第32話 生還
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瞳を開いたオレの目の前に真っ白な天井が飛び込んでくる。その真ん中には二本のLED電灯。見るともなしに見つめながら、先ほどの光景を思い出す。
あれは、夢だったのか。それとも――。
「! 起きたか!!」
「よかった……本当に……」
声がした。あまりにもよく知ったそれに、
「父さん……母さん……」
首だけを向けて、力なく呟いた。
「親一郎、大丈夫? これ、何本に見える?」
突如、目の前に差し出された二人の人差し指に、
「……に、二本」
ぱちくりと目を瞬かせた。両親が揃って長い息を吐き出す。肩をぐっと下げて、「よかったぁぁあ」と、洩らした。
父さんも母さんも、仕事の最中に呼び出されて来たのだろう。どちらもスーツを着ていた。父さんは薄くなってきた額に震える指で触れ、母さんは度の強い眼鏡を外して、レンズを拭う。
ばつが悪くなって、オレは少し顔を背けた。
「……桜絵は……どうなったの?」
視線を戻した途端、二人とも頬肉を噛んでいるかのような表情になる。少し俯くと、
「みくちゃんは……まだ手術が続いていて……父さんたちにも、わからないんだ……」
完全に顔を伏せた。
「……そう、か……」
覚悟はしていたが、いざ言葉で聞くと堪えるな。
そういえば、オレが意識を失ってから、どれほどの時間が経っているのだろう。聞こうと口を開きかけると、
「失礼します。そろそろ、面会時間が終わってしまうのですが……あ、起きたのね」
喋りながら、一人の看護師が入ってくる。胸にファイルを抱いたその人物は、驚きと安堵とが混ざった表情をして、オレの方へと近づいてきた。
「はい! つい今目を覚まして」
「本当に、ありがとうございました」
興奮気味にそう話す両親に微笑みかけると、看護師はオレに体温計を手渡して来た。
「よかったわ。だけど、軽かったとはいえ、脳震盪を起こしていたのだから、まだまだ油断は禁物よ。今夜はもう面会時間も終わるし、君も今日は入院してね」
「も」という言い方に、眉根がぴくりと動く。
「あの、オレと一緒に運ばれた女の子がいたと思うんですけど……その子って……」
おそるおそる尋ねたオレに、
「ああ、あの子ね。ついさっき手術が終わったところだけど、まだ意識は戻らないわ。でも、手術自体は成功したから、大丈夫よ。だから、まだ会ったりは出来ないけれど、安心して。命に別条はないわ」
その言葉に詰めていた息を長く吐き出した。
「……よかった……」
ピピピピという電子音が脇から響く。
「うん。熱もない。頭は痛くない? 吐き気や、めまいはない?」
看護師が手元のファイルに何かをさらさらと書くのを見つつ、すべてに「はい」と返した。
「うん。よかった。君といい、あの子といい、運がいいね。あの子も、臓器の近くを刃が通っていたけれど、どこの臓器も傷ついてなかったの。まるで、何かに守られているみたいな回避の仕方だったって、執刀医も言っていたほどよ」
「何かに……守られて……」
反芻して、あいつの顔が浮かぶ。先ほどまであんなに不思議な体験をしていた分、その言葉は、すとんと胸に落ちた。
「ただ、出血量が多かったから、目覚めるまでは……早くても二、三日はかかるんじゃないかしら」
カーテンが再びふわりと揺れた。四人同時にそちらを見る。が、開くよりも先、何かが床に落ちる音が響き、
「あーー!! すみませんすみませんんん」
「お前、おれの足踏んでる! いてぇ!」
「礼二、静かにしろ。他にも人がたくさんいるんだぞ」
「いや! 原因作ったの、まつり!」
オレは、両親と顔を見合わせた。ゆっくりと半身を起こす。途端に、カーテンが開かれた。誰かはもうわかっていた。けれど、自然と声は弾む。
