パートA (2/3)

 目の前で恰幅の良い男性が背中から倒れ気を失う。


 これで床で眠るのは十人ほどといったところだろうか。だがしかし前方車両から相変わらず新手は現れる。

 既に騒動になっているのか、扉を開けて客室から外の様子を窺ってはその光景に慌てて扉を閉める一般客が増えてきた。

 須衣は次の相手へと視線を向けた途端、慌てて後退する。


 新たに現れた男性は拳銃を手に、須衣へと容赦なく引き金を引く。

 向けられた銃口から射線を確認しつつ、須衣は逃げ場のない通路で器用に避けながら、男までの距離をどうやって詰めるか思案する。


 あまり慣れていないのか射撃の精度は甘く、避けること自体はそこまで難しくはない。しかしこのままでは埒が明かない。

 壁を伝って行くにしてももう少し遮蔽物がある場所か、或いはもう少し距離が近くなければ厳しいだろう。そしてこれ以上余計な時間を掛けている暇はない。


 須衣は覚悟を決め、床を踏みしめながら一気に前へと突き進む。

 銃口の向きを目で追いながら距離を詰め、残りあと一歩のところで放たれた銃弾の先には既に構えられている右手。

 皮膚の下に隠れているA.A義体の強固な骨格が銃弾を弾き、鈍い音を立てる。

 鋭い痛みに表情を歪ませながら須衣は、驚いて目を見開く男性へと左拳を繰り出し、一撃で昏倒させた。


 ようやく前方車両の入り口へと到達し、須衣は静かに息を吐き出す。

 そして背後の貨物車両へと続く扉へと視線を向ける。


 その先で戦っているはずのカレンは未だにどうなっているのか不明なままだ。

 貨物車両に更なる敵の増援が潜んでいる可能性も十二分にあり、一刻も早く彼女と合流した方が良いのかもしれない。

 しかしこうして前方車両から現れる新手を須衣がこの場で食い止め続けるというのも手段としては有りなのだろう。


 悩んだ末に須衣は来た道を引き返す。

 何はともあれ、分断されている状況は何よりも宜しくないはずだ。


 これまでの経験則からカレンとの合流を目指し、須衣は貨物車両の扉を開こうとする。しかしその手を何者かが掴んだ。

 その気配さえ感じさせずに須衣の背後に立っていた人物は、とっさに須衣が繰り出した蹴りから距離を取ってかわすと再び須衣へと肉薄する。


 それが女性であることに気づいたのは、須衣が振り返って拳を正面から受け止めた時だった。

 しかしその一撃は見掛けとは裏腹に鍛え上げられた男性のように重く、須衣の身体が僅かに押された。更にそれだけでは留まらず、目の前の女性の足が高速で打ち込まれる。


 須衣が想定していたよりも素早い蹴りが須衣の腹部へと吸い込まれ、肺を圧迫する。

 息が詰まり僅かに動きが止まった須衣へと追い討ちを掛けるように、膨れ上がった拳が須衣を襲った。


「ぐぁ……ッ!」


 呻き声を上げながら通路を転がり、倒れたまま意識を失っている男の山にぶつかって止まる。

 須衣が歯を食いしばって身体を起こすと、対峙する女性が異形の姿をしていることに気づいた。

 身体とは不釣り合いなまでに発達した手足を持った女性は同じ人間とは思えない。しかしそれでもその姿は須衣の知識の中に確かにあった。


「カーミラか……!」


 直後、尋常ならざる速度で距離を詰めてきた女性へと、須衣は拳を構える。

 繰り出される腕の一振りは直撃すれば人間は紙切れのように千切られてしまうだろう。

 現に距離を取ってかわした須衣の近くにあった通路の壁面に爪痕が深く刻み込まれる。


 振り抜かれた直後、転身して懐へと飛び込んだ須衣はその女性の顔面を掴んで容赦なく床へと叩きつける。

 A.A義体によって金属だろうが歪ませるその一撃は、人の頭程度なら簡単にかち割れるほどの威力だ。しかし女性は鈍い音と共に後頭部から出血しながらも、即座にその腕に両足を絡ませて須衣の身動きを封じる。


