弐 地盤固め
【壱】
三法師が明智に下ったとはいえ、その叔父である北畠信雄は、自身も賤ヶ岳では光秀に取り込まれたが、それはあくまで織田の血を少しでも残そうとしただけのことで、内では、弟である神戸信孝を討ち取った光秀のもとに天下が集まるのを良しとしなかった。
そのため、北畠信雄は、織田家の最大の盟友である徳川家康に援軍を要請した。
だが、当の家康は、援軍を出すか迷っていた。自分と信長の同盟関係は名だけであって、実態は主従であった。その信長を光秀が殺してくれたのだ。光秀には感謝する面の方が多かった。しかも、清州会議以来、光秀と親睦を深めていた。
家康は、色々考えた結果、援軍は出すが、援軍の大将を任せた酒井忠次に、相手が攻撃してくるまで攻撃を仕掛けるなとの命令を下した。それを、北畠方に知られないようにとの条件も加えてである。
一方の三法師は、信雄がなぜこのような行動をするのか、わけが分からなかった。信雄はもう織田家から北畠家へ養子に出ている、つまり、信長が信雄に家督は継がせないと、暗黙の了解をさせたのと同じである。
しかもまだ織田家の跡取りが決まっていないならともかく、清州会議で織田家の跡取りは三法師だと既に決まっている。その三法師に矛先を向けた者は、織田家の者にとって敵である。
つまり、信雄は織田家の家臣団を敵に回した。しかも、光秀も敵に回したため、拠り所がなかった。だが、唯一の拠り所は徳川家康である。
だが、徳川家康も援軍を出すかどうかを迷っている。信雄は、拠り所を失ったも同然であった。
その信雄が自分が織田家の当主になれないのを不満に思っているのだ。三法師どころか信雄の家老である津川義冬、岡田重孝、浅井長時までもが呆れ、次第にその家老たちの態度は冷たくなり、しまいには信雄を疎んじるようになっていった。
信雄を疎んじている津川義冬は、もと尾張の守護代の斯波家の血筋である。光秀はそれを利用して、信雄を滅ぼした折には清州城をくれてやると言った。義冬はそれに乗り内通した。岡田重孝、浅井長時も同様に、光秀に内通した。
それを感じた信雄も黙ってはいなかった。家老三人に光秀への内通の疑いをかけ、清州城に呼び出してだまし討ちにした。
これによって、信雄は自分の力を大きく削ぐこととなった。家康も呆れ、ついに援軍は出なかった。
信雄は家康からの援軍が来る前提で、犬山城の兵を抜いた自分の持つ全兵力である五万の大軍を引き連れて、三法師が光秀から預けられた岐阜城に侵攻した。
三法師は戦で初めて総大将となる。しかも、岐阜城には一万の兵しかおらず、信雄の軍とは五倍もの兵力差があった。
四歳になって少し物心がついてきた三法師である。人の言われたことに首を縦に振ったり横に振ったりするだけではなくなった。
その三法師は、岐阜城の中で軍略も得意で槍働きも得意な稲葉良通に総大将を任せ、自分はあくまで名だけの総大将となった。
三法師は、稲葉良通が総大将をすれば、徒に自軍の兵を減らさず、敵を少しでも撃破できれば、それだけの時間稼ぎができる。そこに光秀の家臣が援軍に来る。それが狙いであった。
時間稼ぎができれば、元々祖父の城、安土城の跡である八幡山城からの援軍も望める。そうすれば、明智軍が援軍に来て、岐阜城から挟み撃ちにすることもできる。若しくは、それを岐阜城の援軍としなくても、別働隊として信雄の本拠地である清州城、今回の戦で信雄が拠点としている犬山城を攻略することも不可能ではない。
しかも、八幡山城にはおよそ六万の大軍が置かれている。それが岐阜城の軍勢と合流したら、七万となる。七万と五万がぶつかり合えば全面戦争となり、両者甚大な被害を出すこととなる。だが、信雄の所領は清州城と犬山城だけで、軍勢も全面戦争のあと合わせて運が良くても二千ほどしか残らないだろうが、三法師及び光秀が率いることのできる軍勢は全面戦争で一人づつ相討ちになったとしても二万は残る。
