第3話 山神と狛犬

 北の方は夏でも涼しい、というのは誤った認識だったらしい。


 がらがらのローカル電車から降りた吾妻に襲いかかったのは、熱が溜まる盆地特有の気だるい暑さだった。堂々たる入道雲まで恨めしく思えてくる。


「あずま、だいじょうぶ?」


 麦わら帽子の下から、心配そうな金眼が覗く。龍たる龍華は暑さに強く寒さに強い。兎に角頑丈で風邪は一度も引いたことないし、暑さにへばったこともない。


「大丈夫だ。後少し……」


 今二人が歩いているのは、一面に田畑が広がる長閑な田舎の道路である。遠くを見れば連なる山々。もう少し行った先に先方のお迎えがあるらしい。駅に来て欲しかったが、下請けなので文句は言えない。


 陽炎が見える中歩いて行くと、バス停らしき所に佇む人が見えた。涼しげな薄縹の着物に白の帯をした女性である。手に白いレースの傘を持った彼女は近づく吾妻と龍華に気づくと楚々とした動きで駆け寄ってきた。


「吾妻様と龍華様でいらっしゃいますか」


 鈴の音のような可憐な声だった。


「お暑い中お迎えに行けず申し訳ありません。神域を離れることができないもので」


 一目見た時から、この女性が人ではないことは分かっていた。どうやら神に連なるものであるらしい。雪女かな、と思っていたので当てが外れた。


「あずま、このひとこまいぬさんだよ」

「え、まじか」


 思わず巣が出てしまった。あの神社にある勇ましい狛犬像と、嫋やかな目の前の女性が結び付かなかったからだ。


「慧眼ですね、龍華様。その通り、わたくしは山の神に使える狛犬。名を荷葉かようと申します。この度は我が主に協力していただきありがとうございます」

「えっと、こちらこそよろしくお願いします」


 吾妻はぎこちなくお辞儀をした。それを見て龍華も頭を下げた。


「さあ、参りましょうか」

「えっと、まだ歩く感じですか……?」

「いいえ、此処からはわたくしに乗っていただきます」

「え?」


 荷葉がその場で優雅に一回転すると、着物姿の女性は消え、代わりに首に赤い紐を結んだ白い毛並みの大きな犬が現れた。


「さあ、乗ってください。山神様の所までひとっ飛びですよ」

「わぁ、もふもふだ!」


 目を輝かせた龍華は一直線に犬姿に変化した荷葉の元へ駆け寄った。ふんわりとした毛並みを軽く撫でると、遠慮なくその胴体に跨る。


「し、失礼します」


 龍華とは対照的に、おっかなびっくりと吾妻は荷葉に跨った。龍華が前で、吾妻が龍華を支える形である。


「しっかりと掴まってくださいね」


 一陣の強風が駆け抜けた、と思った次の瞬間、荷葉は大きく飛び跳ねかけだした。


「うわっ、」


 舌を噛みそうになって慌てて口を閉じる。龍華は楽しそうに歓声を上げた。麦わら帽子が吹き飛びそうになり、慌てて手で押さえつける。


 時間にすれば五分足らず、しかし体感では十分くらい犬の背の上で揺さぶられていると、いつのまにか山の中腹にある神社の境内に降り立っていた。ごちんまりとしているが、赤い鳥居も左右に立つ狛犬もきちんと掃除されていた。


「ここが我が主の社です。……吾妻さん、大丈夫ですか?」

「あ、はい、酔い止め飲んでますし……」

「あずま、しっかり」


 へろへろの吾妻は元気な龍華に支えられながらなんとか地面に足をつけた。それを見届けた荷葉は人間の女性の姿に変化した。


「ひとまず、社務所に入りましょう。冷房効いていますから」

「あの、神社の方にご迷惑がかかったりしませんか……?」


 真影によると、神職につく人は必ずしもあやかしや神霊が見える訳ではないらしい。この神社の人も、荷葉の存在を知らない可能性がある。


 ならばいきなりやってきて社務所にズカズカと入る吾妻と龍華は不審者以外の何者でもない。それを誤魔化すためにいろいろと手を煩わせているのではないか、と吾妻は心配したのだが。