 それでも須衣は顔面を掴む手の力を緩めない。それどころか床に押し付けたまま更に力を込めて――文字通り握りつぶした。

 その行為は端から見ればあまりにも過剰な行動だろう。しかしそうしなければ彼女たちは止まらないのだ。


 頭部を失いぐったりと動かなくなった身体を腕から引き剥がし、須衣は荒い呼吸を整えながら立ち上がる。

 何の事情も知らない人がその光景を見れば、須衣という人間がいかに危険で凶悪な殺人犯に見えたことだろう。


 違うのは須衣はTOKYO公安機関ドーラー管理局という組織に所属しているエージェントで、その行いは法律によって正当化されているということ。

 そして何よりも重要なのは、そもそも彼は誰も殺していないということだ。


 幸いなことに、これ以上の追手はすぐには来ないようだった。

 動かない女性が掛けていたものだろう、床に転がっていた眼鏡を踏み潰しながら、須衣は今度こそ貨物車両の扉の前に立つと手をかざす。


 扉を開ける為の認証コードはカレンだけでなく須衣も受け取っており、U.C.Rを介して認識されるはずだった。しかし扉は動く素振りさえ見せず、固く閉ざされたまま須衣を拒み続ける。

 首を傾げてから右手へと視線を落とし、手のひらにデジタルホログラフィックディスプレイを開く。

 受け取っている認証コードの有効期限と使用履歴を確認してようやくエラーを吐いていることに気づいた。


「うーん……どうなってるんだ」


 須衣は細かい技術的な話は正直言ってよくわからない。アイズの説明することの半分は右から左へと通り抜けているし、何が原因なのか見当もつかない。

 L.Iさえ手元にあれば扉を壊して強行突破することも出来るだろうが、残念ながら今は遥か遠くにある。


 付け加えるならばターミナル運営側への損害賠償のことを考えると無闇に破壊するのは得策ではないだろう。

 もっとも、既にこれだけ壁に穴を開け、床を血で汚しておきながら言えた台詞ではないのかもしれないが。


「ルーシア、今は大丈夫?」


 自分でどうすることも出来ないのであれば、わかりそうな人間に連絡を取る。

 そう思い当たった須衣はルーシアへと魔導通信を開く。相手の声はすぐに聞こえてきたが息を切らせながらの返答だった。


『はぁ……はぁ……須衣くん……どうしたの……!』

「あ、いや……もしかして取り込み中だった?」

『ううん、ちょっと走ってるだけだから気にしないで……! それで、どうしたの?』

「認証コードがエラー出て、貨物車両への扉が開かなくて」

『あーやっぱりそうなっちゃうよね……!』


 ルーシアはその言葉を予想していたのか、さほど驚いてはいない様子だった。


『須衣くん、今どこにいる……?』

「今は貨物車両の目の前で止まってて、結構な襲撃を受けたけど俺は問題なし。でも貨物車両の方にカレンが閉じ込められててたぶん今も交戦中」

『貨物車両側に? ちょっとそれは良くないなー……』

「ところでなんで走ってるんだ?」

『あ、いやちょーっとね……怖いおじさんたちに追い掛けられてて、わっ……きゃあ!』


 話の途中でルーシアが悲鳴を上げた直後、鈍い音とノイズが魔導通信越しに聞こえてくる。

 ややあってから悪態をつく彼女の声が聞こえてきたことで、すぐに無事であるということは確認出来た。


『あぅ……もー荷物を床に置いておかないでよー! それでね須衣くん……とりあえず、認証コードはもう新しいものに書き換えられてるんだと思う! 解除するにしても私が直接そこに行かないといけないんだけど……!』

「わかった、それならとりあえずそっちに向かう」

『うん、出来れば早く助けに来てー!』


 おそらく車両内でギャングの手先に追い掛けられているのだろうが、何故か少しばかりルーシアの声は楽しそうで心配するには緊張感に欠けている様子だった。

 とは言うものの放っておくわけにはいかないので、須衣はやれやれと肩をすくめてから来た道を引き返そうと踵を返す。


 背後の貨物車両側から派手な爆発音が聞こえてきたのはまさにその時だった。

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