セイレーン
迎撃部隊は想像以上によくやっていた。
会敵から今まで前線は丘陵地帯からほぼ動かず、むしろじりじりと押し始めているくらいだった。何よりもセーフゾーンからの帰還速度が当初の想定を遥かに超えていたのだ。先ほどやられたと思った生徒が数分後には空から雄叫びを上げて落ちてくる。最初は驚いていた者たちも、自分がリスポーンする側に回るとその効率的な帰還方法に納得し、興奮と共に再び宙を舞っていた。
レオナと土田はいまだ一度もリスポーンせず、前線で獅子奮迅の働きを続けている。だが、ポーションなどの消耗品はほぼ底をつきかけていた。
「キリがないわね……!」
「レオナ、少し下がって一息つこう。このままじゃ連戦しすぎて持たないぞ」
土田の提案にレオナは「そうね」と同意し、一瞬後方を振り返る。そこには、リスポーン組と思われる、真新しい装備を付けた一団が、応援として駆けつけているところだった。
「そこのあなたたち! ここを任せるわよ、私たちは一旦補給に戻る!」
「任せろ! 森の中に補給部隊がいるはずだ。赤い鎧の集団を探してこい!」
レオナと土田は短く礼を言うとリスポーン組と場所を入れ替え、後方へと下がっていく。
「いたわ!」
レオナの指さす場所で赤い旗を振る生徒たちが見えた。あれが補給部隊だろう。二人はさらに速度を上げて目的地へと向かった。
その途中で、戦場全体に高城の拡声された指揮が飛んだ。
『全員、前線を上げすぎるな! 常に、いつでも森の中に逃げ込める位置までラインを後退させろ!』
その声に土田ははっとする。
確かに、いつの間にか退路であるはずの森までの距離が長くなっていた。これでは万が一の時に、前線は逃げ場を失い一気に瓦解してしまう。
土田はレオナの背中を追いながらも嫌な予感が頭をよぎり、何度も前線を確認する。高城の命令が届いたのか前線はじわじわと下がっている。だがその動きはあまりに緩慢だった。
前線を押し上げるのは簡単だ。目の前の敵を倒し一歩進めばいい。
しかし下げるのはそう容易ではない。目の前の敵を倒し一歩足を引く。その一歩の距離の分だけ、勢いを増した攻撃が襲い掛かってくるのだ。
ふと空を見上げるとリスポーン組が飛んでくるのが見えた。どのようなことが起きれば空から飛んでくるのか全く分からないが、彼らは森と丘陵地帯の間に着地する。どうせ湊が何か考えたのだろうと結論付ける。
しかし、問題は着地する場所がもう前線ではないと言うことだ。先ほど前線を交代してきた集団のように自らの足で前線まで向かわなければならない。タイムロスがなかった復帰に明確なタイムロスが生まれている。
もしどこかで戦線が大きく崩れ大量のリスポーン送りが発生したら。
その穴を、今のシステムで本当に埋められるのだろうか。
二人は補給部隊にたどり着くと失っていたポーションなどの補給物資を受け取った。息を整える間もなく土田が先ほどの懸念をレオナに伝える。
「レオナ、まずいかも。今の復帰組、前線のはるか手前に着地してる。あれじゃあ持ち場に戻るまでに時間がかかりすぎる。どこか一か所でも崩されたらもう立て直せないぞ」
「心配しすぎよ土田君」
レオナはポーションを呷りながらも力強く答えた。その瞳には一切の不安の色はない。
「私たちがいる限り前線は崩させない。それに高城君の指揮も的確だわ。問題ない」
「……だと、いいんだがな」
レオナの強さは信頼している。だが彼女一人の力で、この巨大すぎる軍勢のすべてを止められるわけではない。
レオナはそんな土田の顔をじっと見つめると、ふっと、柔らかく微笑んだ。
「大丈夫よ。あなたと私がいる。それに、いざとなったら、きっと湊が何かとんでもないことを考えてくれるわ」
その絶対的な信頼に満ちた言葉に、土田は一抹の不安を覚えるが、それ以上何も言えなかった。
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高城は舌打ちした。
つい先ほど自らが下した「前線を下げろ」という命令に、彼は苛立ちを募らせていた。迎撃部隊の総指揮を執ると豪語したのに、この様はなんだ。と。
リスポーン組の帰還位置と、前線が大きく乖離しすぎている。その致命的な欠陥に気づくのが遅すぎたのだ。
もし、自分が後方から指揮を執っていれば、すぐに気づけただろう。だが、高城は自らが持つ圧倒的な力が故に、常に前線へと駆り出される。目の前の敵を殲滅することに集中するあまり、戦場全体を俯瞰する視点が、一瞬曇っていた。
さらに、高城の懸念を増幅させているのは、湊たちが目撃したという、敵の総大将『セイレーン』が、どこにも見当たらないことだった。
セイレーン対策として、全員に装備させている精神攻撃耐性のネックレスも、今のところ、無用の長物と化している。
高城は出発前に、セイレーンに関する情報を、可能な限り収集してきた。奴が厄介なのは、精神攻撃だけではない。人間を遥かに凌駕する高い知能と、単体でも小規模な軍隊を蹂躙するほどの絶大な戦闘能力を兼ね備えていることだ。
おそらく、この迎撃部隊の中でセイレーンとまともにやりあえるのは、自分とあのレオナとかいう女を含めても、数えるほどしかいない。そう考えると、今まで一切姿を見せないセイレーンに、得体の知れない恐怖を覚える。
まさか、どこかから、こちらの戦力を冷静に分析し、最も効果的な一撃を叩き込む瞬間を見計らっているのではないか?
