人間カタパルト

 俺が、桃瀬から無線で、彼女が考案した画期的な後方支援――『滑走路作戦』の概要を聞いたのは、防壁の外に、巨大な空堀を掘り終え、今からその堀の底に、無数の逆茂木を敷き詰めようとしていた、まさにその時だった。


(……なるほどな。マラソンの給水所方式か)


 桃瀬のやつ、なかなか、頭が切れる。


 ちなみに俺が空堀を作っていた理由は、魔獣の軍団を素直にこの防壁まで到達させないためだ。そんなことをすれば、数の力で、壁はいとも簡単に破壊されてしまうだろう。

 だから、まずこの空堀で敵の足を止める。堀の手前で立ち止まったところを、壁の上から魔法と矢、銃撃で一方的に攻撃する。もし、堀の中に侵入されても底に敷き詰めた、先端を鋭く尖らせた逆茂木が、奴らの体を串刺しにする。

 これで、かなりの進行遅延が見込めるはずだった。


 さらに、別の工事班には、この堀の前に防壁に対して垂直な壁を平行に、そして大量に並べるよう、指示してある。

 高城とレオナをそれぞれ一度ずつ打ち破った、俺の初見殺し戦法だ。

 こうすることで、魔獣は壁に沿って、狭い通路を一列になって進むしかなくなる。そこを、貫通系の魔法で狙い撃てば、面白いように一網打尽にできるはずだ。


 俺は、自らが考案したこの二段構えの防衛戦術に静かな自信を抱いていた。

 だが、桃瀬の『滑走路作戦』はさらにその上を行く第三の戦術をこの戦場にもたらしてくれる。


 地面に描かれた魔法陣で、リスポーンした兵士の移動速度を極限まで高める。それは、兵站の維持という概念を超え、もはや、後方支援自体が一つの攻撃的な戦術へと昇華していると言えた。


 ――だが、その時俺の頭に、一つの懸念が浮かんだ。

 桃瀬の『滑走路』を駆け抜けた兵士は、防壁にたどり着く頃には、とんでもないスピードになっているはずだ。その都度、門を開け閉めしていたら、タイミングを誤った者が壁に激突してリスポーン、という笑えない事態になりかねない。


 俺は、桃瀬にひとまず「素晴らしい作戦だ。そちらの指揮は、全てお前に任せる」と礼を言って無線を切ると、すぐさま防壁の建築を監督している、斎藤に連絡を入れた。


「――というわけで、防壁の内側から人間レールガンが定期的に飛んでくることになるわけなんだが」

『……湊君。今、君が何を言っているのか、僕には、全く理解できないんだが』


 無線の向こうから、斎藤の、心底うんざりしたような声が聞こえてくる。


『桃瀬さんにすぐにやめるよう言うべきじゃないのか。セーフゾーン内でリスポーン送りなんて笑えないぞ』

「その件で連絡したんだよ。門を使うから問題が起きる。……なら、門を使わなければいい」

『どういうことだ?』

「防壁の内側に、巨大な坂道を作るんだ。ジャンプ台だ。リスポーンした生徒は、桃瀬の滑走路で加速し、そのジャンプ台から前線に文字通り『飛んで』いく。そうすれば、前線復帰速度の問題は解決できるはずだ。森エリアは木が生えすぎててどうしても時間がかかるからな。それに飛んでいる間にバフが切れればちょうどいい。着地の衝撃も、あいつらは頑丈だから問題ない」


 無線の向こうから、斎藤の長いうめき声が聞こえる。考えているのか、それとも俺の言葉にただあきれているのか。

 しばらくして、彼が観念したように答えた。


『……分かった。君の言う、そのジャンプ台を作ろう。今の作業が終わったらこっちに来てくれ』

「了解」


 俺は桃瀬に連絡し、リスポーンした生徒にジャンプ台で飛べと必ず伝えるように言うと、再び、逆茂木の設置作業に取り掛かった。


 ---


 陵南高校一年、田中健太は、ただ、必死だった。

 門を駆け抜けた時の、あの高揚感は、地平線を埋め尽くす黒い津波に飲み込まれ消え失せている。今はただ、耳をつんざく魔獣の絶叫と、鼻を突く血と泥の匂い、そして、隣で戦っていたはずの仲間が、一瞬で光の粒子となって消えていく、その光景だけが、彼の全てだった。


