パートB (2/2)
ネガティヴブルーを出て外を歩く頃にはもう日が傾きかけていた。
須衣はナナセと並んで歩きながら盛大にため息をついてみせると、疲れた声を上げた。
「なんか大変な現場に居合わせちゃったな」
「……そう、だね」
「まだ苦しいか……?」
「うん、少しだけ」
「そっか……ごめんな、医者に見せてやることすら出来なくて」
「気にしないで、私の身体が弱いせいだから」
「それは……別にお前のせいじゃないだろ」
「……そう、かな」
「だってお前さ……なんで我慢したんだよ。あんな親なんかの為に」
本当はもっと別の言葉を言いたかったはずなのに、何故かナナセを責めるような言葉が口から出てしまう。
本当は少しでもナナセが楽しいと思えるような話をした方がよほど有意義に違いないのだ。こんな話題を口にしている場合じゃないはずなのだ。
それなのに言葉が勝手に飛び出してしまう。ナナセを困らせてしまう。
「別にお前は何も、悪くなかったじゃんか……」
ナナセは少しだけ俯くと、パーカーのフードを指で引っ張って顔を隠す。
「須衣はいつもそうやって、私を庇ってくれるよね」
「だってそうだろ。お前は親の理不尽な暴力なんかのせいで……人生滅茶苦茶にされてさ……悔しくないのかよ」
「それは……違うと思うな」
「どうしてだよ」
「私がいなかったら、お母さんは死んじゃってたかもしれないって思ったら……辛くても頑張らなきゃって思った。そうすることでお母さんが生きていてくれるなら、いつかは一緒に笑って暮らせる日が来るんだって信じてるから」
「ナナセ……」
「お母さん、今は病院で眠ったままだけど……生きてればいつかはきっと目を覚ましてくれるはずだから。だから私も生きていれば、いつかきっといいコトがあるんだって信じてる」
不意に立ち止まったナナセは須衣の手を強く握りしめる。確かにそこに存在していることを確かめるように。
「だから……私はそれでいいんだ」
振り返った須衣が見たその笑顔が、ナナセの幸せそうな顔があまりにも眩しくて。
須衣は自らがいかに愚かであるかを思い知らされた。彼女はこんなにも前向きで、こんなにもまっすぐで、それでいてこんなにも強い。
守らなければと思っていたはずなのに、本当に守られていたのは須衣の方だったのかもしれない。
「なんか……お腹空いちゃった。結局お昼も食べ損ねちゃったし……!」
暗い雰囲気を吹き飛ばそうと、ナナセが話題を逸らす。須衣もそれに合わせて口を開いた。
「そうだな……夕食こそ、どこかで食べて帰るか? もちろん、ナナセが大丈夫ならだけど」
「私は全然へーき! だから今度こそ一緒に美味しいもの食べよ」
「それじゃまた店探しからだな。どこから探す、何を食べたい?」
須衣は気持ちを切り替えて再び足を進める。ナナセの笑顔を見る為ならば、美味しい店を探す程度のことなんて造作もない。
今日は二人で美味しいご飯を食べて、そしてまた明日から少しでもナナセが楽に暮らせるように資金を貯めるのだ。そしていつかは――。
「――私さ、須衣を食べたいな」
その足が、止まった。
「……え?」
須衣は恐る恐る振り返る。
後ろで立ち止まったままのナナセへとそっと視線を向ける。
手を繋いだその先、見慣れたはずのナナセの瞳が真っ赤に染まっていた。目尻から溢れる赤い液体は血なのだろうか、そんなことをぼんやりと考えながらナナセが言ったことを反芻する。
「私、食べたい。須衣を、すごく」
ナナセが幸せそうな笑顔で、血の涙を流しながら答える。その乾いた唇から涎が流れるのが見えた。
思考が追いつかない。目の前の出来事を理解することが出来ない。
理性がそれを拒んでいる。受け入れてしまえば、二度と現実には戻れない気がして。
だが現実から目を背けようとしているのは須衣の方だというのに、その視線は目の前の少女に釘付けになっていた。
「なんで……」
「だって、美味しそうだから。須衣、すごく、私、好き。食べたい」
ナナセの赤い涙が頬から滴り落ちて、繋いだ手に落ちる。
須衣の手に赤い染みが生まれる。それを見た瞬間、ナナセが僅かに口を開く。
そして須衣の手をゆっくりと引っ張って、口元へと寄せていく。
