂きにしていた」
「よく我慢したわ。でも、ロイス……」
ターコイズブルーだったシェリルの瞳が、金色に輝きはじめる。
声色と口調も、一瞬にして変化した。
『ハリス・セイン・レブロンは、後悔するだろう。許しを乞い、許されず。絶望のまま、地に墜ちる。これは天地が逆さになろうと、けっして覆らぬ』
母であり、妻であり、先代の『預言の聖女』であるシェリルの言霊に、
「そうか、よかった。キミがいうなら、まちがいない」
ロイスは涙を拭き、ようやく顔を上げた。
◇ ◇ ◇
数日後――
ローゼンハイム公爵家をのぞく上位貴族たちは、国王ハインリヒの招集に応じ、円卓を囲んでいた。一様に厳しい表情で臨む貴族たちを見回したハインリヒは、重たい口を開く。
「残念でならぬが、我が愚息ハリスとローゼンハイム公爵令嬢の婚約解消を認めるしかない。これは……我が国の存立を揺るがしかねない事態であることは、皆も承知のとおりだ」
この決定に、きつく目をつぶる者、唇を真一文字に噛みしめる者。円卓は重苦しい空気に押しつぶされそうだった。
「浅慮で愚かな息子ハリスを、ただちに王太子の座から廃嫡させたいところだが、我にはハリスのほかに王女しかおらぬ。その王女はまだ1歳にも満たない幼子だ。よって、いますぐハリスを王太子から廃せば、周辺国に要らぬ懸念を抱かせることになる」
そのうえで国王ハインリヒは、苦渋の選択をした。
「花冠の聖女ダイアナの神聖力が、レブロンを加護できると証明されるまで、この件について口外することを一切禁ずる」
これにより、内情を知る貴族たちに緘口令が敷かれた。
「背いた家門の者たちは、国王令のもと、ローゼンハイム公爵より制裁が執行されるだろう」
死神の異名を持つ公爵閣下の名に、レブロン王国の貴族たちは全員、死んだ貝のように口をとじた。
☆ ☆ ☆
その頃――
グレイスは草原に寝そべり、青空の下で自由を謳歌していた。
最高だわ。久々に色々なことから解放されて、空気すらご馳走に感じてしまう。
紫と金の羽を広げた鳥が1羽、空高く飛んでいく。
「さて、ルートはどうしようかな。どちらにせよ、ルイーザのいる魔法連邦に行くのは絶対外せないとして……まずは西側から各地を巡って、封印と浄化の様子を確認するのに
4年前、魔神アバドーサの襲来で、壊滅的な被害を受けた西側諸国は、どこまで活気を取り戻しているだろうか。グレイスの頭のなかには、西海に面した各地の絶品魚介料理が浮かんでいた。
どうせなら美食の旅にしたい。美味しい空気だけで満足するなんて、もったいなさ過ぎる。グレイスの手元には魔神アバドーサ討伐の褒賞金が、ほとんど手つかずの状態で残っている。つまり、路銀はたっぷり。
「のんびり、行きますか~」
ちょうど今日で20歳になったグレイスは、地図を片手に街道を歩きだした。
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