「大丈夫です。ここの神主は他の神社と兼任のため、常にいる訳ではないのです。神社の管理をしてくださっている氏子の方々も高齢化でたびたび呼ぶのも申し訳ないので、術を使って皆様の認識を曲げ、わたくしが氏子の仕事を少し肩代わりしております。ですので今日この神社にいるのはわたくし達だけです」

「そ、そうなんですね……」


 人手不足とは世知辛い話だ、と吾妻は思った。真影も最近退魔師になる奴が少ないと愚痴っていた。


「かみさまにごあいさつ、しなくていい?」

「我が主は社務所におりますので、そこで済ませていただければ」

「え?」


 吾妻が呆気に取られているうちに、荷葉はがらりと横開きの社務所の扉を開けた。


「あら、早かったわね」


 社務所の奥の方から、一人の女性が顔を出した。山の匂いのする、豊かな黒髪の妙齢の女性だ。


「やまがみさま、こんにちは。りゅうかです」


 龍華が麦わら帽子を取り、お辞儀をする。腰までの長い薄縹の髪と頭部に生えた千草色の龍の角が顕になった。


「えっと、フリーの退魔師の吾妻です。本日はよろしくお願いします」


 慌てて吾妻も頭を下げた。どうやらこの女性は、依頼主である山の女神らしい。こんなにナチュラルに社務所にいるとは思わなかった。


「いらっしゃい。わたしは姫野山の女神よ。どうぞ上がって」

「お邪魔します」

「おじゃまします!」


 通されたのは、畳の上に低い長机が置かれた客間だった。お出しされた麦茶はよく冷えていて、ほてったからだに染み渡った。


「さて、今回の依頼なのだけれど」


 吾妻と龍華の対面に座った女神が口を開くと、そばに侍る狛犬がそっと一枚の紙を机上に置いた。


「この山には長く、とある強いもののけが封印されていたの。けれど最近になって封印が弱まり、もののけが目覚めてしまったの。今はまだ大人しくしているけれど、いつ暴れ出すか分からない。このもののけを早期に倒してもらいたい、というのが今回の依頼よ」


 荷葉が置いた紙には、もののけの容姿が描かれていた。山姥の如く乱れた白髪にぎょろりとした目、金色の角に鋭い牙と爪。御伽話に出てくる悪役そのものの容姿をしたもののけの名は。


「雪鬼、ですか……」


 鬼、というものとなら戦ったことがある。鬼はもののけの中でもよく幽世かくりよを超え、此方側を乱しに来る。けれど雪鬼と戦うのは初めてだ。普通の鬼と攻撃手段が違うのだろうか。山神に尋ねようと吾妻が口火を切ろうとした時だった。


「あの、やまがみさま。やまがみさまならたいましのかたがたよりつよいでしょう。なのになんでふういんするだけだったの?」

「あ、おい、」


 無遠慮に質問した龍華を咎めようとした吾妻は、山神の目線で言葉を切った。


「良いのよ。その事については、話さなければならないと思っていたから」


 山神は軽く目を伏せると、唇を開いた。


「その雪鬼は、元は人だったのよ」

「え……」


 人からもののけに変貌する、という事は多々ある。精神がもののけの住まう幽世に引き付けられれば、その姿は異形に変貌していく。


 元は人、というのは退魔師にとっても胸糞悪い話であるため、忌避感を抱き任務を断る者もいる。だが吾妻の脳裏にちらついたのは、暗いマンションの一室だった。


 散らかった部屋。皿の貯まったシンク。不気味なほどに静まり返った部屋に響く、ごり、ごり、という奇妙な音。鏡に映った、化け物の姿。


「神は人に過干渉することができない。強大な力は、人に悪影響を齎すから。だから、実際に封印したのは荷葉だったのよ。神の眷属である荷葉は、わたしよりも人に干渉できるから」

「それでも力及ばず、封印することしか出来ませんでした」


 荷葉が申し訳なさそうに俯く姿が視界の端に映る。しかし、吾妻の意識は別の場所に飛んでいた。


 ぎり、と唇を噛んだ。真影の奴、どういうつもりでこの依頼を持って来たんだ。


「あずま、どうかした?」


 純粋な光を宿した金の眸がこちらを覗いている。線香花火のような煌めきが瞬いている。


「………どうも、してないよ」


 吾妻は隣の龍華から目を逸らすと、吾妻は山神と狛犬に向き合った。


「分かりました。この依頼、謹んで遂行いたします」

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