「ダメだ……ナナセ……それは……ダメだ……!」
須衣は何故か言うことを聞いてくれない身体が引っ張られていくのをただ見ていることしか出来なかった。
逃げることも出来ず、拒むことも出来ず、ただ目の前の光景を眺めることしか出来ない。それが自分の見ている光景であると認識することが出来ない。
少しずつ開かれたナナセの口へと、須衣の手がゆっくりと近づいていき、そして――。
「どいて」
鋭い声と共に乾いた音が聞こえた。それが発砲音だと気づいた時には、須衣の目の前でナナセが撃たれていた。
左肩を撃たれナナセが後ろへと倒れていく。
繋いでいたその手が、指が離れていく。
「ナナセッ!」
背中から倒れたナナセに慌てて駆け寄ろうとした須衣の足元に、再び銃弾が撃ち込まれた。動きが鈍った須衣に、再び後ろから声がする。
「……もう、近づいてはいけない」
振り返った先、そこには漆黒の大型バイク、サフィニアンサーに乗ったままこちらへと拳銃を構えるカレンの姿があった。
カレンがバイクからゆっくりと降りると同時に側面のE.W.Hアーマーが展開し、中から拳銃がスライドして出て来る。それをもう片手に取ったカレンは二挺の拳銃を構えたまま、二人の元へと歩み寄ってくる。
「……なんで」
須衣の言葉を、カレンは無視する。そしてその後ろで肩を押さえてもがいているナナセへと、再びトリガーを引く。その銃弾はナナセの左の太腿を確かに捉え、肉を抉った。
「うあああ……ッ!」
ナナセの呻き声が須衣を現実に引き戻す。痛みでうずくまったナナセに駆け寄り、カレンの前に立ち塞がる。
「何してんだよ、お前……なんで!」
「……その子はもう、人じゃない」
「どういうことだよ……!」
「見ればわかるでしょ。その子は……アンデッド」
あまりにも冷静なカレンに怒りを震わせながら、須衣はナナセへと振り返る。
ナナセは肩と太腿に受けた銃弾の痛みに耐えながら、須衣へと必死に手を伸ばす。その手を取って須衣は声を掛けた。
「ナナセ……!」
「須衣……いたい、よ……」
「大丈夫だ、きっとすぐ治まるから」
「うん……だから、ね……須衣、を、たべてもい、イ?」
その言葉に須衣は僅かながら恐怖を覚えた。生まれて初めて目の前のナナセという少女を拒絶した。
それは彼女を裏切ったということであり、自分自身が今までナナセにかけてきた言葉が嘘だったということでもあった。
「まずい……!」
カレンが焦った声で駆け出すよりも早く、呆然としている須衣にナナセが顔を寄せて――その唇が、僅かに重なった。
その直後、ナナセは須衣の首元へと口を開いた。
「ああああああああ……ッ!」
刹那、須衣の全身を激痛が駆け巡る。
喉元の肉を食いちぎられ、引き裂かれた痛みで五感が滅茶苦茶になったように感じられた。
痛みのあまりその場に倒れた須衣の後ろ、拳銃を構えたカレンがすかさずトリガーを引く。
連続して放たれる銃弾がナナセの身体を次々と貫いていく。それでもナナセは止まるどころか、異様なまでの跳躍をしてみせるとその場から一気に飛び退る。
『オーバーリビング化が急激に進んでいます。かなりの速度で活性化してると推測されます』
不意にカレンの耳元に聞こえてきたアンサーの忠告にカレンは銃声を返す。
だがそれらはすべてナナセに当たるどころか急激な姿勢の変化によって、かすった程度で終わってしまう。
「何故こんな急に」
『それまで抑圧されていたアンデッド因子が解放された反動で、急激な活性化を始めた可能性が高いでしょう』
「……意思の強さで因子の活性化を留めていたとでも」
『にわかには信じがたい話ですが』
カレンは更に加えて拳銃のトリガーを引いていくが、もはやナナセは常人を逸脱した素早さでそれを避け、カレンへと急激に距離を詰める。
血だらけになった口を開き、須衣の肉片を垂らしながらカレンさえ捕食しようとその手を伸ばす。
その速度にカレンは拳銃を即座に投げ捨て、真正面から飛び込む。そしてその手をナナセの口元へと無理やり押し付けた。
「そんなに食べたいなら……くれてやる!」
常人よりも明らかに顎が外れたナナセの喉の奥へと、その右手を突き出したカレンはそのまま手首辺りまで食いつかれてしまう。
