承22:宿舎。現世のキオク
とっぷりと日が暮れた街に浮かび上がるのは、道路を照らす街頭、眩しいほどに明るく輝くコンビニ、そして帰還者たちの家屋から漏れる生活の灯火だった。
サクラはビニル傘を手に、宿舎へと戻ってきた。部屋の明かりをつけたことで、街のあかりが一つ増える。
朝の祖母宅の訪問から始まり、夕方のマーブルまで歩き疲れた彼女だったが、彼女の疲れは歩きによるものだけではない。
あまりにもわからないことが多すぎる。自分のことも、仕事のことも。
今日も今日とてサクラはおぼつかない足取りでベッドまでたどり着くと、靴を脱いでは放り出して、ストールを羽織ったまま倒れ込んだ。
(絵梨奈さん、すごいな。自分のことだって大変なはずなのに、十年も友達のところにいくなんて……)
自分も現世に帰りたい気持ちはある。しかし、果たして同じことができるだろうか。親しい人を残してきた時、心を寄せて十何年と通い訪ねるなど。
(彩さんも、絵梨奈さんのことずっと想い続けてるのかな……)
現世では何十年と仏壇に手を合わせて故人を偲ぶ。生きている人は、なぜ仏壇の向こうにずっと居ると信じられるのか。それとも、実はもうどこかの時点で故人の魂は居ないと思うのだろうか。
(違う……きっと、忘れたくないから。その人を、その人と過ごした時間を。でも、そんなにずっと想われていたら、こっちに来た人は転生しづらいんじゃないのかな…………私……私は……)
考えがまとまらないまま、まぶたが重たくその思考を遮断させようとした。
(ああ、そっか……私、もう現世には誰もいないんだ……)
そんなことをぼんやりと考えているうちに、やがて意識が遠のき、彼女の世界は暗転した——
◇◆◇
気が付いた時、あたりを見渡すと木々に囲まれた広々とした平地だった。その一角に大型のバスが三台。サクラは意識のはっきりしない目を瞬かせて周囲を見渡した。
————山……駐車場……?
動きやすい服装をした子供たちがぞろぞろとバスから降りて、山の登山口と思しき受付所の前に整列していく。
サクラはその光景を少し離れたところから眺めていたが、やがてその顔ぶれがどれも見覚えのある子たちであることに気が付いた。同級生だ。
次第に胸がざわめきだした。徐々に霧が晴れていくように意識がはっきりしていく。そして、はっとした彼女は自身の服装を見下ろして驚いた。
————これ、五年生の、春の遠足……!
喉から声が出てこない。その時、ここが夢の中なのだと理解した。
丸々失っていた、小学校五年生の遠足のキオク。
バスの中から映像が進まなかった、小学校五年生の遠足のキオク。
そして、自らの死因だと言われていた、小学校五年生の遠足のキオク。
しかし、バスから降りた同級生の顔は誰もが無表情であった。バスの中では誰もが声を弾ませて明るい空気だったというのに、バスを降りてはただただ兵隊のように一列になって集合する。
その異様さもさることながら、サクラにはもう一つ気になった異変があった。
————芹那ちゃんと、アキちゃんは……?
視界の中に二人がいない。サクラの体は集団に背を向けて彼女たちを探し始めた。
◇◆◇
そこからは、ただテープの映像を見せられているかのようだった。声は出ないし、この体も自分の意思で動かせている気がしなかった。ただ自動で動き回る体に、サクラの意識だけが乗せられているかのよう。
『せりなちゃん』
登山口脇の事務所裏手に、三つ編みおさげの友人の姿はあった。その後ろ姿にサクラの体が呼びかける。
二人を探し始めたと思ったサクラの体は、まるでその場所に彼女がいることを知っているかのように、まっすぐに事務所の裏手へと回ったのだった。
久しぶりに彼女の名前を呼んだサクラの意識は、心臓がばくばくと高鳴っているような気がした。ゆっくりと芹那がこちらを振り返る。
『サクラちゃん』
『あの……』
サクラの体は喉をごくりと鳴らして腕を伸ばした。しかし、喋りかけたそれを遮るように芹那は首を左右に振った。
『戻って』
『え?』
『みんなのところに戻って。わたしと一緒にいると、サクラちゃんも仲間外れにされちゃうよ』
『…………』
『いやでしょ?』
芹那の目に感情は灯っていなかった。なにも言えない。無表情なその顔に、サクラはなんと返せば良いのか言葉を探した。
数年ぶりの会話。
数年ぶりにまっすぐ見た、芹那の顔。
数年積み重なった、罪悪感。
ただ傍観者だった自分への、明らかな拒絶。
目の前の友人は、全てをわかった上で言っている。サクラはそのことを理解した途端に、真綿で首を絞められているかのように呼吸ができなくなった。
大事にしていたものは既に失っていた。
気付くのが遅かった。
否、気付いていたが見ていないふりをした代償だ。
サクラは伸ばした腕をだらりとさせ、足元に視線を落とした。重たい沈黙が流れるも、彼女の体はそこから動こうとしない。
『……いや』
うつむいたまま、サクラは小さく首を振った。その動作は繰り返し、次第に大きくなり激しく横に振った。
『でしょ? だから戻って——』
『せりなちゃんを置いていく方がいや!!』
自分でも驚くほどの大きな声が出た。顔を上げた時、サクラは溢れそうになる涙をこらえて歯を強くくいしばっていた。力強い瞳が芹那に突き刺さる。
もうその体の制御は、サクラの意識下にあった。
夢だと理解したはずの彼女は、夢だと思わないまま言葉を続けた。
『いやだよ! いやなの! もう、見ないふりするのは、いや……』
両手の甲で乱暴に目をこすって涙を拭った。徐々に真っ赤になっていく目を、芹那はじっと見つめた。
『……こわくないの?』
『こわいよ。こわいに決まってる。でも、それでもいやなの』
自分が仲間外れにされることも怖い。
けど、大事な友達をなくすことのなんと怖いことか。
サクラはぼろぼろとあふれる涙を抑えられず泣き続けた。芹那はただただそんな彼女を見つめ続けた。
『——戻って』
『だから……!』
サクラは一歩前に出て、芹那に近付いた。涙と鼻水のついた手を彼女に伸ばす。
もう少し近付けば。もう少し、手を伸ばせば。彼女に届く。
『戻って。ここは、あなたのいる
『——え?』
再び心臓が高鳴った気がした。
————それは、どっちの私に言っているの?
喉まで掛かった声が出てこない。その瞬間、世界は眩い白に覆われた。
◇◆◇
目が覚めた時、彼女はベッドにうつぶせになっていた。体を起こして周囲を見渡した時、そこが宿舎だと理解した。
進んだキオク。夢見から覚めても確かに覚えている。
あれは、作られた夢ではない。自分はあの光景を知っている自信があった。
そして、死因はバスの事故ではない。しかし、全貌にはいたらない。
ふと自分が寝ていたベッドの上に手を滑らせると、シーツの一部が濡れていた。それから目に触れると、自分が泣いていたことを自覚して鼻をすすった。どうやらシーツを汚してしまったらしい。
「……洗濯しなきゃ。明日、晴れるかなあ……」
しとしとと小雨ふり注ぐ窓の外を見てそうこぼした。夢を見て泣くなんて、まるで生きているかのようではないか。現世から持ち込んだ体の記憶は、どこまでも彼女に生者と同じだけの生理現象を与えてみせた。
彼女は動揺する胸を鎮めるように平静を装ったが、まだ、心臓は高鳴っている。
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