もし光秀が秀吉に勝っていたら 再編集版

DECADE

壱 時の変遷

【壱】

 信長の折檻はとても耐えられるものではない。明智光秀は、これまで幾度も信長に折檻された。

「金柑頭!」

 毎日のように怒鳴られた。

 信長の宴の席において、光秀は信長から七盃入りの大きい盃を呑むように強要された。

「信長様にそのような恐れ多いことをされるなど、思いもよらず」

 光秀が遠慮したところ、信長は突如脇差を抜いた。

「我が白刃を呑むか、この盃を呑むか」

 信長は光秀を脅した。

 中でも、特に甲州征伐のときはひどかった。反織田であった信濃の小領主が続々と織田軍のもとに降るのを見た光秀が、信長を持ち上げた。

「いやあ、上様の天下も秒読みでございますなあ。我々も骨を折った甲斐がござった」

 こう言ったところ、信長は光秀に激怒した。

「お前ごときがいつ、どこで、何をしたというのだ」

 これだけではない。欄干に頭を打ち付けられる、誰も見ていない所で頭を足蹴され、床に押さえつけられるなど、星の数とも言えよう折檻、暴力を受けた。

 天正十(一五八二)年、近畿方面軍を任じられた光秀は、信長に腸が煮えくり返り、ついに腹をくくった。光秀は本陣で、多くの家臣がいる中、大声を張り上げて一同に告げた。

「あの者は神や仏を敬わないにも程がある。儂の動きにて、皆、大義に目覚められよ。敵は本能寺にあり!」

 その場にいた家臣全員がその意味を悟った。

 本能寺には今、天下人たる信長しか居ない。信長は光秀の主君である。その信長を敵とする。つまり謀反である。

 光秀の娘婿の秀満は、何も反対せず、むしろ肯定した。

「義父上は信長を討ち取るのだ。これが成功したら後の世までの語り草だ」

 こう呟き、本陣を出ていき、軍の支度を整えた。

 光秀の軍は二万五千、その内訳は、光秀本軍が五千、秀満が四千、明智光忠が四千、光秀の重臣である斎藤利三が四千、妻木広忠が三千、溝尾茂朝が三千、藤田行政が二千である。

 本能寺に着いた光秀の軍は、信長が明らかに気付くような鬨の声を上げた。

 だが、それは、今の今まで寝ていた信長にとっては、何かの物音くらいにしか聞こえなかった。

 外から物音が聞こえてきたと感じた信長は、一人でこう思った。

「何じゃ、喧嘩か」

 だが、二度目の鬨の声は、明らかに、信長の耳にも鬨の声に聞こえた。

「何事か」

 小姓達に尋ねた。信長がそう疑問を抱くのも当然であった。山城の周りには織田家の敵がなどいない筈だからである。

「誰の謀反かは知れぬが、敵とあらば迎撃せよ」

 信長は、山城の周りに敵がいないことを知っていた時点で、謀反だと確信した。いや、それ以外の可能性が無いのである。

 信長は、唯一の寵臣である森成利、その弟の長隆、長氏を呼び寄せた。

「お蘭、坊丸、力丸、誰の謀反であるかは知れたか」

 その質問に対して、長隆と長氏は黙り込んでしまった。兵の数に動揺して、誰の軍か、どころではなかったからである。

 だが、成利は違った。

「私の目に狂いがなければ、見えたのは風に揺れる桔梗の旗。日向守、明智光秀の謀反だと思われまする」

 森成利の言ったことを聞き、信長は絶句した。光秀は自分の信頼していた家臣であり、羽柴秀吉の中国征伐に従軍して功を立てた折にはまた新しい領土をくれてやろうと思っていた矢先に、この知らせを聞いたからである。

 信長は本当にそうなのかもう一度成利に問うた。

「お蘭、見たのは本当に桔梗の旗印なのだな?」

「はい」

「だが、旗ならどうにでもなる。他の者が光秀を騙って攻めてきているのやも知れぬ」

 信長は、あくまでこの謀反は光秀のものではないと思った。いや、そう思いたかった。光秀は、己が家臣団の中で数少ない、心の底から信頼している家臣である。信長が心の底から頼りにする将など、織田家代々の宿老を除けば、秀吉、家康、光秀くらいであった。