しかも、光秀の軍事力からしてとても八幡山城ごときの軍勢が重きを置かれているとは思えない。安土城は光秀が討った信長の城である。その跡地である。普通の武将は、敵の城であったところには、あまり兵を置かないのだ。その理由は、あまりその地を理解していないからである。
光秀が普通の武将であるなら、八幡山城の兵は光秀の動員できる兵のごく一部でしか無い。光秀は謀反によって信長を討っているため安土城への登城経験もある。そのため安土城の構造を光秀はとてもよく理解している。形式上敵の城なので重きを置かないだけであった。
それに、今回の戦の総大将は子供の三法師だが、指揮を執るのは稲葉良通である。戦国三梟雄に数えられる斎藤家の家臣団の中で、美濃三人衆として重宝されたとても頭の切れる人間で軍略も得意なため、被害を最小限に収められる可能性が非常に高い。
また、幸運なことに相手も北畠信雄である。戦というよりは茶道などの京文化にふける人間で、戦場に茶室を持っていって茶会を開くほどであった。
槍働きは父の信長から戦場に連れて行きたくないと言われたほどであった。刀の稽古は体に木刀が当たるだけで毎回気絶し、槍の稽古さえも槍が重くて持てないと愚痴を漏らしたほどであった。
そのお世辞でも戦下手と言わざるを得ない信雄が率いる軍である。現時点で二万五千と被害は甚大であった。
だが、三法師の軍はまだ八千の軍が無傷でいた。
信雄は士気を高めるため、珍しく大声を張り上げ、雑兵に命令した。
「あんな小城一つに何を時間をかけている!さっさと攻め落とせ!稲葉と三法師の首を取ってきた者は百姓であろうとこの城の城主にしてやる!」
この声に雑兵は頭に血が上り、無理な攻撃を仕掛けては撃退される者が続出し、徐々に見慣れた光景になっていった。
良通はもう信雄軍には一万の兵も残っていないことを知ると、ほくそ笑んだ。
「信雄は父親より程度が低いうつけよの。同じうつけならば信長様や前田利家殿のほうがよっぽど優秀じゃ」
「叔父上は時代の読めぬ輩じゃ」
「そうですな」
突然三法師の知らぬ者が、会話に入り込んできた。
「行広」
「行広?」
行広という名前に、三法師は聞き覚えがなかった。そのため、思わず聞き返してしまった。
「氏家内膳正行広。美濃三人衆のときに同僚だった氏家卜全直元の息子だ」
「ああ、常陸介の」
三法師は、氏家卜全という名を聞いて、初めてわかった。卜全は、石山本願寺攻めのときに、本願寺とともに反信長勢力に加わった六角家の家臣である佐々木祐成に討ち取られた将で、戦がそれなりに上手く頭も切れる、理想的な武将の一人だと祖父の信長から聞いたことがあった。
安藤守就や稲葉良通とともに美濃三人衆と呼ばれ、斎藤家にいたときも、織田家に仕えてからも、各地を転戦し、武功を上げたことで織田家の中で家臣からも、信長からも一目置かれていた。
行広は、謀略の面ではその父に負けずとも劣らずであった。
その行広が良通や三法師が言ったことに同調したのだ。一同が言っていたことは当たっているも同然であった。
「良通、行広。少しいいか」
「いかが致しましたでしょうか」
「この戦に勝ったら元服しようと思う」
「元服!?」
「三法師様はまだ四歳にございまするぞ」
良通、行広をはじめ、元服の話を聞いていた者全員が反対した。それほど元服というのは四、五歳では早かった。
「今元服せねばする機会がなかろう」
「それはそうではございますが・・・」
「ああ、もう良い。お主らが反対するなら直接光秀に掛け合ってみる」
「それはお待ちくだされ!」
光秀に掛け合うと三法師が言った途端、一同が焦りだした。それほど光秀を敵に回すのは危険を承知のことだった。
「わかり申した。では、元服後の名を決めましょうぞ」
「稲葉殿!?」
「良いですか、三法師様」
「やはりお主は話のわかる奴じゃ」
「もったいなきお言葉。皆もそれで良いな」
「では、その時のために名を考えねばなりますまい」
良通がそう言うと、一同は熟考する。当然のことだ。それほど、名前というものは重要なのだ。