「河東! フユ! 小向井!」
「起きたんだな! 親一郎!」
「……藤崎……」
「親くぅん……片足黄泉旅行からの無事の生還、嬉しいんだよぉぉ」
揃って現れたいつものメンバーが、三者三様の反応を見せる。それらにオレも精一杯の笑顔で応えた。
「ああ。生還したよ。お前のその、ややこしい日本語も、もはや懐かしい気がするな」
苦笑いを浮かべたオレに、小向井が少し側面が凹んだペットボトルの水を差し出してくる。
目尻から頬にかけて、うっすらと涙の跡が見られた。随分と心配かけちまったんだな――。何か言おうと口を開きかけると、
「でも、両足黄泉旅行のみぃちゃんは、まだ手術も終わらないんだよぉ……もぉ、もぉまつりちゃん気が気じゃなくて、三途の川までの道程に細工を施したい心地……」
「ふふ。賑やかな、お友だちね」
看護師がそう笑い、
「大丈夫よ。今さっき手術が終わって、命に別条はないわ」
「……」
その報告に、フユはさておき、いつも喧しい二人が黙り込む。
「みくちゃん……よかった……」
河東のその言葉がまるで合図だったかのように、小向井が唇をすぼめた。そのまま、両目の縁には、涙が溜まっていく。ぱちりと一度瞬きをして、それらは同時に頬を滑り落ちた。次々に流れ落ちていくその様子から、目が離せなくなる。
「うわぁぁん。よかった。本当に……ほんとうに……よかったよぉぉ……」
遂には声を上げて泣き出した小向井を、フユが抱きとめる。頭を撫でるフユを見ながら、オレは肩を竦めた。
「……ごめんなさいね。感動のところ水を差して本当に申し訳ないのだけれど、うちの病院、八時で面会時間がおしまいなの。だからその、そろそろ、ご両親と君たちには、ご退室願わなきゃいけないのだけど……」
その言葉に、両親が立ち上がる。名残惜しそうにオレの手を握り、
「明日の朝、迎えに来るからね。気分が悪くなったりしたら、すぐにナースコールで看護師さんを呼ぶのよ」
「お前も、二時間近く目を覚まさなかったんだから、絶対に無理はするなよ」
交代でそう言い残すと、小さく会釈をして、小向井の頭をそっと撫でた。 二時間――その数字が、胸に残る。
「大丈夫。大丈夫だからね……」
母さんの言葉に、小向井も顔を上げた。ぐっと目尻を服で拭って、首をまっすぐ縦に振る。まだ言葉が出るような状態ではないみたいだ。それだけ小向井は桜絵のことが、好きなのだろう。
「すみません。あの、これだけ」
と、フユがベッドの隣に設えられた簡易な机の上に、白いビニール袋を置いた。袋の口から覗いているものを見るに、いくつかのおにぎりとパンとお菓子、それからペットボトルが三本入っている。
「藤崎が目覚めた時に、何も食べるものも飲むものもないと困ると思い、下の購買で買ってきたんだ」
「……こんなにたくさん……いいのに……」
「気にするな……目が覚めて、生きていてくれて、本当に良かった……」
「フユ……」
「おれも、おれもだいぶ出してるからな! 金は気にするな。元々ねぇちゃんに、明日の朝ご飯買ってこいと渡されてた軍資金があったから、たんまり持っていた!」
河東が身を乗り出す。え。それ、やばくないか。
「あ、朝ごはん用にパンもちゃんと買ってるから、マジで気にすんな。けど、元気になったら〈六星堂〉でラーメンの一杯でも奢ってもらおっかな」
駅前にある博多系とんこつラーメンの名前を出して、河東は歯を見せた。
「いいぜ。その代わり、六星スペシャル縛りな」
わざと河東が一番好きなメニューを言って、笑い返す。
柏手を一つ打つと「サイコー!」とオレに向けて親指を立てた。
「あ、そうだ。親くん」
まだ少し震えた声で、目尻を拭いながら小向井が、オレの名を呼んだ。
