太陽

 思考回路がショートする。

 何から手を付ければいい? 何を優先すればいい? セイレーンか、魔獣の群れか、それとも空爆からの退避か。

 情報が、絶望が、俺の頭の中で飽和し、ぐるぐると同じ場所を回り続ける。


「湊!」


 レオナの鋭い声が俺の耳を打った。

 ハッと我に返ると、レオナが、桃瀬が、土田が、俺をじっと見つめていた。その瞳には、焦りの色も諦めの色もない。ただ、絶対的な信頼だけが宿っていた。


『指示を。あなたを信じるわ』


 レオナのその一言が、俺の中で絡まっていた思考の糸を解きほぐした。

 そうだ。俺が諦めてどうする。俺が止まってどうする。

 俺はこいつらのチームリーダーだろうが。


「……空爆まで、あと十分」


 俺は震える声で、はっきりと告げた。


「この十分で、全てを終わらせる」


 俺は無線機を掴み、絶叫した。


「桜井! アースシュレッダーは放棄しろ! 全員、今すぐリスポーントーテムまで後退だ!」

『なっ!? 正気か湊! それじゃあ、魔獣の群れがセーフゾーンになだれ込んでくるぞ!』

「それでいい! いや、それが狙いだ! 奴らを、集めて空爆の『的』にする!」


 そうだ。防衛ラインを突破されるのが、敗北じゃない。リスポーントーテムを破壊されたら敗北なのだ。セーフゾーンが蹂躙されるなどどうでもいいことだ。


「高城、聞こえているか! 防壁側はあと十分、お前たちで足止めしろ! 何があっても、防壁は死守だ! トーテム防衛組は、今すぐ退避準備!」


 俺は高城の返事を待たず、矢継ぎ早に指示を飛ばす。


「レオナ、お前にセイレーンを、あのアース・シュレッダーの上までおびき寄せてほしい」

『……私が、囮に? でも、今も引き離そうとしてるけど、どうにもならないわ』

「ああ。だから、ただの囮じゃない。奴が、お前を本気で殺したいと思わせるほどの挑発が必要だ。段取りはこっちでやる」


 俺は、トーテムを見据えた。セイレーンは、今もトーテムに執着している。

 あの執着を、レオナへの憎悪で上書きするんだ。


「まず、俺がトーテムにハッタリの爆発を仕掛ける。見た目だけは今にも壊れそうな、ド派手な爆発を起こすやつだ。セイレーンは、自分の攻撃が効いていると錯覚して、必ずとどめを刺しに来る」

『その瞬間を、私が邪魔すればいいのね』

「ああ。もう少しで壊れると思ったら、執着も外れるはずだ。油断したところにキツイ一撃を食らわせてやれ。お前ならできる」


 俺の言葉に、レオナは獰猛な笑みを浮かべた。


「桃瀬! レオナに、ありったけのバフをかけ続けろ! 何があっても、セイレーンに追いつかせるな!」

『任せて!』

「土田は、アース・シュレッダーの向こう側、森の中に潜んで、赤い煙幕玉で空爆地点をレオナと自衛隊に伝えろ。レオナがそこにセイレーンをおびき寄せて、奴の翼をもう一度切り裂け!」

『……了解! 絶対に叩き落とす』

「空爆の瞬間、セイレーンが、あのシュレッダーの上にいれば、俺たちの勝ちだ」


 誰も異論は唱えなかった。

 俺たちは簡単な作戦を打ち合わせて、それぞれの持ち場へと同時に駆け出した。


 ---


 俺は、トーテムの足元にある素材の山へ駆け寄りながら、アイテム袋から火薬の設計図と発火性の高い魔獣の油を取り出した。

 ありがたいことに、素材は腐るほどある。手早く火薬を作り上げると、魔獣の油と共にトーテムへぶちまける。これで見た目だけは最大級の爆発を起こすための、準備は整った。


「今だ、レオナ! 離れろ!」


 俺の合図で、レオナが助走をつけてこちらへ駆けてくる。

 俺は距離を取り、トーテムの根元に仕掛けた火薬に、着火用の魔力を流し込んだ。


 ――ドォォォンッ!