「信長様の孫としてふさわしい名前にいたしましょうぞ」
「そうですな。では、秀信などどうじゃ」
「亡き大殿、弾正忠信秀様の名前を反転しただけではあるが、信長様の孫としてふさわしいやもしれぬ、と思いましてな」
「では、三法師様が元服したときの名は織田秀信でよろしいか」
「よろしいと思いまする」
「阿呆。三法師様に聞いておるのだ」
「織田秀信。いい名ではないか。感謝いたす」
「かたじけのうございます」
その頃、信雄の軍は五千、三法師の軍は七千となっていた。
北畠信雄軍を一蹴した三法師は、光秀に名前、元服式共に許可をもらい、元服式を執り行った。
「秀信様」
「光秀様が主君なのだから様で呼ぶのはよしてください」
「・・・・・・では秀信よ。お主は・・・・・・」
光秀が秀信と話している中、秀満が光秀を呼んだ。
「義父上」
「どうした、秀満」
「北畠信雄様が来られました」
「何?信雄殿が?」
光秀が面会をしに行くと、そこにはぼろぼろの服を着た男が座っていた。
「まさか貴殿は・・・・・・」
「ああ、北畠左近衛権中将信雄じゃ」
やつれた男は、北畠信雄であった。
だが、にわかには信じられなかった。いくら戦で負けたとはいえ、このようにぼろぼろの服、穴が数か所に空いた袴、刀も持っていない武士など初めて見たのだ。
その姿は、どこからどう見ても一大名家の当主だった者には見えなかった。
「何故そのようにやつれてしまわれたので」
「清州城を追い出されたわ」
「誰に追い出されたのでございますか」
「滝川雄利じゃ」
「滝川一益の子でございますか」
「いかにも。父の滝川一益が織田家の中で行き場を失い、滝川家が没落したのはお主のせいじゃ、と言いがかりをつけてきたのじゃ」
「滝川雄利・・・・・・愚かなことを」
「そしてその言いがかりをまんまと信用した足軽共が同情して、儂が追い出された、といわけじゃ」
「全ては滝川一益が進退を誤っただけであるというのに・・・・・・」
「そこで惟任、お主に頼みたいことがある」
「何でございましょう」
「儂をそなたの家臣にしてくれ」
光秀は飲んでいた茶を吹き出した。
「何故でございますか」
「儂をそなたの家臣にし、儂に滝川雄利討伐の先鋒を命じてくれ」
「なるほど。手柄を立てて清州城を再び我が物にしたいと」
「・・・・・・」
光秀は、信雄の野望はなんとなくわかっていた。信雄は、父の信長から親子の縁を切るとまで言われた失態を冒した。
伊賀まで信長に無断で攻め入って大敗し、殿軍の大将まで討ち取られたのだ。これには己の子とはいえ、信長も己の子供ではないとして放置した。
それに光秀が、父親が憎いだろう、自分が信長を討ち取ったら一国一城の主にしてやる、と相談を持ちかけたら信雄は乗ってきた。そのため、信雄が光秀に刃を向けた理由も、父の信長を殺したからでなく、事前に知らされていない神戸信孝殺害のためであった。
「そういうことじゃ」
信雄は何一つ隠さず肯定した。その信雄に、光秀は一つだけ条件を提示した。
「家臣にするのはよろしいが、また今回のように私の城を攻めるなどのことはおやめくだされ」
「当たり前じゃ」
「互いに利益にならないので」
「それくらいのことなら戦下手の儂でもわかるわ」
信雄は、己が戦下手であることを自覚していた。
「では、また」
「お頼み申しますぞ」
光秀は、このようないいことがあった一方、過酷な状況にいた。
「光秀様」
「どうした、信澄殿」
「徳川権大納言家康様がお見えになられました」
「家康様が!?わかった。すぐに行く」
光秀は、暗殺されることを覚悟した。同盟者を殺されたのだ。恨みは甚大であろうと思ってはいた。今、殺される恐怖が押し寄せてくる。
だが、いざ面会しに行くとそこには、高騰する年貢から解放された農民のように清々しい、明るい顔の男の姿があった。
「徳川権大納言家康様でござるな・・・・・・?」
「いかにも」
「して、ご要件は」
