進軍

 作戦会議を終えた俺は、早速、八紘農業の桜井へ通信を入れた。数回の呼び出し音の後、少しノイズが混じった桜井の声がスピーカーから聞こえてくる。


『――こちら桜井だ。湊か?』

「俺だ。要件は手短に伝える。明日の正午、南の湿地帯でケアパッケージが投下される。お前たちも準備しておけ」


 俺の言葉に、通信機の向こうで桜井が息を呑む気配がした。


『……本当か。助かった。雪山に籠っているせいか、こちらにはまだその情報が届いていなかった。恩に着る』

「貸し一つ、だな。それで、具体的な動きについてだが、俺たちは湿地帯の南端から攻める予定だ。お前たちはどうする?」

『……なるほど。では俺たちは、湿地帯の北側から攻めていこう。お互い、出発地点から時計回りに攻略していく、というのはどうだ? そうすれば、無用な衝突は避けられる』


 俺が提案する前に、桜井がこちらの意図を正確に汲み取ってくれた。話が早くて助かる。


「了解だ。それでいこう」

『情報感謝する。おそらくそれに関連する動きだと思うが、うちの斥候が今朝がた、陵南高校と思われる複数のチームが雪山を横断していくのを確認している。もしそうなら、奴らは北側から南下してくるだろうな』

「そうか、北側は激戦区になりそうだな。……どうだ、いっそ俺たちと合流して南から一緒に動くか? 桜井たちのチームなら、数人増えても連携に問題はないだろ」


 俺個人として桜井のチームは高評価だった。少なくともあの氷結ゴーレムを相手に全滅していないのだ。並みのチームでは歯が立たないだろうが、多勢に無勢と言う言葉もある。


『……いや、今回は遠慮しておこう。感謝する。まだ俺たちは、本格的な対人戦を経験していないんだ。まずは自分たちの力だけで、どこまでやれるか試したい。チームの経験のためだ』

「わかった。なら無理強いはしない。実を言うと、うちも対人戦は初体験みたいなものだ。お互い頑張ろう」


 俺がそう言うと、通信機の向こうから『意外だな』と、桜井がクスリと笑う声が聞こえた。

 ……こいつ、こんな風に笑うのか。無表情で堅物な男だと思っていたが、少し印象が変わった。


 ともかく、これで情報共有は完了だ。だが、一つだけ伝えておくべきことがある。


「桜井、最後に一つ忠告だ。イベント中はリスポーン後の立て直しに、普段より時間がかかると想定しておいた方がいい。予備装備はリスポーン地点の近くに必ず用意しておけ。……理由は、聞くな」


 俺はあえて、土田の店を閉めることには言及しない。万が一、桜井の仲間から情報が漏れる可能性を考慮してのことだ。俺の言葉の裏にある意図を、桜井がどこまで察してくれるか。


『…………』


 数秒の沈黙。そして、桜井は全てを理解したように、落ち着いた声で答えた。


『……なるほどな。そういうことか。わかった、感謝する。お前たちも、せいぜい気をつけろよ』


 通信が切れる。どうやら、俺の意図は正確に伝わったようだ。


 ---


 桜井との通信を終え、俺たちのやるべきことは定まった。拠点に集まった三人の間には、決戦を前にした心地よい緊張感が漂っている。


「よし、今日はここまでだ。しっかり英気を養って、明日の早朝に出発する」


 俺がそう締めくくろうとした、その時だった。


「あれ? 今すぐ出発しないのか?」


 土田から、待ったがかかった。


「ああ。投下は明日の正午だ。夜通しで動くより、体力を温存した方が合理的だろう」

「うーん、理由がないなら今すぐ出発したほうがいいけどなぁ」


 土田は真剣な顔で、広げた地図を指さす。


「俺が提案した湿地帯の小高い丘、あそこは絶好の観測ポイントなんだけど。もちろん、それは他のチームにとっても同じことだ。俺が情報を掴めたってことは、他にもこの場所の価値を知ってるチームがいる。俺たちがのんびりしてる間に、場所の奪い合い……つまり、陣地獲りのための前哨戦が、今夜のうちに始まるはずだ」


 土田の指摘に、俺はハッとした。

 ……しまった。油断していた。演習開始から一週間足らず。まだ頭が、平時のままで鈍っていたようだ。桜井との情報共有がうまくいき、どこか安心しきっていたのかもしれない。