 光秀への折檻も、光秀に成長して欲しかったがために、体にわからせた。織田信長という親が、明智光秀という子供に説教をしているようなものだった。

「いえ、私の考える限りそれはあり得ません」

 だが、寵臣である成利は、信長の考えを切り捨てた。

「何故であるか」

「恐らくこのご謀反、腹に据えかねた何かがあったとしか思えませぬ」

「腹に据えかねた・・・・・・」

「恐らく、信長様の折檻が原因かと」

「それか・・・・・・是非に及ばず!」

 信長は、本能寺から逃げる気はなかった。逃げても捕まるからである。捕まって恥を晒すくらいなら、此処で華々しく果てようと思った。

 何しろ、光秀に任せた二万五千の兵がこの本能寺を囲んでいるのだ。その包囲網を数人ごときで突破できるはずがなかった。

 弓を持った信長は、次々に光秀の軍の兵を射抜いた。

 信長の行動を見た小姓も、それに続いて次々に迎撃した。主君だけを戦わせるわけにはいかないという思いからである。

 こうして、当初は、信長は善戦していた。

 だが、そんなとき、信長に悲劇が訪れた。弓の弦が切れたのである。弦が切れた以上、その弓は使い物にならない。信長は、弓よりも効率よく敵兵を討ち取れる槍に持ち替えた。

 だが、悲劇はまた訪れた。今度は光秀の軍の兵が放った矢が、己の胸に刺さったのだ。

 そのような状況の中でも、信長は、必死に小姓たちを鼓舞した。

「魔王を簡単に討ち取れるなどと思うでないぞ」

 そのようなことを言っていた信長も、ついには力尽き、光秀ごときに首を取らせるなら、と別室に行くとそこで自害、最期まで一緒となった寵臣、森成利に命じてその部屋ごと爆破させた。森成利は、信長が籠もった部屋の前で安田国継の攻撃を防ぎきり、信長の最後を見届けた瞬間、安田国継に首を切られた。

 安田国継は、このとき成利に頬を噛まれた。それは段々と浮腫んでいき、この後、国継はそれにうなされて気が狂い、急死したという。

 本能寺での爆破には光秀の軍の兵士も少なからず巻き込まれ、信長が死んだ頃には、被害は九千人に昇った。

 諸大名を凌駕し、駿河、越前、近江、甲斐、丹波の名だたる豪族や大名どもを撃破し、小国であった尾張一国から天下に覇を唱えた、まさにその魔王に相応しい最期であった。


【弐】

 織田信長が山城本能寺にて非業の死を遂げたことを中国征伐の最中に知らされたある武者は、それを討った逆賊である光秀を討つことを決心した。羽柴秀吉である。

 秀吉は、織田家の中では信長から重用されていた。秀吉には子がないため、家臣たちに物を配ることを惜しまない。その貪欲さに、信長は、多少の失敗なら見逃してきたほどだった。

「日向守め、何故直々に信長様がお主を織田家臣に誘ったのかわかっておるのか。信長様はお主を見込んでおった。しかも、信長様はお主のために朝廷に掛け合って惟任の名までお主に褒美として与えた。そのお主に裏切られたとあれば、亡くなった信長様がうかばれぬ。今から逆賊明智日向を討つ!」

 秀吉をはじめとした数多の武将たちに天才軍師と言わしめた黒田官兵衛は、いま秀吉が言ったことに感服していた。

 秀吉は、惟任という名が光秀に与えられたのは信長が尽力したからだとわかっていた。そのため、惟任は信長への謀反人が名乗るべき、いや、名乗って良い名ではない。だから、秀吉は光秀のことを明智日向と呼び捨てにした。これに官兵衛は普通の将なら動揺しそうな環境においても、秀吉は動揺せず、物事を冷静に判断できる知将だと思った。そしてそれこそが、天下人の器量であることも官兵衛はわかっていた。

「秀吉様、よう申されました。それでこそ秀吉様でございます」

 天才軍師に褒められたことで秀吉はつけあがり、少し冷静さを失った。

「さて、明智日向を討つためには、この備中高松城をどうにかせねばならぬな。官兵衛、どう思う」

 冷静さを取り戻した秀吉は、そう問うた。

「城主の清水長左衛門宗治には死んでもらうしかなさそうですな」

 官兵衛は、織田家の中でも、少々非情な武将である秀吉の軍師であるため、非情なことを言うようになっていた。

「和睦の条件に切腹してもらうか」

「では、あの安国寺恵瓊という和尚のもとに行って参ります」

「頼んだぞ」

 秀吉は、官兵衛が帰ってくるまでの間に、古くからの家臣である蜂須賀正勝に戦支度を命じ、気を紛らわせるために横になった。

 官兵衛は、毛利軍の本陣に行き、安国寺恵瓊に会った。

「和尚殿、覚えてござるかな。黒田勘解由次官孝高にござる」

「久しぶりだの、官兵衛殿。何でござるかな」

 黙る官兵衛に向かって、恵瓊はこう言った。

「信長殿が交渉にご不満だったかの」

 恵瓊は、そのことを言った後に、こう釘を刺した。

「伯耆、出雲、美作。あれ以上は割譲できぬぞ」

「実は・・・・・・」

 恵瓊は唾を飲み込んで聞いた。

「信長様がお亡くなりになられた」

「なんと」

 恵瓊は絶句した。にわかには信じがたいことであったからである。

「本当か」

「ええ」

「何故じゃ」

「山城本能寺にて明智光秀が謀反。それにより非業の死を遂げられたと知らされております」

 この言葉を聞いた恵瓊は、光秀を散々に誹謗した。

「今になって信長殿のやってきたことを批判するのなら、その時に決別すればよかった筈。しかも、その謀反を信長殿のもとに天下が集まっている今行う先見の明の無さも論外。して、それを伝えるためだけにここに来たとは思えませぬ。」

