第6話 龍と氷
洞窟の先で見たものは、吾妻の想像を超えたものだった。
氷の中に、女の子が閉じ込められている。あまりにも常軌を逸した光景に、吾妻は呆然と佇むしかなかった。
「どういうことだ、真影」
後ろの男を睨むと、胡散臭い笑みが返ってきた。
「どうしたもこうしたもない、それが君が望んだ力だよ、吾妻君」
確かに吾妻は、もっと力があればろくに続きもしないバイトを掛け持ちしなくてすむのにと真影に愚痴ったことがある。しかし、氷漬けの少女を差し出してと言った覚えはない。
「力?ただの女の子だろ!」
「よく見なさいよ、吾妻君。それは、人じゃない」
改めて女の子に目線を戻す。よく見れば、少女の長い髪は薄縹で、髪の隙間から立派な千草色の鹿角が生えている。白の衣からのぞく肌には錆浅葱の鱗が浮かんでいる。どう見ても人外だ。
「強大な力を持つが故に封じられた龍の子だよ。幼いが、契約できれば甚大な力を得ることができる。君の望み通りね」
真影の陰湿な視線から目を逸らし、吾妻は氷にそっと触れた。冷たい。この中に、閉じ込められているのか。いったい、どれくらい?
「同情は必要ないよ。その子は街一つ簡単に潰せる」
「……」
人外の強さは、身を持って知っている。それでも、小さな女の子が閉じ込められていることには微かな理不尽を感じた。
『あなたは……だれ?』
不意に声が聞こえて、吾妻は顔を上げた。目を瞑った龍の子には変わりはない。しかし、声は氷の方から聞こえた。軽やかな鈴の音のような、幼い声。
『そこいるの、だれ?』
「龍の子のお声がけだよ。謹んで受けなさい」
真影が笑い、吾妻は唇を噛む。強大な龍は封じられて尚その声を発することができるのだ。
『りゅうのりゅうかだよ。あなたはだぁれ?』
名乗られてしまった。ならば此方は答えねばならない。あやかしや神霊の類は、名前を何よりも重要とするから。
「俺は、吾妻だ」
『あずま、ね。いいおなまえだね』
一瞬、この名を与えてくれた父の顔が頭をよぎる。
「そうか?……『りゅうか』って、どんな字を書くんだ?」
『りゅうのはな、だよ。いいなまえでしょ』
「ああ、いい名前だ。誰がつけてくれたんだ?」
『おかあさん。はなみたいなこになりなさい、って。おかあさんはすごいんだよ。つよくてりっぱできれーなの。もうながいことあえてないけど』
咄嗟に吾妻は真影の方を見た。真影は何も言わない。ならば、吾妻は龍の少女に向き合うしかなかった。
「そうか。俺の名は父さんがつけてくれたんだ。俺も父さんに長いこと会えていない」
『そうなの?りゅーかとおそろいだね!』
楽しそうな龍華に、吾妻は居た堪れなくなっていく。おそらく、龍華の母はもう生きていない。殺したのは退魔局だ。
龍華が殺されていないのはまだ幼いから容赦したのではなく、ただ単に利用価値があるのだと判断されたまでだ。今までの問答で分かる。見かけだけかもしれないが龍華は純真だ。上手く使えば戦力になる。
目を逸らしたい。こういう理不尽が嫌いで退魔局に入らなかったのに。けれど、真影が自分をここに連れてきた以上、吾妻は逃げるわけにはいかない。
なぜなら、真影は吾妻の父ではないけれど、吾妻が今生きているのは真影のおかげなのだ。真っ当ではないし、優しくもないけれど、真影は吾妻の恩人なのだ。真影は吾妻が力が欲しいと言ったからここに連れてきた。
勿論龍を手の内に置きたいという意図もあるだろう。けれど真影は吾妻のような拾い子が沢山いる。吾妻でなくてもよかったのだ。それでも真影は吾妻を選んだ。それに応えなければいけない。
「龍華は、お母さんに会いたいか?」
『うん、あいたいよ。あずまもそうでしょ』
「まあな。……でも、お前はここから動けない」
『……うん、そうだよ。あずまのうしろのひとみたいな「たいまし」にとじこめられたの』
「嫌だったか?」
静かに吾妻は尋ねた。
『あたりまえだよ。いやだよ。つめたいしくらいしつらいよ。でもいいこにしてたらおかあさんがむかえにきてくれるっていうから。りゅーか、いいこにしてるの』
「龍華、お前のお母さんはもう居ない。分かってるだろ?」
『……わかってるよ』
龍華の声が低くなった。
『いくらはなしかけてもこたえてくれないの。おかあさん、しんじゃったんだよね。だからりゅーかがとじこめられてるんだよね。だけどさ!どうしろっていうの!おかあさんいなくちゃ、りゅーかなんにもできない。たたかえない。いみないもん。そとのせかいにいったって、ひとりぼっちだよ。じゃあ、ここでおとなしくしてるしかないよ……』
龍華の声はどんどんと荒ぶり、最後の方は掠れていた。
「じゃあ、俺はどうだ?」
『え?』
「俺は龍華とお揃いなんだろ?だから一緒にいるっていうのはどうだ?俺と一緒ならひとりぼっちにはならない」
『……いいの?りゅーかはりゅうだよ。あずまはたぶん、たいまし、だよね。なのに、いいの?』
龍華の口調がだんだんと明るくなっていく。その変化を恐ろしく思いながら吾妻は続ける。
「いいんだよ。けど、龍華をただで外に出すわけにはいかない。それは分かるよな?」
『うん』
「だから、契約してくれないか」
吾妻は氷に向かって手を伸ばす。
「俺の退魔に力を貸してくれ。その代わり、龍華を自由にする。龍華が人を襲わないなら、退魔師側も龍華を襲わないと誓う。……まぁ、細かいところは色々詰めないと退魔局側の許可は貰えないと思うが、龍華はどう思う?」
『いいと、おもう』
「そうか。なら決まりだな。……と、言うわけだ、真影。退魔局側の許可とって、俺と龍華で契約結べるようにしてくれ」
「簡単に言ってくれるねぇ」
真影はやれやれと溜息をつく。こんな感じだが退魔局の許可はもぎ取ってくれるのだろう。
「あんたが連れてきたくせに」
「可愛げのない息子を持つと大変だなぁ」
「息子じゃねぇよ」
真影とのやり取りを打ち切ると、吾妻は龍華の方を向いた。
「そういうわけだ。俺が迎えにくるまで、待っててくれるか?」
『うん!』
龍華が顔を動かせたら、きっと笑顔なのだろう。そんな声だった。
こうして龍と人の契約話は動き、迎えた当日。
真影の立ち合いの元氷は割れ、龍華は目を覚ました。
金色の眸を輝かせながら飛びついてきた龍華を抱き止めた時、吾妻はもう後戻りができないと思った。この無垢で強大な幼子の命と尊厳を、吾妻は握ったのだから。
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