「儂はまもなく四国征伐に動き出す。そのため惟任様に・・・・・・家臣になっていただきたい」
家康は何も隠さず正直に打ち明けた。
これを言われ、光秀は戸惑った。これから家臣にしようとしている相手に様をつけて呼ぶのだ。普通、ありえないことだった。
また、光秀はそこから本気で家臣になって欲しいと思っていることを察した。
光秀は、自分を必要な人材としてくれていることが嬉しかった。謀反人である自分を必要としてくれている家康が神のように見えた。自分を人材として欲してくれていること、何の物思いにふける事のない安寧な世を作り出そうとしていることだけで神である理由としては十分である。
だが、光秀のほうが家康よりも所領が数倍多かった。それを考え直した家康が、光秀に問うた。
「やはり厳しいか。すまぬ、惟任様。今言ったことは忘れてくれ」
「お頼み申す」
「は?」
「権大納言家康様の家臣となる件、お頼み申す」
「まさか」
「長宗我部侍従元親など、捻り潰して見せまする」
「・・・・・・ありがたや」
その時の家康は、まるで神の前で手を合わせるような姿であった。
「ただし」
「何でしょう」
「儂の今の所領の半分を従ったあとの儂の所領として残してくだされ」
「それより、惟任様の所領の半分も儂がもらってよろしいので?」
「領主が家臣より所領が少なかったら主君としての体面が悪くなるでしょう」
「まこと、かたじけなし」
この後、光秀は徳川家の家臣として活躍することとなる。
【弐】
四国周辺の元明智領を光秀と相談して我が物にした徳川家康は、長宗我部征伐のため、長宗我部の領地である讃岐、伊予、土佐、阿波のどこから攻めるかで迷い、家臣を召集した。
「長宗我部征伐の足がかりに讃岐、伊予、土佐、阿波のどこから攻めるか、誰か意見はあるか」
「無いのであれば、私が」
宿老の本多正信が手を挙げた。
「良かろう。では正信、申してみよ」
宿老の本多正信が意見を述べた。
「まず、本拠地の土佐は最後にしたほうがよろしかろう。最近まで敵の河野通直の領地であった伊予から攻めたほうが良いと思われます。敵地であったところではまとまった軍でも烏合の衆も同然。しかも、その足軽共も、元親に忠誠を誓っていることも無いと思われます。それはつまり、元親ごときのために命を捨てたくないということでございます。その者たちを撃破すれば、敵の士気が落ちるは必定。そのため、伊予から讃岐、阿波、土佐と攻めれば敵は滅ぶ、若しくは降伏してくるでしょう」
「さすが正信殿」
周りの将は正信の案を褒めた。それは、この作戦が失敗したら自分の責任になりたくないため、意見を述べないのであろう。
「では、正信の案を採用とする」
「待ってくだされ」
光秀が少し場を止めた。
「違う案があると言うか。良い心がけじゃ。では光秀、述べてみよ」
だが、光秀が発言しようとすることを、変な理由をつけて拒むものも少なからず居た。
「殿。この輩は謀反人にございます。長宗我部に通じてる可能性もありますぞ。謀反人が言う意見は信用なりませぬ。やはり、佐渡守殿の意見のほうが良いかと」
宿老の平岩親吉が妬みのような言葉を吐いた。
「親吉。お主は何を光秀に向かって妬いておるか」
「新参者ゆえ。しかも、光秀はこれまで恩あった主君を討ち果たすどころか、その子供まで襲撃して殺したのですぞ。そのような者の言うことなど聞いてはなりませぬ」
「良い。光秀の意見を聞くぞ」
家康は、己より領地の多かったにも関わらず、臣従してくれた光秀を信頼していた。
家康は、平岩親吉の讒言のような言葉に耳をふさぐような動きをした。その姿は、親吉を煙たがっているようにも見えた。
「かたじけなし。私は、正信殿と考え方は同じですが、攻める順番が違うのです。」
「攻める順番?」
本多正信本人も意味がわからなかった。