 凄まじい爆音と閃光。

 トーテムの根元が、まるで致命傷を負ったかのように、赤い炎と黒い煙に包まれる。

 もちろん、それは表面の油が燃え、素材が反射しているだけの、見せかけのハッタリだ。この程度ではトーテム本体には傷一つついていない。


 だが、セイレーンは、見事にその罠に食いついた。

 忌々しい歌声が、歓喜の旋律へと変わる。奴は自分の攻撃で、ついにあの塔を破壊したと信じ込んでいる。

 ゆっくりと、勝利を噛みしめるように、セイレーンが黒煙の上がるトーテムへと確認のために降下してくる。

 その、無防備なセイレーンの背中に、レオナの姿が躍り出る。


「――受け取ってッ!」


 桃瀬が叫ぶと、彼女のオーブから放たれた、赤と緑、二筋の光線が何本もレオナの体に突き刺さる。

 攻撃力と、敏捷性を、極限まで高められたレオナが渾身の力で棍杖を振りかぶる。


「お前の相手は、この私よッ!」


 棍杖の先端に、ありったけの魔力を集中させた渾身の一撃。

 勝利を確信し、油断しきっていたセイレーンの後頭部を完璧に捉えた。

 ゴシャッ、と、骨が砕ける鈍い音。

 セイレーンの頭蓋が見るも無惨に歪み、その体はすさまじい速度で地面へと叩きつけられた。


 歓喜の歌声は、今や、苦痛と屈辱に満ちた絶叫へと変わっていた。

 セイレーンが、歪んだ頭部を振りかぶりその憎悪に燃える瞳で、レオナをただ一人睨みつける。

 あの様子ではトーテムのことなど、もう頭にはない。


「上出来だレオナ! そのまま走れ! 土田、準備しろ!」


 俺の指示通り、レオナは怒り狂うセイレーンを挑発するように、一度だけ振り返ると、アース・シュレッダーがあった方向へと全速力で駆け出した。

 セイレーンも怒りに任せて、レオナを追いかけるために、再び空へと舞い上がる。


『空爆まで、あと五分! 繰り返し伝える! 全員、前線から退避せよ!』


 ジャッジの、切迫した声が響く。

 俺は、後退してきた桜井たちと合流し、セーフゾーンの壁の上から、固唾をのんでその光景を見守っていた。

 レオナが向かう先、アースシュレッダーに掛かった魔獣の橋は、時折シュレッダーに体を引き裂かれながらも、保守が続けられ、おびただしい数の魔獣が、アース・シュレッダーを乗り越え、今まさにこちらへと殺到してきている。

 その、魔獣の群れに向かって、一筋の白金の光と、それを追う、黒い翼が飛んでいた。


『空爆まで、三分!』


 森の木々が不自然に揺れる。

 セイレーンの影。その中から土田が隠密スキルを解除し、その姿を現した。


「――【帰燕】!」


 土田が投擲した『夜蛇の短剣』が、黒い軌跡を描きながら、正確にセイレーンの傷ついた翼の付け根へと吸い込まれていく。

 甲高い悲鳴と共に、セイレーンの飛翔が、明らかに乱れた。


「桃瀬ッ! やれ!」


 俺は叫んだ。

 桃瀬はこくりと、一度だけ頷くと、自らの周囲を高速で回転していた、三色のオーブに、その両手をかざした。


「ごめんね、二人とも……。巻き込んじゃうけど、あいつに未来は渡さない!」


 彼女は、最後の切り札を発動する。


「――【スーパーノヴァ】ッ!」


 三つのオーブが、その内側に宿した全ての運命を一度に解放した。

 赤、青、緑の光が、一つに混じり合い、白く、眩い、小さな太陽を生み出す。

 次の瞬間、その太陽は極光を扇状に周囲一帯へと叩きつけた。


 太陽の光は、敵も、味方も区別しない。平等に大地に満ちる。

 レオナの体が様々な運命に翻弄され、一瞬、ぐらりと揺れる。だが、彼女の『聖フローラの偽装学生証』が、その運命のほとんどを偽り否定する。

 土田は影にもぐった。太陽の光が強いほど闇は濃くなり、運命の表舞台からは見えなくなる。

 だが、堂々と空を舞うセイレーンは違った。

 翼を負傷し、体勢を崩していたそれは、弱り目に祟り目として、その無差別な運命の奔流をまともに喰らう。

 攻撃力、防御力、移動速度、その他あらゆるステータスがめちゃくちゃに乱高下し、体の自由を奪い去る。

 セイレーンは、勢いそのまま地上へ――魔獣の群れがうごめく、アース・シュレッダーの、ちょうど真上に向かって、放物線を描き墜落していった。

 そこには空爆の目印を占めす赤い狼煙が上がっている。


『空爆まで、あと十秒!』


 遥か上空から、甲高い、ジェットエンジンの音が聞こえる。

 役目を終えたレオナと土田が、全速力で空爆の範囲から離脱していく。


「――全員、衝撃に備えろ!」


 そして、大地が、一瞬だけ白く光り、音が消えた。


 次の瞬間、大地から巨大な火球が、いくつも、いくつも、立ち上るのが見えた。

 遅れて、腹の底まで響き渡るような、轟音が届く。

 爆風が、壁を、俺たちの体を、激しく叩きつける。


 やがて、全てが通り過ぎた時。

 俺たちの目の前に広がっていたのは、黒く焦げ付き大きくえぐれた、大地だけだった。

 あれほど、俺たちを苦しめた、機械獣の軍勢も、そして、あの忌々しいセイレーンも、その痕跡すら、残さずに消滅していた。

 東の空から一番星がきらめいた。


 長い、長い一日が終わった。

 俺たちは、勝ったのだ。

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