「秀吉様が信長様の仇を討つのでござる。そのため、備中高松城をなんとかしたいと」

「ということは、清水宗治殿を切腹させるか、備中高松城から退去してもらいたいと?」

「秀吉様としては切腹してもらいたいようでござる」

 恵瓊にとって、いや、毛利家にとって宗治は戦に強い、必要な人材であった。その宗治を切腹させろというのである。返事に困るのも無理はなかった。

 だが、そのまま帰る訳にもいかない官兵衛である。最大の条件を添えて、恵瓊を説得した。

「秀吉様が、宗治殿を切腹させれば、以後二度として毛利を攻めないと申しておりまする」

 そこまで言われたら、恵瓊はわかったと言うしかない。今の毛利家にとって、一番起きてほしくないことは戦である。その戦をしないと言ってきたのだ。秀吉は、毛利家にとって救世主であると確信した。

「わかり申した。輝元様に言って参りまする」

 そして、恵瓊、いや、輝元からの返事が左様せいであったので、翌日、宗治は条件通り切腹した。それを見届けた秀吉は、すぐさま備中から出発した。

「儂は勝てるか」

 大返しを行っている秀吉はそれしか聞いてこなかった。

「私めの愚見を取り入れてくだされば」

 官兵衛も短く説明した。

「ははは、官兵衛の意見を愚見と申す輩は儂が許さぬわ」

 官兵衛は、秀吉ならわかっているだろうと、詳しくは説明しなかった。

 その頃光秀は、親しい者が多い摂津衆、姻戚関係を結んでいる長岡藤孝・忠興親子、筒井順慶、津田信澄に援軍を要請した。特に勝龍寺城を居城としている長岡藤孝は、光秀が室町幕府に仕えていた頃の同僚だった。

 本陣で、光秀は秀吉への愚痴を漏らしていた。

「筑前め。忠臣面しおって。何が忠臣じゃ。儂もそうだが、お前も最初から織田家臣ではないであろう。」

 確かに光秀の愚痴は正論であった。秀吉は農民上がりで最初から織田家の足軽になったわけではなかった。秀吉は最初、今川義元の家臣である松下之綱の家臣であったが、家臣団の中でものすごく才を之綱から評価され、他の家臣から妬みを買い、松下之綱に直々に松下家から出ていくと告げ、放浪したのち、織田家の足軽となった。

 正論なのだが、そのことを愚痴として吐き捨てている光秀も、元は織田家臣ではなかった。最初は、美濃の驍将、美濃の蝮と呼ばれた斎藤道三の家臣で、長良川の戦いで道三が討死すると、その子の一色義龍と対立し、斎藤家を出奔した。そして、次に越前朝倉家を頼り、そこで初めて当時は足利義秋と名乗っていた足利義昭に出会った。その後、義昭が朝倉家から出ていくと、義昭についていき、幕臣となった。そして、信長上洛の際、幕府との仲介役を務め、そのまま織田家の家臣となった。

 つまり、光秀も、秀吉のことは言えないのである。

 愚痴を吐いていたとき、そこに光秀の娘婿の秀満がやってきた。

「義父上」

「どうした。秀満」

「私達は主君に刃を向けて首を取りました。今、山城のみならず、織田家の領民が我らを嫌い、惟任日向守は信義というものが無い男だと陰口を叩いておりまする」

「それがどうしたというのだ」

「義父上?」

「今から中国方面軍の羽柴筑前が我らを仇とみなし、攻撃してくるそうだ。それを我らが迎撃し、捻り潰し、首を取れば、領民共も陰口を叩くことなどできまい」

「しかし・・・・・・」

「信長が天下人であった。その信長を討ったのだ。形だけでも儂が次の天下人だ。その天下人を討とうとしている羽柴筑前こそが謀反人。天下人が謀反人を討伐するのだ。それの何が悪い。まずは謀反人、羽柴筑前を討つための準備が必要だ。」

 信長が討たれた今、信長を討った光秀が次の天下人となる。その光秀を秀吉が討ったとあれば、今度は秀吉が謀反人になるのだ。そのため、織田の重臣連が織田家の天下を取り戻すのなら、秀吉はここで討たれるしかないのである。光秀は、その謀反人を討つための準備が必要だと言った。

「準備?」

 秀満には、光秀の言っていることがわからなかった。そのための準備とは、具体的に何をすればよいか、あまり経験の豊富でない秀満である。硬直してしまうのも無理はなかった。