「――来んな、化け物がぁっ!」


 目の前にいた、巨大なカマキリのような魔獣の鎌を、必死で盾で受け止める。腕が、折れそうだ。だが、ここで膝をつけば、横から別の魔獣に食い殺される。

 彼は、ありったけの力を込めて盾を押し返し、がら空きになったその胴体へ、がむしゃらに剣を突き刺した。甲高い断末魔と共に、魔獣が光となって消える。


「はぁ、はぁ……やった、ぞ……!」


 一瞬の安堵。だが、それが彼の命取りだった。

 一体の魔獣を倒したことで生まれた、ほんのわずかな硬直。その隙を見逃してくれるほど、この戦場は甘くない。


 背後から何の気配もなかった。

 ただ、自分の影が何かもっと巨大な影に飲み込まれたことに、気づいただけだった。

 彼が、ぎこちなく振り返ったその先。

 そこには、鷲の上半身にライオンの体を持つ巨大な魔獣――グリフォンが、その鋭い嘴を、大きく開けていた。


(あ……)


 声も出なかった。

 次の瞬間、彼の視界は赤く、そして、真っ白に染まり、全身がまるで粘土のように、ぐちゃりと砕け散る感覚だけが残った。


 そして――。


 気が付くと、彼は、セーフゾーンの中央に聳え立つ、リスポーントーテムの下に寝そべっていた。

 ついさっきまでの、あの地獄のような戦場の喧騒の余韻で耳鳴りがひどい。

 手には、武器も盾もない。身につけているのは、リスポーン時に最低限の尊厳を守るために与えられるただの下着だけ。

 彼は、自分のあまりにも無力な姿を見下ろし、そして、自分が「死んだ」のだという事実を、ようやく理解した。


 キーン、という耳鳴りがようやく収まってくると、戦場とはまた質の違う熱気あふれる喧騒が、田中の鼓膜を震わせた。

 ここはセーフゾーンのはずだ。だが、その光景はいつもと全く違っていた。

 目の前にはリスポーントーテムから、防壁の門まで続く一本の「道」ができていた。その両側には無数の露店が立ち並び、地面に描かれた魔法陣が淡い光を放っている。


「リスポーンした人はこの道を通って! 装備を整えながら防壁前のジャンプ台を使って、前線へ復帰してください!」


 何人もの生徒が声を大にして、田中に手招きをして呼びかける。その熱気に動かされるように、彼の足は自然と前へと出た。

 まず、最初の露店で胸当てと肩当てを受け取る。それを走りながら身につけ、次の露店へと向かう。足元に描かれた、移動速度を上げる魔法陣を踏むたびに、その足取りがぐんぐんと軽くなっていく。


 防壁までの道のりの、三分の一を過ぎる頃には防具一式と精神攻撃耐性を持つネックレスを装備し終え、次は回復薬と最低限の食料が入った袋を腰のベルトに取り付ける。走る速度は、もはや全力疾走する自転車を遥かに超えていた。


(武器が、欲しい……!)


 そう思って前を見ると、大きな看板に、武器のピクトグラムが描かれているのが見えた。彼は自らの得物である、盾と片手剣が描かれた場所に向かって、飛ぶように走る。武器を受け取る際、露店を担当していた生徒が檄を飛ばすように、声をかけた。


「最後のバフは強烈だから気をつけろよ! あと、着地もな!」


 その言葉通り、武器を受け取った直後に踏んだ魔法陣は、今までのものとは比べ物にならないほど強烈だった。

 遠くに見えていたはずの防壁が一気に目の前へと迫ってくる。もはや、自動車の速度すら超えているのではないか。

 沿道では、クラフターたちが必死で装備を作りながら、「行けー!」「やっちまえー!」と、前線へ向かう兵士たちに、野次にも似た声援を送っていた。


 田中は自らの『身体強化』のスキルも、最大まで引き上げる。さらに加速し、防壁の前に急ごしらえで作られたような巨大な坂道――ジャンプ台へと、その身を躍らせた。


(これは、ただ走るより、ずっと早い……!)


 空へと射出された体は、放物線を描き戦場へと向かっていく。空中で彼は受け取ったばかりの剣と盾を装備し、前方に広がる地獄のような戦場を見つめた。

 そして、視界の端に先ほど自分を食い殺した、あの忌々しいグリフォンの姿を見つける。

 田中の血が滾った。

 彼は魔力を操り、空中で進行方向を変えると、一直線にそのグリフォンの頭上をとる。


 頭上の影に気づき、グリフォンが、驚いたように、田中を見上げた。


「――仕返しだッ!」


 田中の剣が、重力と速度、そしてあふれる怒りを乗せてグリフォンの右目を、脳みそまで深々と貫く。

 甲高い断末魔と共に、グリフォンが絶命する。

 田中はその勢いのまま力強く大地に着地した。

 その間わずか、五分。

 彼は、再び迎撃部隊の一員として、この戦場に復帰したのだ。

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