第4話 雪鬼と炎

「やっぱり、あずまおかしいよ」

「なんだよいきなり」


 吾妻は汗をハンカチでぬぐいながら鬱陶しげにつぶやいた。荷葉に先導され、雪鬼が封印された場所まで移動している最中のことである。


 吾妻は生来運動神経が良いという自負があったが、山道には慣れていない。荷葉に置いていかれないように慎重に地面を踏み締めてゆく。


 少し緊張した吾妻とは反対に、龍華はひょこひょこと軽やかに吾妻を追い越して行く。


「なんか、ていねいなはなしかたしてるし」

「当たり前だろ、山神様と狛犬の前なんだから」

「そーじゃなくて、りゅーかにも、だよ」


 こちらを振り向いた龍華にびしり、と小さな指を突きつけられて、吾妻は内心首を傾げた。


 しかし龍華はすぐに顔を進行方向に戻すと、ずんずんと山道を登って行く。いつの間にか先頭の荷葉と距離が空いていたので、吾妻も慎重に成りつつもペースを早めた。


「あずま、きずいてないの?さっき、わたしに

「どうもしてないよ」っていったよね。いつもならもっとあらいいーかたでしょ。へんだよ」

「細けぇなお前、口煩い姑か?」

「はなしそらさないで。ちょーしよくないなら、たたかいはりゅーかひとりでやるよ」

「は?なんでだよ?」

「ちょーしわるいなら、たたかわないほうがいいでしょ」

「だから俺は調子悪くねぇよ」

「吾妻様、龍華様?」


 いつの間にか先頭の荷葉とだいぶ差が開いてしまっていた。


「すみません、今行きます。ほら、行くぞ」


 慌ててペースを早めると、龍華は不服そうな顔をしながらも足を早めた。


          *

 雪鬼が封印されていたのは、山頂に近い場所だった。しめ縄が巻かれた大岩からは、確かにもののけの気配を感じる。幽世のものの気配に敏感な龍華は嫌そうに顔を顰めていた。


「これより封印を解きます。吾妻さん、龍華さん、よろしくお願い致します」

「ああ」


 吾妻はすでに刀身を剥き出しにした刀を握っている。


「……」


 龍華は唇を尖らせて黙り込んだまま、こくりと頷いた。


 荷葉は大岩に向き合うと、祝詞らしきものを口ずさむ。がたがたと大岩が揺れ、しめ縄が千切れる。どこから共なく呻き声が聞こえる。ざわざわと木々が不穏な音を立てる。


「では、私は下がらせていただきます」


 大した戦闘能力はない荷葉は封印を解いた後直ぐに下がることになっていた。もののけの荷葉の姿は一瞬で掻き消える。


 がらり、音を立てて岩が真っ二つに割れた。

 次の瞬間、龍華は吾妻の隣から消えた。瞬時に大岩の上空に移動すると、その小さな足を岩の切れ目に叩きつけた。


 静寂。直後に龍華の周りから黒い靄がぶわっと溢れ出した。あっという間に龍華の姿が見えなくなる。


「龍華!」


 吾妻は刀を構えると、溢れ出た靄を切り裂いた。手応えがない。黒い靄は大岩から離れた所で固まると、徐々にその形を表してゆく。大柄な体、ずたぼろの衣、鬼の形相。まさに絵姿で見た雪鬼だった。雪鬼は無言のまま素早く動くとこちらに向かってくる。


「っ、」


 その威圧感に唾を飲んで刀を構えた次の瞬間、雪鬼の頭が大きくのけぞった。龍華が白い足で蹴飛ばしたからだ。


 小さな手には黒い靄が握りつぶされ、黄金の眸はいつもより強く輝いている。


 黒い靄を押し切った龍華は、瞬時に雪鬼に蹴りを入れたのだ。


 地面に着地した龍華は今度は顎に蹴りを入れようとしたが、雪鬼に隙が見えたのは一瞬。すぐさま一歩下がって体制を立て直すと、黒い靄を手に集めて生成した大剣で龍華に反撃した。