「戦には人と金がいる。まずは人だ。我が軍は一万六千。それに加え、長岡殿、筒井殿、四国方面軍を命じられている織田一門の津田信澄殿の援軍を合わせると三万六千。対する秀吉は三万だという。しかし、儂らは姻戚関係ということで結束も硬い。それに対し秀吉の軍はいかにも烏合の衆にしか見えぬ。摂津衆にも秀吉に出陣の要請をされても絶対に受けるなと言ってあるしな。油断さえしなければ、儂らの勝利は間違いない。」

 光秀は秀満を淡々と説く。それが、秀満が油断する原因となった。

「ならばそれだけで・・・・・・」

「甘い!」

 光秀が秀満を制した。

「儂はなんと言った!?戦には人と金がいる、と申したであろうが!」

「申し訳ございませぬ。」

「金があることは勝利にも関わってくる。いや、直結する。兵は金で雇われていて、恩賞も金なのだからな。しかも、金があればいざ兵糧が足りなくなっても買うことができる。それらができなければ金で雇われている兵などあっさりと逃亡するわ。」

 光秀は秀満を叱りながらも、策を話し続けた。

「義父上の気持ちも察せず、申し訳ございませぬ」

 秀満は己の情けなさに、光秀に頭を下げているとき、涙がこぼれそうになっていた。

 秀吉が攻撃したことで戦は始まった。

 だが、正直なことを言うと、山崎合戦で秀吉に勝ち目はなかった。いや、もう少し秀吉が勝つために尽力していれば、勝てたかもしれなかった。

 秀吉は、本陣でこう呟いた。

「摂津衆に筒井や長岡からの援軍・・・勝ち目は無いな」

 その言葉に、その場にいた全員がうなずいた。

 しかも、光秀の方には室町幕府の征夷大将軍、足利義昭も参陣しているのだ。摂津衆を説得しに行かなかったことの後悔が秀吉を襲う。

 秀吉が光秀本隊を攻撃したのを合図に筒井軍、長岡軍、津田軍の連携によって羽柴軍を包囲する。羽柴軍は周りの目の前の軍に気を取られ、背後の軍に気付けなかった。羽柴軍はことごとく蹂躙された。羽柴軍の生き残りの周りには、屍の山があったという。

「これでは埒が明かぬ。皆の者!一時撤退じゃ!陣形を立て直す!」

 秀吉は、声を枯らしながら、全軍に命令をした。

 羽柴軍は命からがら撤退した。自軍の本陣にたどり着いたはいいが、そこに足利軍が待ち構えていた。

「筑前殿。お待ちしておりましたぞ」

 秀吉の軍は足利義昭の大軍に見事に殲滅された。

 秀吉は、山崎から撤退したものの、思わぬ死に方となるのだった。だが、そのことを、まだ誰も知らない。

「秀長。鬼柴田か金柑頭だったらどちらに降る。儂はどちらにも降る気はないが」

 秀吉は、逃げる途中、小栗栖に来たところで、己より賢しい弟にこれからの行き先を訪ねた。

「柴田と明智・・・・・・。実力によりまする」

 秀長はいかなる時も冷静であった。金ヶ崎合戦での殿のときも、窮地に陥った秀吉のみならず、秀吉を補佐する役割にあった光秀の軍も補佐し、見事被害を最小限にして殿をやり終えた。

「それもそうよな・・・・・・うっ」

 秀長の言葉に笑っていた秀吉がもがきはじめる。まるで、敵兵に体を貫かれている者のようである。

「兄上?兄上!」

 秀長はわけも分からず、秀吉の方へ駆け寄る。そこには、大量出血して意識が朦朧とし、目の焦点が合っていない状態で仰向けになっている秀吉と、血を弄ぶ落ち武者狩りの土民の姿があった。

 後日、その場所から横死したと思われる屍が発見された。秀吉であった。その屍を調べた光秀は、陣羽織の中に紙が入っていたことを見逃さなかった。それは柴田勝家からの文であった。

「筑前。お主だけでは逆賊明智日向を討ち果たせぬやも知れぬ。だが、この鬼柴田の手にかかれば、奴など赤子も同然。共に信長様のご恩に報おうぞ。柴田修理亮勝家」

 柴田勝家。光秀にとって厄介な敵が増えた。だが、文面から見て恐らく本心ではないと、光秀には感じられた。

 秀吉が負けたことで、黒田官兵衛、福島正則、加藤清正ら秀吉家臣団の武将は一時的とはいえ勝家の元へと逃れた。弟の秀長は、秀吉が横死した地で殉死したとの情報が入った。秀吉と違って賢しいと評価された将の最期であった。 