「はい。土佐の者共は自分の地を必死になって守りましょうが、その他の地はあまり守るのに必死になれないでしょう。なぜなら、讃岐と阿波は十数年ほど前は敵地、伊予に至ってはほんの最近まで敵地であり、敵は慕われないことのほうが多いからでございます。そのため、土佐を先に落としたら、そこから戦を有利に進められまする。私は、土佐から、そこから先はご自由に、と考えております」
「なるほど」
「流石でございます」
最初に意見を述べた本多正信も光秀の案を褒めた。
「光秀殿の案の方が勝機があるかと」
本多正信は自分の策より光秀の案の方が良いと述べた。
「勝機ならば正信殿の案でも高かろう」
平岩親吉が本多正信の案を褒めた。
「勝機という問題ではない。勝利も大事だが、被害を少なくして勝つことが重要だ」
親吉の考えを、家康は切り捨てた。
「では、光秀の案を採用ということで良いな」
「ははっ」
光秀は、このまま功が続いていき、宿老から妬まれることを危惧した。
長宗我部元親は攻められる前から焦りを見せていた。当たり前である。日本の全てを牛耳っているとも言える勢いを持っていた光秀が、家康に降伏したのだ。元親のみならず、全国の大名に激震が走った。長宗我部家の中でも、徳川派の者、長宗我部派の者とで血を流してしまったこともあったのだ。
光秀が家康に臣従したと知ると、元親は鎧と陣羽織を身にまとい、軍議を行った。
「光秀が徳川に降っただと!?家康め、死んでも降伏せんわ」
「・・・・・・兄上、それは城を枕に討死するしか選択肢は無い、ということでしょうか?」
元親の弟である香宗我部親泰が問うた。
「ああ、家康ごときに屈する膝など無いわ」
「そこまで言わなくとも・・・・・・」
元親のもう一人の弟である吉良親貞がため息をついた。
その後、元親はこう言って兵、家臣たちを鼓舞した。
「良いか!家康の軍勢に膝を屈した者は厳罰に処す!」
「兄上、それはいくらなんでも言い過ぎです!」
香宗我部親泰が兄に対して諌めずに怒った。
「それほど、我らの主君にはふさわしくない人間なのだ!」
元親も、親泰同様怒っていた。というよりも、今の元親は怒り狂っているとでも言ったほうが良いだろう。
元親は昔から強情っ張りであった。信長が四国攻めを計画していた頃、光秀が元親の元へ織田家と同盟を組んではどうかと提案をしに行った。だが、一時はうまく行ったが、元親の急な考えの変化で、光秀の努力虚しく、長宗我部は織田家に徹底抗戦する姿勢を見せた。このことは、信長にも、所詮は鳥なき島の蝙蝠と揶揄された。
「信長ならまだ考えてやったが、家康なぞ比べ物にならんわ」
「兄上、惟任光秀様がお見えになりました」
「惟任め・・・・・・!」
元親は渋々会いに行った。そこには、元親の知らない光秀が座っていた。
「どうかされたか?」
光秀の様子に、元親は何か、前にあったときとは違う雰囲気を感じた。
「なんのことであろうか」
「信長に従っていた頃のお前は、まるで誰かを、もしや信長を呪っているかのように、墨のように黒目の中が真っ黒だったが、今のお前は黒目の中に光を感じる」
元親が墨のように目が真っ黒と思うのも仕方のないことであった。これは、信長の折檻であろう、と元親も少しわかっていた。
信長の折檻、暴挙の話は周辺大名に響いていた。比叡山延暦寺の焼き討ち、諏訪での折檻、伊勢長島一向一揆の農民皆殺し。数多の折檻の話を除けば、仏教弾圧から派生したものが目立っていた。
「それが何か?」
だが、光秀の態度はその信長の折檻をも、忘れているようであった。元親が疑念を抱くのも無理はなかった。
「それほどいいか、徳川殿は」
徳川家康という人間について、元親は少し興味を持った。
「ああ。味方にいてあれほど頼もしい、心強いお方はいない」
「そうか」
「だが、敵を決してお許しにならぬ」
「・・・・・・」
元親は、光秀の言った敵が己であることを理解していた。
「味方に優しく、敵に苛烈。」
「・・・・・・」
元親は、家康の方が信長よりも落ち着いて奉公ができると確信した。信長は家臣への折檻が日常茶飯事と伝わっていた。そのため、家臣たちは信長の顔色をうかがって震えながら生活しているとも聞いていた。