だがそれを噛みちぎろうと力任せに閉じられたナナセの歯は逆に――砕け散る。
何故ならば、カレンの右手首、その食いつかれた部分に見える肉の奥には鈍い金属光沢があるからだ。
「悪いな、この身体は特別製なんだ」
冷たく言い放ったカレンは食いつかれたままの右手ごと、ナナセを地面へと叩きつけた。後頭部からコンクリートの地面に叩きつけられたナナセは衝撃でカレンの右手で離す。
そして後頭部から血を流して荒い息を吐き出しながら足元でうずくまる。
『今なら脊髄の損傷、或いは脳の完全破壊を狙えます』
「言われなくてもやる」
アンデッドは確かに人間よりも頑丈だ。腕を失った程度では放っておいても死にはしない。
だが、この生物は不死身などではなく、確かに死ぬ。
少なくとも脳を破壊されてしまえば、最早二度と活動することは出来ない。
「おい……待て……!」
だがそんなカレンを引き止めたのは須衣だった。首元を真っ赤に染めながらも須衣はカレンの足に必死にしがみつくと、うずくまったままのナナセを庇おうとする。
「離して」
「ダメだ……!」
「公務執行妨害」
「だからどうした……俺は……ナナセを守るって決めたんだ……!」
ナナセがアンデッドだったとして、須衣を食べようとしたからといって、だからといって殺していいなんてはずはなかった。
彼の人生は今となってはナナセの為だけに存在しているのだ。何があっても彼女を守ると決めたのだ。
それがこんな結末で終わるだなんて、あってはならなかった。
『反応増大、脅威度判定が更新されます』
唐突なアンサーの警告にカレンは須衣をとっさにその場から蹴り飛ばす。
その瞬間、起き上がったナナセが繰り出した右手が彼女を頭上から襲いかかった。鋭利な爪がカレンが構えた左手を切り裂き鮮血が迸る。
それだけでは留まらず、今度は繰り出された左腕の重い一撃がカレンの胴体を捉え、後方へと突き飛ばした。
両手から血を撒き散らしながら地面を転がったカレンはサフィニアンサーの真下で止まると、舌打ちしながら起き上がる。
「アンサー……戦闘装束を」
『コード認証。許可されています』
カレンは右耳につけたイヤリングに触れると、やや離れた位置で呻き声を上げるナナセを睨みつけながら、低い声で静かにその名を告げる。
「――サフィニア」
『Battle Dress “Safinia”』
その瞬間、カレンの周囲にある空間の位相が急激な変化を起こす。
それは本来、目では認識することが出来ないはずのもので、だがしかしカレンの周囲は確かに歪んでいるような錯覚を覚えた。
やがてカレンを身体を覆うようにして突如として現れたのは――黒い鎧。
空間から取り出された鎧をカレンは全身にまとう。
その顔さえも仮面に身を隠し、黒で統一された戦闘装束姿に変身したカレンは、アンサーに短く指示を出す。
「ブレード、二本」
『申し訳ありませんカレン様。一本はアイズ様が試験運用にと別の兵装を搭載されています』
「……じゃあそれでいい」
『了解しました』
直後、サフィニアンサーのE.W.Hアーマーが展開され、中からスライドして取り出されたのは、カレンにとって馴染み深い灰色の鈍い刀身を持つ無骨な片刃の鋼刃ブレードと、刀身が伸びることによって身の丈ほどのサイズになった大型の大剣だった。
「……なに、これ」
『アイズ様が試験的に開発された振動剣ですが――』
「こんな重いもの、要らない」
カレンは大剣をその場に放り捨てると鋼刃ブレードを片手に構えて、地面を強く蹴り出す。
それまでのカレンとは比べ物にならないほどの速度で一気にナナセの懐まで距離を詰めると、彼女が動き出すよりも遥かに素早い速度でカレンは鋼刃ブレードを振るう。
その一振りで、ナナセの左腕が宙を舞った。
「悪いけど――」
その言葉は先ほどカレンに蹴り飛ばされて地面を転がった須衣に向けられたものだった。
片腕を失ったナナセが距離を取ろうとするよりも早く、漆黒の鎧を身にまとったカレンは再び鋼刃ブレードを一閃させる。
「――こうしないと、他の誰かが死ぬ」