 その兄である、主君のために命をかけた武者、秀吉は、弟に比べてあっけない最期であると噂されるようになった。

 山城でそのようなことが起こっている中、信長の次男である北畠信雄の本拠地である清州城にて、会議が行われた。

 この会議には、城主である北畠信雄を始め、重臣である丹羽長秀、信長の乳兄弟の池田恒興、織田家の家老の筆頭である柴田勝家、織田家の同盟者として徳川家康が参加した。

「では、これより織田家の当主を誰にするかを話し合っていく」

 一番最初に柴田勝家が口を開いた。これは、これからの織田家の実権は自分が握るとの意思表示である。

「まっとうな考え方ではここにおられる信雄様が一番当主に相応しいと、儂は思っておる。皆様方。どう思われるかな」

 そう言ったのは柴田勝家であった。

「私はそれに賛成でござる」

「私は織田家の血筋の者なら誰でも」

 そう、丹羽長秀と池田恒興が言った。それに北畠信雄が応じた。

「皆がそう申すのであれば、この不肖信雄、父が成し得なかった・・・」

 だが、その信雄を、柴田勝家が止めた。

「儂がそう申しておいて何なのだが、信雄様は既に北畠家に養子に出ておられる。長男信忠様は本能寺の変の際にお討死、三男信孝様は神戸家に、四男秀勝様も羽柴家に養子に出て、山崎合戦でお討死なされた。今、織田家に残っているお人は殆どおらぬ」

「勝家、無礼であろう」

 信雄が立腹した。

「信雄様、落ち着いてくだされ」

 池田恒興が信雄を諌めた。信雄は、恒興だけは敵に回してはならないだろうと、恒興の言うとおりにした。

 勝家は、信雄を無視して続けた。

「その点に関しては、養子に出ている家に許しをもらい、織田家に戻ってもらうしか・・・・・・」

 その話が出て、今まで口を開いていなかった徳川家康が口を開いた。

「皆様方、この会議は織田家の跡取りを決める会議ではないのか」

 この言葉を聞き、柴田勝家は呆れた。

「わかりきったことを申すな」

「では、言わせていただこう。織田家の跡取りなのであれば、信長様の跡ではなく、信忠様の跡ではないのかな」

「おお・・・・・・」

「な・・・・・・」

 家康の言葉を聞いた一同は、言葉を失った。その中でも、家康は続けた。

「信長様は既に織田家の当主を信忠様にお譲りになられていた。ならば、その信忠様の子を、当主に据えるのが筋と存じまする。どうかな、池田殿」

「三法師様のことはおろか、信忠様のことを忘れておったとは、池田恒興、不覚であった」

「どうかな、柴田殿」

 だが、その時の家康は、提案するようなやんわりとした顔ではなく、恐喝する者のような目つきであった。

「良かろう」

 柴田勝家が、苦虫を噛み潰したような顔でうなずいた。

「では、三法師様を連れて参る」

 そう言って、家康は三法師を連れてきた。そのとき、家康は柴田勝家の前を通りかかった。その時、柴田勝家がこういったのが聞こえた。

「家康め、最初からその気であったか。同盟者の分際で家臣でもないのに、偉そうな顔をするでないぞ」

 だが、家康は、そのようなこと、痛くも痒くもないという顔で三法師を抱いていた。いや、浮かべていたのはむしろ笑顔であった。

 織田家の当主は三法師となった。

 もちろん、この行動は柴田勝家の不満を招いた。だが、家康にはその不満をものともしない実力と勢力、武力があった。

 反柴田勝家となった光秀と家康は、共に柴田勝家を討とう、と密かに親睦を深めていった。


【参】

 山崎合戦で秀吉を打ち破った光秀は、その矛先を柴田勝家へと向けた。勝家は、まだ天下は織田家のものだと思いこんでいた。

 だが、妄想と現実は違う。光秀は現実を直視する人間である。柴田勝家のような、己やお家のいいように、勘違いして妄想する人間は気に食わなかった。そのため、討ち果たさなければ、勝家は、天下はまだ織田家のものであると考えて、光秀に反抗しかねなかった。こうして、柴田勝家を討伐すると光秀は決めた。

 一方、勝家は、天才軍師と呼ばれていた黒田官兵衛が降ったことで、自分に天下人の器量があると勘違いし、狂喜乱舞した。だが、当の官兵衛にはその気は全く無く、むしろ主君であった秀吉の仇討ちに勝家を利用したいがために頭を垂れただけだった。

 秀吉を打ち破り、信長の次男の北畠信雄を取り込んだ光秀の領地は、尾張国、大和国、紀伊国、和泉国、河内国、摂津国、山城国、若狭国、丹波国、丹後国、播磨国、但馬国、因幡国、美作国、備前国、備中国、備後国、伯耆国である。主に近畿から西が光秀の領地であった。

 それに比べて勝家の領地は、美濃国、飛騨国、越中国、能登国、加賀国、近江国がいいところである。領域の広さのなさに加え、雪国という負担を強いられている北陸が勝家の領地であった。