光秀の話から、少なくとも家康はそのような人物ではないことは理解できた。だが、自分の領土をその者に献上してまで臣従するには、何かが足りなかった。
「降伏するなら今のうちですぞ」
悩む元親に、光秀が臣従を持ちかけた。
「どういう意味だ」
「この期を逃したらもう降伏しても貴殿が首を打たれるは必定。ご兄弟である香宗我部親泰殿、吉良親貞殿、子息の信親様や盛親様は転封か少しばかりの謹慎、蟄居は免れませぬやもしれませぬなあ。既に、貴殿の次男である香川親和殿は我らに通じております」
光秀は元親が情に流されやすい人間であることを知っていた。そのため、兄弟や子息を名指しし、その者たちに不利益なことを告げた。香川親和の降伏も、本当のことであった。元親に不利益なことを伝えて、上手く降伏してもらおうと考えていた。
光秀は降伏は無理でも、せめて同盟を組んで、協力体制をとってはもらえないかと考えていた。
元親は、こうした光秀の真意を汲み取ったのか、光秀の目を二、三秒間見つめると、こう言った。
「・・・・・・わかった。無駄に兵や長宗我部を死なせたくない。降伏いたす。それ故、惟任殿には権大納言家康様にとりなしてほしい」
元親は、己の判断、強情一つで家全体を滅ぼすくらいなら、と降伏を決めた。
「わかり申した。では、これにて」
元親は、降伏すると決めると、呼び方を徳川家康か徳川殿から権大納言家康様に変えた。
四国征伐は、何も戦がなく、調略と交渉のみで終わった。しかも、長宗我部は兵、武将、全て何も失わなかった。だが、戦うことこそが生き甲斐と感じている一部の将は、長宗我部降伏を交渉一つで終わらせた光秀に不満を持った。
駿府城に帰参し、家康に長宗我部降伏のことを伝えた光秀は、家康が立ち去るときに何かを呟いたことを聞き逃さなかった。
「侍従元親め。無理難題を押し付けてきよるわ」
それを笑いながら言っていたのを見て、無理やりな所領没収などはしないと感じた。
実際、長宗我部は本領安堵となった。その代わりに、元親は四国全土の絶対の安全を任された。
胸をなでおろす光秀に危機が迫っていた。
【参】
土佐から駿府に戻った光秀は、急に、室町幕府十五代将軍、足利義昭から呼び出された。
「今更将軍様が何の用でござろうか」
せめて山城に近い所で言ってくれていたら、と苛立つ感情を抑えつつ、光秀は仕方なく駿府城から馬を走らせ、室町御所に向かって行った。
後日、光秀が室町御所に到着すると、御所の門兵が光秀が来たことを確認、中に向かって走って行った。
「義昭様、明智光秀が参りました」
門兵が報告すると、義昭は何の躊躇もなく通せとだけ言った。
光秀は中に入ると、室町御所の変わり様に唖然とした。自分の働いていた室町御所からものすごく変わっていたのだ。
変わり様というより、三好家に庇護されていた足利義栄が将軍であった当時の室町御所は、三好家当主の三好長慶らが好きそうな趣向の飾り付け、どこか血生臭い、戦に生き甲斐を感じている血気盛んな武将たちが好きそうな外観の御所となっていた。
だが、今は完全に三好長慶と三好三人衆の岩成友通、三好長逸、三好政康から解放され、豪華絢爛な御所となっていた。
「久しぶりだの。惟任」
先に口を開いたのは義昭であった。しかも、義昭は光秀が惟任になったことを知っていた。
「お久しゅうございます」
「今日お主を呼んだのは他でもない。幕府の副将軍になってもらいたいのじゃ」
「何と」
「どうじゃ」
「・・・・・・」
「早う答えよ」
「辞退いたします」
光秀の答えに、その場にいた者全員が絶句した。義昭の周りに、面と向かって義昭に反対する者は居なかったからである。
「何故じゃ。遠慮は無用ぞ」
そう、義昭が思うのも無理はなかった。普通であれば断らないものだからである。
「私よりも良い方がおられる」
「どういう意味じゃ」