「……そうだな。土田の言う通りだ。完全に俺の判断ミスだ。感謝する、土田」

「へへ、いいってことよ」


 俺の素直な謝罪に、土田は照れたように笑う。


「二人とも、準備を急ぐぞ。作戦変更だ。最低限の装備だけ持って、今すぐ出発するぞ!」


 俺の号令に、二人は力強く頷いた。拠点の空気が、一気に戦闘前のそれに切り替わる。俺たちはわずか数分で準備を整えると、夜の闇へと駆け出した。


 ---


 湿地帯への道中は、想像以上に過酷だった。ぬかるんだ道に足を取られながら、俺たちはひたすら南を目指す。


 道中、何度か魔獣に遭遇したが、そのすべてをレオナが一撃で沈めた。巨大な蛙の化け物がぬかるみから飛び出してきた時も、俺が指示を出すより早く、レオナの『聖獅子王の棍杖』がその頭を正確に砕いていた。戦闘にかかる時間は、もはや数秒に満たない。


 厄介だったのは、むしろ他の参加者チームとの遭遇だった。明日の本番まで余計な体力を使いたくないし、ここで下手に戦闘して逆恨みされ、休息中に襲撃されるのもごめんだ。とはいえ、見つかればやらざるを得ない。なんとも言えない緊張感が、湿地帯特有の、粘性を帯びた濃密な空気に溶け込み、体にねっとりとまとわりついていた。


「――ストップ」


 先頭を進んでいた土田が、突如足を止め、手で制止の合図を送る。


「前方、木々の向こう側。五人チームが先行してる。この先の開けた場所で、野営するつもりかもしれん」


 土田の囁き声に、俺は即座に判断を下す。


「迂回する。無用な戦闘は避けるぞ」


 俺たちは息を殺し、マングローブの根が複雑に絡み合う茂みの中を、音を立てずに進んでいく。敵チームに気づかれることなく、その横をすり抜けることに成功した。


 さらに進むと、前方から魔法の炸裂音と、金属がぶつかり合う甲高い音が聞こえてきた。


「――ストップ。前方で戦闘」


 土田が指さす方向を、俺たちはマングローブの陰から窺う。そこでは、二つのチームが激しい戦闘を繰り広げていた。


 片方は、三人組の小規模なチーム。もう一方は五人組だった。明らかに五人組が優勢で、数の利と圧倒的なフィジカルで、三人組をじりじりと追い詰めている。


「させるかあっ!」


 三人組の一人が放った炎の矢を、陵南の盾役が巨大なタワーシールドで容易く受け止める。その隙に、背後から回り込んだ斧使いが、無防備な魔術師役に肉薄する。勝敗は、誰の目にも明らかだった。


「……圧倒的ね。助けられるけど?」


 レオナが意見を求める。おそらく助けると言ったら物の数秒で五人組を叩き潰せるだろう。


「助けない。行くぞ。助けたところで明日は敵同士だ」


 これが、この演習の現実だ。リスポーンと言う制約がある以上、ここで叩いても本番までの時間で装備を整えて襲ってくるだけだ。不要な恨みを買ったチームは生き残れない。俺たちは、無言でその場を後にした。


 ---


 この行軍で、俺は一つの発見をしていた。

 チームの「目」として、レオナと土田の間に、図らずも理想的な連携が生まれつつあったのだ。


「……土田君、あそこ。何か光ったような……」


 レオナが、優れた動体視力で遠方の微かな異常を捉える。

 それを受け、土田が目を閉じ、『遠見』を行う。


「……間違いない。斥候だ。二人、木の枝に潜んでる。俺たちとは別の方向を警戒してるから、まだ気づかれてはいない」


 レオナが「何か」の存在に気づき、土田がその「正体」を正確に見抜く。この連携のおかげで、俺たちは一度も戦闘に陥ることなく、湿地帯の奥深くへと進むことができていた。

 では、俺は何をしていたかというと、実のところ、この索敵フェーズにおいてはほとんど何もしていなかった。いや、正確に言えば、俺の役割は少し違う。


 二人が集めてくる断片的な情報を聞き、即座に頭の中の地図と照らし合わせ、進むべきか、避けるべきか、あるいは叩くべきかを判断する。そして、手元の紙に敵の位置や地形情報を記録し、常に最新の状況マップを更新し続ける。


 一見すると、ただ二人の後ろをついていくだけの、最も楽な役回りに見えるかもしれない。だが、この地道なマッピングと冷静な状況判断こそが、この先の乱戦において、俺たちの生命線となるのだ。


 ケアパッケージ争奪戦という本番を前に、俺たち三人の連携は、最高の形で仕上がりつつあった。

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