 領域に大きな差がある。即ちそれは、動員できる兵の数も、光秀の方が多いということである。

 織田家の最大の同盟者であった徳川家康は、同盟者でありながら自分を支配し続けてきた信長を討った言わば恩人とも言える光秀につくか、だが、表向きは織田家とは同盟関係であるため、信長の重臣である勝家につくか迷っており、あくまでも中立であるという意思を示した。

 ちなみに、家康の領地は三河国、遠江国、駿河国、甲斐国である。今川家臣時代から領地だったのは三河国、今川家を滅ぼしてからは遠江国、武田家を滅ぼしてからは駿河国と甲斐国を領地とし、そのたびに本拠地を変えてきた。

 そのため、家康は色々な地形を理解している。そのため、戦ではどのような恩賞を与えてでも欲しがる、必要とされる人材であった。

 諸大名を凌駕していた信長も、ものすごく小さい大名であった徳川家と同盟を組んでいた。それほど、信長から重宝されていた。

 それに、家康は滅ぼした家の旧臣を、できる限り召し抱えている。こうして、自分の滅ぼした家の統治の仕方や軍略を学ぶのだ。

 そのため、様々な策で領民を上手く操ることができる。その手腕に、色々な大名家が同盟関係を求めた。だが、信長が死んだ時点で家康が同盟関係を結んだ家は、織田家と真田家のみであった。

 しかも家康は調略に長け、甲州征伐の際に武田信玄の甥である穴山信君を寝返らせるなどの策士であった。

 家康と同じように調略に長けた者は光秀の方が多かった。光秀をはじめ、娘婿の秀満、京極高次、長岡藤孝と忠興親子、三梟雄に数えられる、松永久秀の攻撃を幾度も退けた筒井順慶らである。特に筒井順慶は僧侶であるため教育もよく受けており、教養や世間話が割と結果を左右する寝返り工作に使うにはうってつけであった。

 だが、戦に長けた者、力押しが強い者は勝家についた者の方が多かった。鬼柴田と畏れられた勝家本人だけでなく、勝家の甥で鬼玄蕃と畏れられた佐久間盛政、盛政の弟で柴田勝家の養子である柴田勝政、秀吉子飼い武将一と言われた福島正則、正則と一二を競った加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元、川並衆の親分である蜂須賀正勝、信長の子の中で武力も統治力も信長に最も似ていると言われている神戸信孝らである。

 しかも、勝家には秀吉から天才軍師や鬼才と称されていた黒田官兵衛が味方しており、最強の軍団とまで言えるほどであった。

 早朝、勝家は光秀への襲撃を決めた。

 柴田勝家は光秀の軍への襲撃を決め、黒田官兵衛、神戸信孝ら自軍の諸将を召集した。

「儂は逆賊明智日向めを攻撃し、殲滅し、首を取る。そのため、被害を最小限にするための策が必要だ。」

 言葉を選んで発言してはいるものの、実態は最強の策を提案しろということである。

 勝家は、なかなか諸将から案が出ない中、官兵衛に目を向けた。

「官兵衛。お主は如何様に考える」

「兵を分割させて、それぞれに勝手に攻撃させるとよろしかろう」

「官兵衛よ。ふざけておるのか?」

 しばらく官兵衛と勝家の会話が続く。

「いえ、決してそうではございませぬ。柴田軍が少人数で攻撃してきたとなれば、必ず相手は油断しましょう。そして、準備周到な我らの軍が猛攻する。さすれば、相手は満足な抵抗もできず、大損害を出しましょう。そうすれば我らは被害を少なくでき、相手に甚大な被害を出すことができます。必勝法ではございませぬか」

「成程、一理あるな。よし、官兵衛の策を採用する。皆、心がけよ」

「ははっ」

 この策を官兵衛が提案したのは官兵衛が光秀に降り、既に光秀の家臣となっていたからである。頭を垂れた当初から官兵衛は、勝家には天下人の器量など微塵もないと思っていた。それが実際そうなのだから官兵衛にしてはたまったものではなかった。

 実際そうと言っても、少しでも賢しいところがあれば良かった。だが、勝家には特筆すべき賢しいところもなかった。

 己は織田家の家老の筆頭だということを振りかざし、兵を多く動員し、それを徒に死なせる。その醜態に、官兵衛は呆れたのだ。呆れるどころか、己の軍略で殺してやろうと思った。

 そのため、自分が天下人の器量があると見込んだ秀吉を討った、光秀に仕えた方が自分の力を存分に発揮できるとわかっていた。そのため、勝家には負けてほしかった。勝家からも負けたいのかと聞かれるほど一見負ける確率の高い案を提案した。これは官兵衛にとって、己が身を賭けた博打である。