光秀は聞こえの良いように言ったが、本音としてそこに潜んでいるのは、お前の目は節穴である、ということである。
「東北で一二を争う最上義光様と伊達輝宗様、常陸を統一した佐竹義重様、房総半島を統一した里見義康様、関東全土を統一したと言っても過言ではない北条氏政様、北陸を統一した上杉景勝様、今や東海だけでなく近畿全土や四国全土も領土としている徳川家康様、若人ながら備前と備中と備後を治める宇喜多秀家様、中国の殆ど全てを牛耳っている毛利輝元様、筑前・筑後の秋月種実様、肥前・肥後の鍋島直茂様、豊前・豊後・日向の大友宗麟様、薩摩・大隅の島津義久様」
光秀は、今この日本に存在している大名の名を知っている限り挙げ、義昭に淡々と説明した。
このまま、光秀は続けた。
「いや、大友は異教にはまりすぎていて、島津も京から遠すぎる。最上と伊達は小競り合いで副将軍どころではなく、上杉と毛利は覇気がない。北条は侵略欲が異常なまでに強く、里見と秋月は勢力が小さい。これらはあまりおすすめいたしませぬが、とにかく、それらの優秀な人材を差し置いて私がその座に就くことなどできませぬ。それに、副将軍を求めるのなら、戦が強い方がよろしかろう。佐竹様か、上杉様か、家康様。若しくは紀伊の鈴木重朝様が良いかと。とにかく、私のような老いぼれが副将軍など務まりませぬ」
「まろの目が節穴と申すか!いくらお主といえども許さぬぞ!」
義昭が憤慨する中、光秀は冷静であった。
「まあ、簡単に言うとそうなりますな」
「もう良い!帰れ!」
「わかりました。では、次は戦場にて相まみえるやもしれませぬな」
光秀は憤慨する義昭が、短気な親父のように見えた。
光秀は山城から駿河まで馬を走らせた。帰ったときには光秀自身も、馬も、疲れ切っていた。
その頃、義昭は光秀への愚痴を漏らし続けていた。
「光秀め。まろが信長を殺せと言わなければ今の地位にはつけなかったであろう。惟政!光秀に謀反の兆しありと家康に言って参れ」
「は・・・・・・ははっ」
義昭は、愚痴を漏らしたとき、惟任と呼ばなかった。和田惟政は、恐らくそれほどにお怒りになっているのだと察し、何も言わず、ただ命令に従った。
そして惟政は、山城から駿府まで馬を走らせ、家康に光秀が徳川家に謀反を起こそうとしていると唆そうとしたものの、家康にそのようなはずは無いと言われ捕らえられ、伊賀衆の服部半蔵に首を打たれた。
惟政を失った義昭は、それからというもの乱暴になり、年貢の大幅増税や兵役免除の条件を厳しくするなどの横暴な政治をし、領民の一揆を招いた。
そうしているうちに家臣たちの心も義昭から段々と離れていき、ついには徳川家に寝返る者まで出てきた。
義昭は、信長のときと同じように、陸奥の南部信直、羽後の秋田実季、常陸の佐竹義重、備前・備中・備後の宇喜多秀家、安芸・周防・長門・筑前の毛利輝元、豊前・豊後・日向の大友宗麟、肥前・肥後・筑後の鍋島直茂、そして薩摩・大隅の島津義久を誘って家康包囲網を結成した。
だが、心から義昭に協力しようと思っているものは殆どいなかった。
毛利輝元は家康と仲が悪いから、毛利輝元と秋田実季以外の大名家は将軍に協力していた方が体面がいいから、そして秋田実季に至っては南部信直・佐竹義重という周辺有力大名が参加したからと、とても連合で何かをしようとするような集団とは思えず、寧ろ烏合の衆という印象が強かった。
これに対して家康は、一つ一つ屈服させていくことを選んだ。
そのためには、まず宇喜多秀家と毛利輝元を屈服させることにした。
領国の治安のため、人命のため、戦はできるだけしたくない家康である。軍備を整えつつも、まずは交渉で話をまとめようと思った。
その遣いには光秀を使った。
光秀は早速岡山城に行き、宇喜多秀家に降伏を提案した。
「本領安堵にいたします故、家康様に従ってはくれないでしょうか」
「本領安堵は本当なのだな?」
領国が他の大名家ほど多くない宇喜多家である。従うにしても、本領安堵は条件として欲しいところがあった。