 襲いかかる剣を龍華は後ろに下がることで回避する。


 龍華は吾妻のすぐそばまで下がると、吾妻の首根っこを掴んだ。


 直後、とてつもない冷気を横に感じた。さっきまで自分がいた場所に、氷の柱が生えていた。


「あずま、きをつけて!」

「……わーってる!」


 龍華が気づいた雪鬼の攻撃に、吾妻は気づく事ができなかった。それが吾妻には重い。


 雪鬼が大剣を振るう。霜を伴った斬撃を、龍華と吾妻はそれぞれ逆方向に飛んでかわす。地面が抉れ、その場所から氷花が咲く。殺意を含んだ冷気に肌が泡立つ。


 雪鬼がぎょろりとした目つきで吾妻を睨むと、吾妻に向かって大剣を振りかぶった。咄嗟にのけぞるも肌が浅く切れ、血飛沫が舞った。


「あずま!」


 龍華は雪鬼に飛び蹴りを喰らわせると、慌てて吾妻の元へ駆け寄った。


「だいじょうぶ?」

「大丈夫だ。それよりー」


 直ぐにこちらへ駆けてきた雪鬼が冷気と共に大剣を振りかぶる。龍華は吾妻を突き飛ばすと、再び雪鬼に向かっていく。吾妻はゆっくりと立ち上がると、ぎゅっと刀を握りしめた。これでは、足手纏いだ。


 龍華は雪鬼の攻撃の隙間を縫い、蹴りを放ち、殴る。雪鬼が大剣を振るうたび、真夏の山が凍りついていく。吾妻が蹲る場所まででこぼこした氷で地面が覆われている。これでは安易に雪鬼に近づけない。


 吾妻は舌打ちすると、「龍華!」と叫ぶ。雪鬼の手首を蹴り飛ばした龍華は金色のまなこを見張ると次の瞬間には吾妻の隣に降り立っていた。


「頼む!」

「おう!」


 龍華は刀を握る吾妻の手に自身の掌を重ね、炎を発生させた。龍華が手を離し近くを離れたと同時に吾妻は刀を振りかぶった。


 周囲の氷が烈火の刀によって瞬く間に溶けていく。その勢いで吾妻は雪鬼に向かって飛び出していく。視界の端で龍華が動くのも見えた。


 素早い動きで此方を向いた雪鬼の大剣により、吾妻の刀は弾かれる。飛んできた冷気は龍の火が打ち消した。


 ぎり、ぎり、と刀と大剣が音を上げる。強い。押し負けていないのは、殆ど龍華の火のおかげだ。


 どん、と背中に強い衝撃を受けた。龍華が吾妻の背中を強く蹴飛ばしたのだ。吾妻の体は思いっきり押し出され、大剣が弾かれる。雪鬼の体制が乱れる。その隙を見逃さず、吾妻は雪鬼を袈裟懸けに切った。


 血飛沫が舞い、吾妻の顔を汚す。雪鬼は伸びず去り、氷で止血しようとするも、傷口は龍華の火で炙られている。氷が溶けていく、その隙を龍の娘が見逃すはずがない。


 龍華は雪鬼の上空へと高く飛ぶと、弾丸の如き速さで足を振り落とした。雪鬼が倒れ伏す。その首を、吾妻は斬った。血の花を咲かせて、雪鬼は沈黙した。同時に、山を犯していた氷は全て、溶けた。


「ふぅ、おわったね」


 返り血を薄く顔に残した龍華は、ぽん、と刀を握る吾妻の腕を叩いた。刀の火はすでに消えている。


 吾妻は雪鬼の死体をぼんやりと見つめていた。元人間のもののけの亡骸を見るのは初めてだった。少しずつ、黒い靄と共に消えていく。


 他のもののけと何ら変わりはない。幽世のものは現世で実体を持たないから、何も残さず死んでいく。


「……あずま?」

「言っただろ、俺は調子悪くないって」


 隣の龍華に目を移すと、龍華は不満げな顔をしていた。


「あのさ、あずまー」


 次の瞬間、幽世の気配が爆発した。


「あずま!」


 龍華が吾妻に手を伸ばすがもう遅い。


 雪鬼の死体から膨れ上がった黒い靄が、吾妻を覆い尽くしていた。

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