泥沼の戦い

 ワタシは何度も、思考を持たぬ下僕どもを二本足の巣へ向かわせていた。

 しかし、どうやってもうまくいかない。取るに足らない、喰えば光になって消えるつまらぬ餌のはずが、あまりにも強すぎるのだ。ワタシの歌や霧で同士討ちをさせようとしても、何か正体不明の「膜」のようなものに阻まれて届かない。気が付けば巨大な壁がそそり立ち、つい先刻には、大地そのものが顎となってワタシの下僕どもを貪り食らっていた。


 下僕どもも無限にいるわけではない。いずれいなくなってしまう。

 もうワタシが直接出向くしかない。


「ワタシが自ら、二本足どもを光に変えるあの塔を崩してくれるわ」


 そうだ。小手先の戦いでワタシの所有物をすり潰すのは、もう終わりだ。あの忌々しい光の元凶……巣の中心にそびえ立つ、あの「塔」。あれこそが奴らの生命線。あれがある限り、奴らは何度でもワタシの手から逃れ、その死はただのつまらない光の粒に変わってしまう。


 だが、あの塔を破壊すればどうなる?


 奴らの逃げ道は、永遠に閉ざされる。死は、光への転移ではなく、ただの「死」となる。絶望の中でのたうち回り、ワタシの下僕どもの牙にかかり、血と肉を撒き散らす……ただの、脆弱な「肉」になるのだ。


 ああ、想像するだけで、体の奥から歓喜が込み上げてくる!


 ワタシは翼を広げ、空から奴らの巣を睥睨する。塔の周辺には、あの「膜」がより強固に張られ、無数の二本足どもが守りを固めているのが見える。真正面からワタシが突撃すれば、多少の抵抗は受けるだろう。それも一興だが、もっと愉快なやり方がある。


 ワタシは地に降り立ち、ワタシの意思に傅く全ての者に命じる。


(進め。ワタシが塔を砕くまでの、ほんの僅かな時間稼ぎをすれば良い。お前たちの役目は、奴らの注意を引きつけるための『壁』となり、『餌』となることだ。ワタシのために死ね)


 下僕どもは、ワタシの意思に歓喜の雄叫びを上げて応える。彼らの命など、どうでもいい。彼らの犠牲が多ければ多いほど、奴らは油断し、ワタシが塔へ到達するのが容易くなるのだから。


 そしてワタシは、奴らの悲鳴が満ちる戦場の空を羽ばたく。


 待っていろ、二本足ども。お前たちの塔を、ワタシが瓦礫と化す瞬間を、その目に焼き付けさせてやる。お前たちの魂が、どこにも行けずに地上を彷徨う様を、心ゆくまで嘲笑ってやろう。


 ---


 どこからともなく、あのおぞましい歌声が聞こえてきた。

 その瞬間、俺たちが設置した『精神防壁トーテム』が一斉に稼働し、青く美しい光の壁をセーフゾーン全体に展開する。近い。

 セイレーンは防壁の向こう側ではない。間違いなく、この近辺にいる。


 現在、俺が作り上げた『アース・シュレッダー』によって、廃都市側からの魔獣の侵攻は、ほぼ抑えられていた。今の俺たちの役割は、稀にその牙を乗り越えてくる魔獣や、左右の土壁をよじ登ってくる魔獣を処理することだけ。交代制で休みを取り、誰もが何とかなったと、どこか弛緩した空気を漂わせ始めていた。

 だが俺は思考を巡らせるのをやめなかった。


 セイレーンは知恵のある魔獣だと聞いている。もし、リスポーントーテムの重要性に気づいていたとしたら、間違いなくここを狙ってくるはずだ。俺だったらそうする。

 歌声が聞こえてきたということは、奴はまだ諦めていない。

 油断はできない。


 再度、あの歌声がすぐ近くから聞こえてきた。

 直後、森の中から何かが空へと飛び立った。

 黒い、巨大な翼。人の女の美しい顔。そして、猛禽類のごとき体。

 間違いない。セイレーンだ。


 奴は、アース・シュレッダーに飲み込まれていく魔獣たちには、一切目もくれず、一直線にセーフゾーンの中枢――リスポーントーテムへと、飛んでいく。


「――セイレーンが単騎でトーテムに突っ込んでいった! 全員、絶対にあれを破壊させるな! 応援が来るまで、何としても持ちこたえろ!」


 指揮を任せていた桜井が、セイレーンの出現に気づき無線に怒鳴る。その声に、弛緩していた空気が、一気に張り詰めた。

 桃瀬がとっさにセイレーンに対し、移動速度低下のデバフをかける。オーブから放たれた青い光線が、セイレーンに命中し、その飛翔速度が若干低下した気がする。


「レオナ! 土田! 頼む!」


 俺がそう言うよりも先に、二人はすでに飛び出していた。

 だが、セイレーンの速度の方が速い。

 遠目に見えるリスポーントーテムの周辺には、防衛を任せていた生徒たちが、大慌てで銃や弓をつがえセイレーンに対して弾幕を張り始めている。


 無数の矢と銃弾が。空を切り裂く。

 だが、セイレーンはその全てを、まるでそよ風を避けるかのように、優雅な旋回だけでかわしていく。

 そして、ついに、トーテムへと到達した奴はその鋭い爪を振り下ろした。


 折れる。そう誰もが確信した瞬間、甲高い金属音が響き渡る。

 