その条件を、徳川の使者である光秀が携えてきたのだ。条件を飲む選択を口にしようとして口を開くより先に、光秀が口を開いた。
「それどころか一国増やしてくれるやもしれませぬぞ」
光秀は本領安堵以上の可能性を口にした。これによって秀家の臣従は頭の中で決まった。それを口にした。
「そうか・・・・・・わかった。権大納言殿にそうとりなしてくれ」
「わかり申した」
秀家は、家康の軍事力に抵抗したところでその未来は滅びしか無いと読んでいたため、早々に降伏することを選んだ。
「しかし、意外と返答が早かったですな」
「最早天下統一の夢は砕けた。それならば、少しでも多く、子孫たちに宇喜多領を残してやりたい」
「とても素晴らしい心がけと存じます」
秀家本人の口から降伏決定の言葉を聞いた光秀は、岡山城を出て、駿府城へと向かった。
光秀と同じことを思っていた秀家の後見役の宇喜多忠家は、秀家になぜ臣従を決めたのかを尋ねた。
「秀家様。先程の選択、早かったですな」
「徳川包囲網に参加しているのは体面のためだけで、私自身は大した理由は持っていない。有力大名の徳川家に今と変わりなく臣従できる。条件としては十分だ」
「しかし、幕府の味方でいたほうが良いかと思われますが・・・」
「先程言ったろう。今、天下を統一できそうにあるのは徳川家康殿しかおらぬ。最早天下統一の夢は砕けたのだ。しかも、この機を逃せば本領安堵で家康殿と関係性を保てる機会などもう無いだろう。そのほうが、私の望みである、子孫に少しでも多く所領を残す、ということができると思ってな」
そう言った秀家は、忠家に向かって笑った。
「そうした秀家様のお心もつゆ知らず、愚問でありました」
こうして秀家、宇喜多家は、徳川家の軍門に降った。
毛利輝元へは、話し合いの末に賤ヶ岳合戦時に家臣となった黒田官兵衛を向かわせることとした。
輝元との話し合いは難航した。
「本領安堵にいたします故、家康様に従ってはくれないでしょうか」
本領安堵という、降伏のときに一番欲しい条件を、輝元は頑として受け入れなかった。
「黒田官兵衛。もとより、お主の話は信用しておらぬ。とっとと儂の前から姿を消せ」
輝元は立腹した様子で、会見の場から出ていった。
「申し訳ありませぬ。黒田殿」
「小早川殿」
官兵衛と小早川隆景は、織田家臣時代、少し話したことがあった。その時話したことが思いの外盛り上がり、それ以来親交が深かった。
「おそらく、輝元様はお主を信用しておらぬのではない」
「と・・・・・・申しますと?」
「おそらくとしか言いようがないが、家康殿が信用ならぬのだろう。というよりも、単刀直入に申すと家康殿のことがお嫌いだ」
そのような話をしている中、輝元が入ってきた。
「先程儂が言ったことを覚えておらぬのか」
「いえ、拙者が呼び止めてしまいました故」
「隆景は黒田と何を話しておった」
「・・・・・・」
輝元は隆景を睨みながらこう言った。
「叔父上。まさか貴殿まで徳川と通じておるのではあるまいな」
「貴殿まで?」
隆景には訳がわからなかった。自分の元へ、他家の謀反の情報は少なからず耳に入っているが、毛利から徳川に寝返った者の情報は入っていなかったからである。
「先程連絡が入ったのだ。上月城、備中高松城の両城が徳川に寝返ったとな」
「まさか」
これまで寝返り寝返られを経験した官兵衛である。多少の裏切りは情報が入っていたし、仮に知らなくとも驚くことはなく、むしろ喜んでいた。
「それ故、徳川には断固として従わぬ。不満があるというのなら、我が首、取ってみるが良い」
輝元が部屋から出ていくと、官兵衛は吉川元春・元長親子に取り押さえられ、城門まで連れて行かれた。
官兵衛は、吉田郡山城にこう言い残した。
「この名城も、我が策のもとに消えるか」
官兵衛は、光秀を追うように、馬を走らせ、駿府へ向かった。
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