 官兵衛は、光秀の軍の本陣に到達した。

 それを光秀が出迎えた。

「官兵衛。それらしい策は伝えてくれたか?」

「ええ。勝家は戦馬鹿でございますゆえ、私の言った策をまんまと信じ込んで、その策を採用したのでござる」

 官兵衛は笑いながら光秀に告げた。その笑いは、ただの笑いというよりも、悪魔の笑い、そう、信長が何かを企んだときの笑いに近かった。

「そうか。して、どのような策を提案したのだ?」

「ここの山に光秀様が陣を敷かれるのです」

「なぜだ?」

「勝家にはここの山に光秀が陣を敷くと嘘の情報を伝えたからです」

「それを本当にしてしまおうということじゃな?」

「やはり私の策をわかってくださるのは半兵衛殿と秀吉様と光秀様だけでございまする」

「そういう話は良い。肝要なことは勝家の軍はどのようにして儂が陣を敷く山に攻撃してくるのかだ」

「精鋭部隊五百人を十隊ほど引き連れてそれぞれに勝手に攻撃させると」

「精鋭部隊五百に好き勝手に攻撃させるなどと・・・いや、単細胞の勝家ならそれらしい理由をつければ納得するであろうな・・・それも官兵衛が?」

「ええ。これまたそれらしい理由をつけて」

「お前はそれらしいという言葉が好きなのか」

 信長の家臣だった頃は笑顔などなく、常時顔がひきつっていた光秀が官兵衛の前で呵呵と笑った。

「五百人の精鋭部隊十隊を迎え撃てと」

「相手はこちらは人数が少ないと油断していると思っております。そのため、全力で攻撃してくるでしょう。私達も全力で相手をせねば勝てる戦も勝てませぬ。勝家、いや、あやつの軍ごとき、鉄砲の釣瓶撃ちを射かければ容易く崩れまする」

「そうだな。確かに、奴は鉄砲の防御は大の苦手であったな。して、官兵衛はどちらの武将として出陣するのだ?」

 官兵衛は、名だけは勝家の軍の軍師である。官兵衛がこの戦にどういう形で参加するのかが、光秀の軍にとっても、勝家の軍にとっても、勝利に関わることであった。

「一応勝家の家臣として出陣いたします」

「一応とな?」

「途中で勝家のみならず光秀様も驚かせてみせまする」

「楽しみだ」

 官兵衛は、一度従ったが、すぐに見捨てた勝家を呼び捨てにしていた。それと同時に、光秀に敬称をつけていた。

 柴田勝家は攻撃を仕掛けぬだろうと光秀は踏んでいた。北陸は雪が深い。除雪しながら進むか、雪が溶けるのを待って出陣するしか、攻撃を仕掛ける方法はなかったからであった。

 光秀の思惑通り、辛抱の嫌いな勝家は、除雪をしながら出陣し、光秀に攻撃を仕掛けた。そこから戦は始まった。

 だが、勝家は、己が光秀の策にはまっていることもつゆ知らず、それぞれ好きなように攻撃すれば良い、光秀の首を取ったものには光秀の領地から一国を与えてやると、完全に戦勝気分に浸っていた。

 それぞれ好きなように攻撃すれば良い。これを良いように取り、官兵衛は、その場から一寸も動かなかった。官兵衛がこの案を提案したのはこのようにする目的もあった。

 光秀はこれを好機として、勝家の軍の中で勝家と同じ、官兵衛が言うところの戦馬鹿で挑発に引っかかりやすい佐久間盛政隊、柴田勝政隊、神戸信孝隊に目を向けた。

「お主らの殿はお主らの命など何とも思っておらぬ。大人しく討ち取られるが良い」

 この言葉に、佐久間盛政隊、柴田勝政隊、神戸信孝隊の足軽たちは動揺、混乱した。そして、勝家の軍の足軽と同士討ちを始めた。

 しかも、佐久間盛政は討ち取った将の首実検を行うなど、戦勝気分に浸っていた。そこに光秀の讒言に引っかかったのだ。油断していると、必死に戦う者に満足に抵抗できない。柴田勝政隊、神戸信孝隊よりも混乱し、一時的にその場所に留まり、兵たちを落ち着かせることとした。

「皆の者!この賊の言うことは嘘ぞ。落ち着け!支えよ、支えよ」

 佐久間盛政は、必死に兵たちを落ち着かせようとしたが、なかなか落ち着かず、長い時間その場所に留まることとなった。

 だが、戦の最中である。時も、敵も、状況を選んではくれない。動かない、いや、動けない佐久間盛政の軍に光秀がつけ込んだ。こうして、勝家の軍の中で武勇を誇っていた武将が撃破寸前となった。柴田勝政は、兄である佐久間盛政を見捨て、撤退した。柴田勝政は、本拠地に戻ると、光秀に降った。