ナナセの右足が地面へと落ちる。彼女の身体が立つことを維持出来ずに倒れていく。
起こったことを理解出来ずにナナセは倒れたまま、真っ赤に染まった双眸を彷徨わせる。
その瞳には最早、何も映ってなどいない。
痛みを堪えながら起き上がった須衣は、よろけながらも立ち尽くすカレンとナナセの元へと歩み寄ろうとする。それをカレンは制止する。
「来るな」
「…………ッ!」
「お前の独り善がりが、この街の無関係な人を殺す」
「じゃあ黙って、ナナセが殺されるのを見過ごせっていうのか……!」
「そうだ」
「なんで……どうしてそこまで非情になれるんだよ……!」
「……これが仕事だから」
その言葉に須衣はその場に落ちていた大剣を手に取る。
見かけよりも軽い得物を構えて須衣はカレンへと走った。怒りを何かにぶつけなければ、気が済まなかった。
「この……人殺し……ッ!」
須衣の叫びが静まり返った周囲に霧散していく。須衣が振りかざした大剣を、カレンは脅威に感じていないのか避ける素振りさえ見せない。
漆黒の鎧の中、表情さえ見えない女性に対して須衣は剣を構えて雄叫びを上げる。
「おあああああああああッ!」
「す、い……!」
その動きが、ピタリと止まった。否、聞こえたのだ。微かな彼女の声が。
須衣がゆっくりと視線を向けると、カレンの後ろで手足を失い倒れたままのナナセが視線を彷徨わせている。見えない瞳で、必死に須衣を探していた。
「すい……どこに、いるの……?」
「ナナセ……ここにいるよ……俺はここに!」
カレンを無視してナナセに駆け寄った須衣は、膝をついてナナセの身体を抱き起こす。
彼女の周りには既に血の池が出来ており、いかに彼女が痛みに苦しんでいるのか容易に想像出来た。
それでも彼女は一言も痛みを訴えない。それどころか、須衣の名前を呼び続ける。
「あた、たかい……すい、の……においがする」
「ああ……俺はちゃんとここにいるよ……!」
ナナセの身体を支えている手が流れ出る血で真っ赤に染まっていく。
「あの、ね……すい……わたし……」
「もう喋らなくていい……! 何も言わなくていいから……!」
「すい、と……いっしょに、いて……たのし……かったんだ、よ」
「ナナセ……!」
「こんな、わたしを……たすけて、くれて……だから……すきだから、すい……を、たべたい、な」
その言葉はナナセにとってアンデッドとしての本能的なものだったのか、或いは。だが須衣にはどちらであろうとも関係なかった。
どんな形であれ、彼女を受け入れることことが須衣に出来る唯一のことだと思った。
その時初めて、本当の意味で彼女を守ることが出来るのだと思った。
「ああ……食べたいなら……食べていいよ」
「ほんと、に……?」
「ああ……お前に喰われるなら、俺は……本望だよ」
「それ、じゃあ……そしたら、すい、と……ずっといっしょだ、ね」
「ああ……そうだよ……!」
「だから、須衣――」
その時、恐らくナナセは最後の力を振り絞ってその言葉を須衣に伝えたのだと思った。
それが彼女にとっては、長年ずっと思い続けてきた本当の願いだったのかもしれない。
「――私を、殺して」
「あ……ああ……ナナセ……ッ!」
涙が溢れる。こんなにも無力で、こんなにも悔しくて、こんなにも世界は冷たいのだと思い知らされたのは、初めてだった。
直後、須衣がナナセの胸元に置いていた手を、彼女は口に入れた。一心不乱に貪った。その様子を何故か痛みを感じないままに、他人の出来事であるかのように須衣は眺めていた。
彼女が彼女でなくなったその瞬間を呆然と見ていた。須衣の右手が失くなるまで大した時間は掛からなかった。
それでも食べ足りなかったのか、更に須衣の腕へと噛み付こうとするナナセを、須衣はそっと降ろす。
そして先ほどまで手にしていた大剣を左手で持つと、刃を下に向け彼女の上に構えた。
須衣は涙を流しながら、その剣を彼女の額へと静かに振り下ろした。
「俺がお前の分まで……絶対に生き抜いてみせる……だから……だからッ!」
――この胸の中で、どうか安らかに眠っていてくれ。
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