あるいは、この目の前の魔獣の軍勢は、すべて、陽動のための「囮」なのではないか?
高城の脳裏を次々と最悪の可能性がよぎっていく。
その彼の疑念を肯定するかのように、無線から悲鳴に近い報告が飛び込んできた。
『う、上だ! 空! セイレーンが、いたぞ!』
その声に高城が、そして彼の無線を聞いた一部の生徒が、一斉に空を見上げた。
そこには上空を旋回する巨大な影。
セイレーンは戦場のはるか上空、雲の切れ間にその黒い翼を広げ、眼下で繰り広げられるちっぽけな闘争を観戦でもするかのように、優雅に滞空していたのだ。
そして自らの存在に気づかれたことが分かったのか。セイレーンは、その人間の女の形をした美しい顔を、ゆっくりと、愉悦に歪めた。
次の瞬間。
戦場の喧騒を全て塗りつぶすかのような、美しく、そしておぞましい「歌声」が、戦場に響き渡った。
その歌声に呼応し、今までただ無秩序に攻撃を繰り返していただけの魔獣たちが、ぴたり、と動きを止める。そして、まるで一つの意志を持った統率の取れた軍隊のように、一糸乱れぬ動きで陣形を再編成し始めたのだ。
それだけではない。
生徒たちが最後の頼みの綱として身につけていた精神攻撃耐性のネックレスが、一斉に悲鳴のような甲高い音を立て、その表面に、パキパキと、無数のひびが入っていく。
高城は、その光景を、ただ呆然と見上げることしかできなかった。
自分たちは、踊らされていたのだ。
セイレーンは、この戦いをただ見ていたのではない。
この、前線が押し上げられ、リスポーンのタイムラグが最大になった、最も脆弱なこの瞬間を、ずっと、ずっと、待っていたのだ。
セイレーンの歌声が、戦場を支配する。
それは、耳を塞いでも脳に直接響き渡るような、美しくもおぞましい旋律。その歌に呼応し、今まで獣の本能のままに暴れ回っていた魔獣たちが、ぴたり、と動きを止めた。そして、まるで一つの意志を持った、統率の取れた軍隊のように、その狙いを、戦場のただ一点――戦場の強者から最も遠い、防御の薄い区画へと、定め始める。
高城は、その光景を、奥歯を噛みしめて見据えていた。
一瞬、彼の脳裏を、あまりにも無謀な選択肢がよぎる。
(……ここで、反転攻勢をかけるか?)
全軍に防衛を命じ、自らを含む少数精鋭で、あの空に浮かぶ元凶の首を獲る。まだ士気は高い。勢いのまま押し切れば、あるいは――。
だが、その思考は、コンマ一秒にも満たない思索によって、否定される。
無謀な賭けだ。セイレーンの歌声が続く限り、耐性ネックレスはいずれ必ず砕け散る。そうなれば、味方は錯乱し同士討ちを始め、陣形は内側から崩壊する。そして、統率の取れた魔獣の軍隊は、その好機を決して見逃さない。
結果は、一方的な蹂躙。包囲され、殲滅される。全滅だ。ならば、同士討ちが始まる前に、一刻も早く、セイレーンの影響範囲から逃れるべきだ。
(……くそッ!)
これは、ただの戦力差ではない。戦術や気合で覆せるレベルを、遥かに超えている。
高城は生まれて初めて、自らの「力」だけではどうにもならない壁を前に、屈辱に唇を噛んだ。
そして、そのプライドを一瞬で飲み下す。彼の葛藤とは裏腹に、その判断は誰よりも早かった。
『全軍撤退! 森に逃げ込め! 全速力だ、急げ!』
その絶叫にも似た命令に、今まで恐怖で硬直していた生徒たちも我に返ったように、一目散に森の方向へと逃げ出した。
しかし、前線から森はあまりにも遠い。人間の全速力は魔獣のそれに遠く及ばず、スタートダッシュでわずかに開いた差も、後方から迫る黒い津波によって見る見るうちに縮まっていく。
『魔法が撃てる奴は走りながら壁でも蔦でも何でもいい! 足止めになるものを後ろにばら撒け! クラフターもだ! 足止めできそうな罠を片っ端から作れ!』
高城の悲鳴にも似た命令が戦場に響き渡る。
その声に応じ、後衛にいた生徒たちが走りながら振り返りざまに、ありったけの魔法とクラフトを地面にばら撒いた。
地面から急ごしらえの土壁が突き出し、足元には鋭い茨の蔦が網の目のように広がる。
魔獣の軍勢の最前列が、その罠に何の躊躇もなく突っ込んだ。土壁に激突して潰れ、茨の蔦に体を貫かれて絶命する。
だが、軍団の足は一瞬たりとも止まらない。
後続の魔獣たちは、まるでそれが当然であるかのように、絶命した仲間の死体を文字通り「踏み台」にして、その障害を乗り越えてくる。
生徒たちが必死に作り出した足止めは結果として、後続の魔獣たちのための、おぞましい血肉のスロープを自ら構築しているに過ぎなかった。
後方から、次々と短い悲鳴が上がり、そして、ぷつりと途絶える。
それはもはや戦いですらなく、一方的な「狩り」へと変わり果てていた戦場にアナウンスが流れたが、それを聞いていられる余裕などどこにもなかった。
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