「劇部のみんなと料研のみんなにも、生還の旨、連絡しておくね。すっごく心配してたから。親くんが救急車で運ばれたって教えてくれたのは、潟元先輩だったからさ」
その名前に、調理室前での出来事が思い出される。
あの時、豪さんと潟元先輩の二人がいたから、屋上に走ることが出来たのだ。もちろん、オレの机の状況に静かな怒りを示し、桜絵を探すことに協力してくれた木津さんや、木津さんの呼びかけで上階へと駆けてくれた、料研の部長と紺野先輩にも、助けられたことを思い出す。
幸い、全員と連絡がとれるのだから、オレからも連絡をしよう。そう決めながら、口を開く。
「……小向井の言うとおり、仲間想いな人たちだったよ。すごく助けられた。料研のみんなも、協力してくれたんだ……。本当に助かった」
オレの言葉に、小向井がにっと歯を見せる。
「……よかった。でもね、それは親くんが、真剣にみんなと向き合ったからだと思うよ」
予想だにしなかった回答に、オレは目を丸くする。
「オレが……?」
「うんっ! だからこそ、みんな力を貸してくれた。まつりちゃんは、その方向性の結末説を全力推しするかなっ」
呆然としているオレに、河東とフユも頷く。
「ウンウン。なんだかんだでお前ってば、超良いやつだからな」
「伝わったのだろう。藤崎の、人となりや真摯さが」
返事がうまく出来なくなる。夢を――懐かしい景色を見た後なのも相まって、違うと叫びたくなる。
――オレは、良いやつなんかじゃない。無力で弱虫で、卑怯者なんだ!! ――
言葉には出せずに拳を固め、そっと布団の中に差し入れる。震えているのが分かった。
短い沈黙が訪れる。と、まるで、示し合わせたかのように、面会の終了時間を知らせる放送が流れ出した。
小向井が首を上げる。
「あ、じゃあ行くね。より良い睡眠を得るんだよー!」
「また学校でな、親一郎」
「藤崎、おやすみ」
口々にそう言うと、カーテンの向こうへと消えて行った。何やら話している声がうっすらと聞こえ、やがて何も聞こえなくなる。
オレと看護師だけになった大部屋の一角は、妙に静まり返った。
「……とても良いご両親とお友だちね」
カーテンに目をやりつつ、看護師が呟いた。
「はい。本当に……」
そう声に出し終えた途端、胸の奥に込み上げるものを感じた。思っていたよりずっと弱っていた自分を突きつけられて、ぐっと下を向く。零れそうな感情を抑えるため、唇を強くかみしめた。
「……じゃあ、私も行くわね。消灯は十時だからそれまでは、ゆっくり過ごして。何かあったら、ナースコールを遠慮なく押してね」
何かを感じたのか、看護師はそう言い残すと、カーテンの向こうへと去って行った。
コツコツとナースシューズが床を叩く音が遠ざかっていく。カーテンを隔てた向こうに、様々な理由で入院している誰かはいる。分かっているが、なんだか世界に一人取り残されたような気がして、布団を握る手に力を込めた。
廊下からは、ストレッチャーの音や、靴音、小さめの話し声などが聞こえてくる。それなのに、なぜこんなにも、寂しいというか不安と焦りが募って仕方がないのだろう。
いや、分かっている。その理由も。意味も――本当は。
唇を開いて、六年ぶりにその二文字を形作る。何となく声に出すのは躊躇われた。刹那、懐かしさと忘れようのない痛みとが胸を襲い、一人ベッドの上で前かがみになる。胸の奥に痛みがじわじわと広がっていく。その痛みさえも逃したくなかった。
布団の中に顔を埋めて、呟く。
――会いたい――
声はほとんど出なかった。代わりに、頬を一筋の熱い雫が伝い落ちた。
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