承21:生者の想い、棺に込めて

 夕方。カフェ・マーブルには早めの夕食か、遅めの昼食を食べにお客さんがやって来る。そんな一階フロアをすり抜けて二階へ続く階段の先にある石津加の事務所。


 その扉がノックされたのは、午後五時半を回った頃だった。


「どうぞ」


 ノックから一拍の間を置いて、部屋の主が返事をする。


「おじゃまします……」


 重厚な扉が開かれ、ショートカットの女性がおそるおそる顔をのぞかせる。佐上さがみ絵梨奈えりなだ。


 彼女はかすかにほこりの匂いがした部屋の空間に顔をぴくりとさせながら、一歩足を踏み入れた。手前のソファにはサクラが、奥の書斎机には石津加がロッキングチェアを揺らして座している。


 絵梨奈はソファに座るサクラにも目で合図をしながら、書斎机の方の石津加のもとへ歩み寄った。そしてカバンの中から取り出した一通の封筒。そこに押印されているのは、彼岸花を模した赤いスタンプ。


 絵梨奈は石津加にその封筒を差し出した。


「はい。これよ」


 サクラもソファから立ち上がり、それの元へと駆け寄った。石津加が封筒の中から三つ折りにされた便箋を抜き取り開いた。


——————————

絵梨奈へ


この手紙を読む頃には天国なのかな?そっちの暮らしはどう?

高校に上がって絵梨奈に会えて幸せだったよ。

他愛もない話も、愚痴も、私の歌も、たくさん聞いてくれてありがとう。


今ね、アイドルになれて、すっごい幸せ。お客さんがね、手を振って喜んでくれるの。

私、やっと夢が叶ったんだよ。絵梨奈が応援してくれたおかげだね。


でも、ごめん。最後に一つだけ、聞いてくれるかな?


今のプロデューサーさんがさ、私のことすごい大切にしてくれるんだ。

そのこと自体はありがたいんだけど、私、聞いちゃったの。

同じアイドルグループの子が『プロデューサーが"彩を孤立させれば、ソロデビューさせてあげる"って言ってた』だって。


私、ここ最近ずっとひとりぼっちなんだ。

お客さんは応援してくれるけど、メンバーがなんかよそよそしくて、なんでだろうってずっと思ってた。

時々、衣装が隠されてたり、私だけ大事な集まりを教えてもらえなかったり、変だなとは思っていたの。


ゴンドウさんに聞いても、『そんなことは言ってない。聞き間違いだ』って。

でも、メンバーの子には怖くて聞けないの。

聞き間違いだったら、その子を傷つけちゃうし、本当に仲間外れにされちゃう気がして。


みんなと仲良くしたいよ。どうしたらいいんだろう?

ごめん……ごめんね、最後までこんなこと、手紙なんかに。


私のファン第一号は、ずっと絵梨奈だからね。

ずっとずっと、応援していてね。


(彩)

——————————


「これは?」


 石津加が手紙に視線を落としたまま尋ねた。


「私が死んだ時、彩がひつぎに入れてくれた手紙」


「棺に……?」


 サクラは目配せをして石津加に尋ねた。


「本人の魂は小舟に乗って海を渡るだろ。現世で棺に入れられたものは、別ルートでフロアーに着いて棺の持ち主の元に届けられることになってる」


「そうなんだ」


 サクラはまたしてもこの世界の不思議な仕組みに目を丸くした。


 棺に入れた彩本人としては、おそらくこれが絵梨奈とともに荼毘だびされると思ったはずだ。誰の目にも触れることはなく、その吐き出した思いは跡形もなく消え去るものだと。


 ただ、唯一見られるのなら親友にだけ聞いてほしいと思っていたのかもしれない。その想いはしくも、フロアーの知られざる仕組みをもって死後の絵梨奈の手元に届けられた。


「ひどい……」


 再び手紙をなぞったサクラがこぼした。


 歌手になりたい夢を一度は諦めた彼女が、その夢を掴んだ最中に仕掛けられた悪意。この手紙の内容が本当なら、ゴンドウはデビューを餌にしてメンバーを操り彩が孤立する状況に陥るように仕向けたことになる。


「彩がいたアイドルグループは、確かにファンの間でメンバーの不仲の噂もあったよ。でも、彩に聞いても『そんなことないよ』ってしか言わなくて……そんなこと、なくないじゃないのよ……バカ」


 絵梨奈はこの手紙を読んで泣いたに違いなかった。なにせデビューを後押ししたのは自分なのだから。こんなことになるのなら、彼女が傷付けられると分かっていたならば、大切な親友をアイドルの道に薦めたりなどしなかった。


 今もぐっと歯を食いしばり、泣くのを我慢しているように見えた。しかし。


「この手紙の信憑性は?」


 腕を組み、淡々とした石津加の声。それを聞いた絵梨奈の中に熱いものが迫り上がって来る。


「"信憑性"!? こんな手紙、死んだ友達の棺に入れるくらいなのよ!? 嘘なわけないじゃない! 誰にも言えなくて、どうしようもなくて、聞いてほしかったから入れたのよ!!」


 息を荒くした絵梨奈が今にも噛み付かん勢いで石津加を睨みつけた。


「落ち着け。こういったのは、規則上聞かないとならんだけだ。彼岸花の押印は現世からの持ち込みだと分かってる。大体、お前にもそのことが分かっているから持ってきたんだろう」


「当たり前でしょ!! わざわざ嘘の手紙を入れる意味が分かんないわよ!」


「調査の材料にするからコピーだけ取らせてもらう。いいな?」


 今も肩で息をする絵梨奈をよそに、石津加が金髪の頭をぐしゃぐしゃとかきながら尋ねた。


「もちろん。しっかり調査してよね!」


 両腕を組んで立つ絵梨奈の目には憤怒の色が揺れていた。


 自分の死後に知ることになった親友の悩み。


 『死んでも死にきれない』。そんな言葉があるが、彩もまさか天国の絵梨奈を動かすとは思っていなかっただろう。


 今の彼女友達には、なりふり構わず行動するだけのエネルギーが溢れていた。それこそ、知らぬ相手に大ぶりのハサミで襲いかかるほどには。


 サクラはそうして、ここでまたこの仕事の重要性を感じられたような気がした。関わるのは死者である帰還者たちだけではない。この仕事には生者の想いも少なからず届き影響されている。

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