承20:毒を語れるのは毒を知る者だけ

「それで、ゴンドウさんについて聞きたい、ってことだった?」


 アイスティーとホットコーヒーを持ってきた美麗は二人の前にカップを置くと、自身も向かいのソファに座った。


「ああ。まずは、おたくとゴンドウ氏が出会ったきっかけから頼む」


「そうね……私の場合、高校生の時にはアイドルになりたくてオーディションに参加したの。そこから事務所に所属も決まって、歌手デビューしたのよ」


 彼女はかつてアイドル時代に『白い浜辺で追いかけて! 永遠のジューシーフルーツ・ミレーナ』とキャッチコピーを付けられたことを少し恥ずかしそうに、それからいくつかの楽曲がヒットを見せその地位を確立したことを教えてくれた。


「ゴンドウさんと関わったのはそのうちの二、三曲かしら。あちこちに引っ張りだこな人だったから、それだけでも幸運だったわね」


「やっぱりすごかったんですか? CDの評判」


 サクラの問いに美麗は数度頷いて見せた。実際には今の現世にCDなど古い概念なのだろうが、美麗はあえて否定することはしなかった。このフロアーでは普通に使われている技術なので気にされなかったものと考えられる。


「ええ、それはもう。CMにも起用してもらえたし、当時の年間大賞にも選ばれるほどだったわ。知らない? "微笑みのマリア"って曲。結構有名になったからテレビでもよく懐メロで流れてたんだけど」


「ごめんなさい……」


「まあ、あなたが生まれるより前に出た曲だからね。仕方ないかもしれないわ」


 実際のところ、生きた年代があっていないせいでサクラは知らないのだが美麗は違う解釈をしてくれたのでそういうことにした。


「ゴンドウ氏について他になにかないか?」


「ほか……そうねえ…………あっ」


 顎に指先を当てて上に視線を向けていた美麗が何かを思い出したように数度の瞬きを見せた。瞬きをした一瞬、長いまつ毛がまるで鳥が小さく羽を震わすように見えて、どことなく色気を感じたその様子にサクラはまたしてもどきりとした。


「なにか?」


「いえ……ただの噂だし、一度聞いただけなんだけど……」


「かまわん。教えてくれ」


 美麗は話すのを迷っているのか、サクラをちらりと見たあと目を少しだけ伏せて、ためらいがちに口を開いた。


「ゴンドウさん、寄付した施設の子をアイドルに入れて業界の大物に斡旋あっせんしてる……とか」


「あっせん?」


 サクラがその言葉の意味を問うように、じっと美麗を見つめた。


 大きく言えば、接待。しかし言葉以上に複雑な意味合いを含んだその言葉を小学生だった彼女が知るはずもなく、また美麗も直接的に言葉にするのをためらうのも当然だった。


 その問いからしばしの沈黙が流れる。この空気、如何にするか。両腕を組んで天井を仰いだ石津加は腕を解いてサクラに向き直った。


「つまり、業界の偉い奴に媚びを売って、やりたくもないことをやらせた見返りにアイドルさせた、って話だ。理屈だけなら、小学生がゲームで遊びたい代わりに宿題するのと似ているが、違うのはその宿題とやらは本人の心身を酷く傷付ける」


 石津加の説明は直撃ではないものの、サクラはうんうんと頷いている。

 美麗は場の空気を切り抜けたことにほんの少し安堵し、ゆっくりと顔を上げた。


「もちろん、そんなやり方でアイドルをしている子ばかりじゃないわ。仕方なく、その……本当なら宿なんてあるべきじゃないのよ。でも、仕方なくしていた子も、どうしても人前で歌いたくてやってたのだから、私は真っ向から否定はできないわね……」


 美麗は慎重に言葉を選んだ。宿題という言葉がここで隠語になっていることをこの幼い少女が気付いているかは分からないが、自分は否定できる立場に無いと言ったその言葉に偽りはない。


 努力したって芽が出なくて苦渋の決断でそうする子もいる。努力と運で手に入れることが叶った自分は彼女たちを否定するには値しないと、そう思っていた。


 しかし、少女の反応は思わぬものだった。


「違う、と思います」


「……?」


 サクラのアイスティーが、氷が溶けてからんと鳴った。彼女はそんなグラスに視線をあてたままつぶやいたが、上げた顔には確固たる意思を宿していた。じっと美麗を見上げる。


「美麗さんは、たぶん、そんなの間違ってるって否定したいから、アイドルを目指す人たちに教える仕事をしてたんじゃないんですか?」


「…………!」


 美麗の瞳が大きく開かれる。その様がまた鳥が両の翼を大きく広げたように見えたが、サクラはそれに構わず続けた。


「『引退よりあとは後進を育てた』って聞きました。後進って、アイドルやりたい女の子たちのことですよね? 今の話、本当は否定したくて、変えたいから美麗さんはそうしていたような気がするんです」


 その声には信じて揺るぎない意思が込められていた。少女のまっすぐな瞳が目の前の美しい鳥に突き刺さる。


 美麗は一つ短い息を吐くと、目を細めて口元に笑みを作ってみせた。

 気を抜くと何かがあふれそうだ。感情のカムフラージュはアイドル時代から一番の得意技でもあった。


 サクラの言葉は小石となり、美麗の胸の内にある限界まで水を張った水がめの中に落とされた。それは水面を揺らし、底へゆっくりと沈んでいく。


「美麗さん。間違ってるって思ったことは、そう言っていいんです。ごまかす必要なんて無いんです。だって、そう思ってるから変えたくて行動に移したんじゃないの?」


 沈む小石は水がめの底をこつりと叩いた。その時、揺れた水面から一筋の清流があふれる。


 彼女は誰かに言って欲しかったのかもしれない。無理に間違いを肯定しなくて良いんだよ、と。


「――そうね、あなたの言う通りだわ。私は彼女達の傷付いた顔をたくさん見てきた。そんな子を増やしたくなくて、せめて自分の手が届く範囲は救い出したくて、引退してアイドルを目指す子達に教える仕事を選んだの」


 天井を仰いで両手の細長い指が顔を覆うと、一度だけ深く息を吸う音が聞こえた。感情を制御するその姿はアイドルの矜持プライド


 そんな業界のならわしを否定したかった。しかし、必死に売れようとした同業の彼女達まで否定したくはない。歌いたい気持ちは、よく分かるから。


 彼女自身、決して楽な道ではなかった。それでも、毒を食らった彼女アイドル達と毒を知らぬ自分とでは、何かを言ったところで言葉は空気のように軽く薄い。現状を変える力など皆無。その葛藤が、長らく美麗自身を責め続けた。


「お願いします、調査室のお二人とも……ゴンドウさんのことは、あくまでも噂だけど……」


 美麗がゆっくりと頭を下げた。彼女の肩から垂れたブラウンの長い巻き髪が揺れる。


「どうか……間違いがまかり通るようなことがない、そんな未来に導いてください」


「ああ、分かっている」


 顔を上げた美麗は目尻に浮かんだものをそっと指先で拭うと、かつて一世を風靡ふうびしたアイドルの眩しい笑顔を見せた。

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