 この知らせに佐久間盛政の軍は一気に士気をなくした。

 そこに光秀の軍が追撃し、動揺している敵に平常心の敵が攻撃を仕掛けたところで被害を増やすだけであった。当然のようだが、佐久間盛政は討ち取られた。

 このようなことが起こっているとき、神戸信孝はよく耐えたが、兵が底をつき、自身も長槍を振るって抵抗したが、背中の防御が薄くなった刹那、ついに討ち取られた。信長に子の中で最も才を評価され、最も信長に似たと言われた青年武将の最期であった。

 その惨状を見て、勝家は、一寸たりとも動かない官兵衛に謀反の疑いをかけ、本陣に呼び出し、怒鳴った。

「官兵衛。動かないとはどういう訳じゃ。まさかそなた、光秀の方に寝返ったのではあるまいな」

「貴殿が好きなように動けと申されたのでございます。好きなように動けとの命令を守った私が咎められるとはどうにも合点がいきませぬ。あと、勘違いしているようなので言っておきますが、私は貴殿の家臣ではござらぬ」

「謀反人じゃ!黒田官兵衛という謀反人が出たぞ!」

 勝家は、自軍の全軍に向かって叫んだ。

 勝家を論破して激昂させた官兵衛は、こう呟いて自軍の本陣を去った。その呟きは、勝家への精一杯の侮蔑であった。

「貴殿は織田家の当主ではない。思い上がるなよ、たわけが」

 あくまで、勝家は織田家の家臣でしかない。信長の妹を妻としただけで、信長から特別に織田家の一門と認められたというわけではなく、ただ織田家の重臣の家老の筆頭というだけだった。つまり、官兵衛は謀反したのではなく、仇討ちの軍から離脱しただけのことである。

「儂は織田家の家老の筆頭じゃぞ。裏切り者の末路、許しがたいものぞ。そう思いませんか、三法師様」

 勝家に話しかけられてもわけの分からなかった三法師は、ただただ首をかしげるだけであった。

 ただでさえ相当な数の武将を失っているのに、天才軍師が自軍から離脱したのだ。そこに光秀の全軍が正面切って突っ込んできた。皆、動揺するのは当たり前であった。

 勝家の人質も同然であった三法師は、柴田家の本陣から出ていった。しかも、勝家の愛刀を盗んでである。

 柴田本陣から出ていった官兵衛と三法師は、明智本陣に入っていった。

「柴田軍から追放されました。他の織田家臣団には白い目で見られ、知人である明智様以外に行く宛もなく、こちらに参った次第です。三法師様、いかに爺様、父上様の仇とはいえど、天下は今や、この御方の元へ集まりつつあるのです。もし父と祖父の仇ということで恨んでおったとしても、この方が天下を取って世が安定してからにいたしましょう」

 官兵衛は淡々と三法師を諭した。

「三法師でございます。織田家の当主面をする勝家に呆れてここに参ってきました」

「そういうことでござったか・・・・・・」

 光秀は唖然としていた。自分が殺した信長の孫である三法師が降るどころか挨拶に来るとは夢にも思っていなかった。その前に、自軍の本陣に官兵衛以外の柴田軍武将来ること自体が想定外であった。

 その三法師が自分の家臣になりたいと言ってくれたのだ。迎え入れるのを検討するどころか、唖然とするのは当然のことであった。

 一方、心の底から勝家を嫌っていたが、三法師がいたから仕方なく柴田軍についていたという武将も少なくなかった。主にそれは秀吉の子飼い武将である。

 それらの武将は、三法師が光秀方についたと知ると、次々に光秀方に寝返った。

 それを見て、勝家は撤退を決意した。

「儂の本拠地の北ノ庄城に撤退じゃ!皆の者!心して儂について参れ!」

 こう言って、勝家は本拠地の北ノ庄城に軍を撤退させた。

「よし、もう少しで北ノ庄城じゃ。安心せい。これで籠城するぞ!皆の者!籠城の支度をせよ!」

 だが、勝家に思わぬ事態が発生した。

「敗者を入れる城など、この越前には無い!皆の者!農民の恐ろしさを見せつけるのだ!行くぞ!」

 このように、賤ヶ岳での敗北を聞いた北ノ庄城の領民たちが、理由など言わずもがな、一揆を起こしたのだ。

「皆の者、焦るな!金沢城に行くぞ!」

 領民から入城を拒否された勝家は、金沢城へ進軍しようとしたが、光秀の軍から逃げるのに必死だったため、兵が疲労困憊しており、鬨の声も出せぬ状態であった。

 そこに光秀の軍が追撃してきた。疲労困憊した兵など、ただ追ってくるだけの光秀の軍には相手にならなかった。それでも、勝家は最後の意地だと応戦した。

「皆の者!焦るな!支えよ、支えよ」

 だが、農民一揆と光秀の軍に挟み撃ちにされた勝家は、もう、既に迎撃などできないほどに兵の数を減らされ、討って出たところを島清興に首を斬られた。鬨の声を上げた後、光秀、秀満、清興は順慶の念仏に合わせて勝家のせいで死んだ兵を弔った。

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