 セイレーンの攻撃をまともに受けたはずだが、トーテムはびくともしない。さすがに演習の根幹をなす設備だ。そう簡単には壊れないか。


 セイレーンは何が起こったかわからず固まっている。

 その、一瞬の硬直。

 防衛していた生徒たちが、その好機を逃さず、一斉にセイレーンに斬りかかった。


「落ちろおおおお!」


 だが、セイレーンは、その黒い翼を鬱陶しそうに大きく羽ばたかせただけだった。

 強烈な風が嵐のように吹き荒れ、斬りかかった生徒たちは、次々と木の葉のようになすすべもなく、吹き飛ばされていく。


 鎧袖一触とはこのことか。


 その、絶望的な光景の中へ、二つの、光と影が、突っ込んだ。

 レオナと、土田だ。


「――させないッ!」


 レオナの棍杖が、白金の閃光となって、セイレーンの横っ腹を、強かに打ち据える。

 初めて、明確なダメージを受けてか、セイレーンが、甲高い悲鳴を上げた。

 その、悲鳴に怯んだ、一瞬の隙。

 土田の『夜蛇の短剣』が、影の中から、セイレーンの翼の付け根を、切り裂いていた。


 だが、セイレーンは怯まない。

 その歌声のトーンが変わる。それは、もはや、歌ではなく不協和音の塊だった。

 その音波を、まともに喰らったレオナと土田が、苦悶の表情を浮かべ動きを止める。

 セイレーンは、その好機を逃さず、二人をその鋭い爪でなぎ払った。


 二人の体は、吹き飛ばされたものの、空中で見事に体勢を立て直し綺麗に着地する。

 特に大きな怪我はないようだ。俺がレオナに渡した『聖獅子の戦躯』は、その役目を完璧に果たしてくれている。俺は息をそっと吐き出した。土田も着地と同時に、近くの建物の影へ、水が染み込むようにして、その姿を消す。二人とも問題はなさそうだ。


 セイレーンを睨みつけるレオナが、セイレーンの爪が当たったであろう、脇腹のあたりを手でさすっている。さすがに、あの衝撃までは完全には防ぎきれなかったらしい。打ち身程度にはなっているのだろう。一方のセイレーンも、土田に切り付けられた翼の付け根からわずかに血を流していたが、その傷は、すでに止まっているようだった。互いに軽傷にすらなっていない。


 だが、セイレーンは、レオナと土田のことなど意にも介していなかった。

 奴は、その憎悪に満ちた瞳でただ一点――リスポーントーテムだけを睨みつけ、再び飛翔する。

 そして歌いながら、トーテムへの攻撃を再開した。

 鋭い爪による引き裂くような斬撃。鋼鉄の翼による叩き潰すような強打。その、嵐のような猛攻がトーテムへ次々と叩きつけられていく。


「――させないわッ!」


 レオナと土田も即座に動き、セイレーンへと猛然と攻撃を加える。

 だが、セイレーンはトーテムへの攻撃を一切やめない。レオナの棍杖がその背中に叩きつけられようと、土田のナイフがその脇腹を切り裂こうと、まるで蚊に刺された程度にしか意に介さず、ただひたすらに、トーテムを破壊しようとし続けていた。

 時折、鬱陶しそうに、その翼を一度羽ばたかせる。たったそれだけで、レオナと土田の体は、また木の葉のように吹き飛ばされる。

 その繰り返しだった。

 他の防衛組の生徒たちも、必死で銃や弓による弾幕を再度張り始めるが、そのほとんどは、セイレーンの硬い羽毛に弾かれるか埋もれるかで、有効打にはなっていない。


 セイレーンは、それらの攻撃を鬱陶しそうに回避し、その合間を縫ってリスポーントーテムに攻撃を仕掛け続けるが、いまのところトーテムは傷一つついていない。だが、奴が何かしらかの攻略法を見つけ出すのも時間の問題だろう。このままではまずい。リスポーントーテムから、奴を引き離す何かが必要だ。


 しかし、俺の思考を断ち切るように、桜井の絶叫が無線から響き渡った。


『まずい! 奴ら、仲間を橋にして渡ってきている! 全員橋を狙え! アース・シュレッダーを越えられるぞ! 』


 最悪の展開だ。このまま、東の防衛ラインを越えられ、リスポーントーテムにあの魔獣の群れが殺到すれば、俺たちは完全に詰む。


 さらに、追い打ちをかけるように、セーフゾーン全体にジャッジのアナウンスが響いた。


『戦闘爆撃機が、あと十分で到着します。前線で戦闘中の生徒たちは、速やかに、一時退避をお願いします!』


 

 何から考えればいいのか。何が最優先事項なのか。

 セイレーン。空爆。そして、迫りくる、魔獣の軍団。

 俺の頭の中は完全に飽和し、パニックに陥っていた。

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