フラワーズストラグル

山森猫太郎

第1章 4人の花

第1話 始まりの邂逅

 日付が変わったばかりの真夜中。この時間帯でも街を照らすのは今や星や月ばかりではない。街灯にコンビニ・ファミレスなどの店舗といった人工の輝きが無数に存在する。


「ふわあぁ~……眠うぅ~……」


 そんな街中を歩く2人の少女。そのうち小柄な方の女子が人目も気にせず(といっても近くにいる人間は彼女たち自身を除いて誰もいないが)大きなあくびをしていた。膝から下が剝き出しのミニスカートと水色のパーカーを身に着けている。

 一方、女子にしては背が高めのもう1人が呆れ笑いで話しかける。こちらはショートパンツとストライプ柄のTシャツを着用していた。


「あんた今日何回あくびしてんのよー。そんなに眠けりゃ帰って寝たら?」

「ヤダ。ウチ帰ると勉強しろってババアうるさいし」


 目の端に水滴を浮かべ、スマートフォンを見ながら即答。小柄な少女は大学受験目前の高校3年生にして反抗期に突入しており、友人宅で勉強会すると親に嘘をついて夜遊びしていたのである。だが自宅でも学校でも猫を被っているため、問題児扱いはされていない。そんな友人の様子に、背の高い少女はますます呆れたと言わんばかりに両手を広げる。もっとも、自分も一緒になって遊び歩いている辺り同類なのだが。


「てかさ~、マジで大学どうする?どこ行く?」

「別に、楽できそうなトコならどこでも。てか今はそういう話やめて、イライラするから」


 相当ストレスが溜まっているのか、小柄な少女は全く気力を感じられない言動を繰り返す。勉強や進学の話題自体を口にしたくないと態度で表していた。

 こう見えても彼女たちは県内有数の進学校に所属しているのだが、疲労の蓄積もありやる気をほとんど失っている。受験生にも息抜きは必要だと心の中でありきたりな言い分を考えていた。


「それより今日どこ行く?」

「ん~、ファミレスでよくない?」

「えーまた?一昨日行ったばっかじゃん。カラオケにしようよ!」

「あんたカラオケ好きだねー。まあいいけど」


 先程とは打って変わって声のトーンを上げる2人。今は嫌なことを忘れて楽しみたいという気持ちがあふれ出ていた。


「じゃ、いつもの店で」ドスッ


 突如として、背の高い女子の言葉が途切れる。固いフルーツをフォークかナイフで勢いよく突き刺したかのような鈍い音とともに。

 直後、小柄な少女のスマホや顔面に生暖かい何らかの液体が真横から飛び散った。感触に気持ち悪さを感じる。


「った……!ちょ、なによ……⁉」


 反射的に両目を強くつむってしまい、何が起きたかわからない。戸惑いつつも目を開く。


「………………………は?」


 だが、視覚情報を取り戻しても脳は状況を理解できず、間抜けな声が出てしまう。

 目の前の光景があまりにも信じられない、信じたくないものであったため、脳が理解することを拒絶していた。

 今の今までくだらないおしゃべりをしていたはずの友人を刃物――形状は鎌に近いが、草刈りで使用するものより何倍も巨大な――が背中から腹を貫通した異様な有様。それが街灯に照らされている。


「なに、これ……」


 一部が赤く染まっていたものの、刃物は灯りを反射して鋼色に光っている。どう見ても金属としか思えないがその根元には細長くドス黒い突起物がついておいた。うっすらと血管と思わしき筋も見えるそれはクラゲなどが持つ触手のようで、非常に生々しい。無機物と有機物が融合した異形は極めて歪で、薄気味悪さを感じさせる。


「う……あ……」


 背の高い少女が言葉にならない声を出した。まだ辛うじて息はあるようだが、激痛のためか目の焦点が合っておらず、口と貫かれた腹部から赤い液体が多量に零れ落ちている。また、腹を貫通する鎌の力に支えられたその体は何㎝か宙に浮いている。

 ついさっきまで大学受験という現実から目を背けていた小柄な少女だが、今度は目の前の無残な現実から目を逸らしていた。しかし皮肉なことに、時間が経ちわずかながらも冷静さが戻ったことで嫌でも気づいてまう。先程飛び散った液体を指で顔面から拭い、確かめる。ほぼ無意識の行動だった。それは彼女の血であったのだと。


「た……す、け……」


 長身の女子高生が救いを求めて痙攣けいれんする手を小柄な少女に向けて伸ばす。だが、頭の中が真っ白になっている彼女は左手に握っていたスマホを無意識に胸元に持っていっただけで足は全く動かない。仮に動けたとしても助ける手段などなかっただろうが。

 それでも痛みに耐えながら懸命に手を伸ばしていく――が。


 触手が強く引っ張られ、手を伸ばしたのと逆方向へ一気に引き戻されていく。まるで相手のいない綱引きでもしているかのようだ。ただ綱引きと異なるのは、勢いのあまり背の高い少女の体が鎌ごと高く持ち上げられたことだ。さらにその勢いでまたも深紅の水滴が傷から吹き出し、地面を汚す。

 重力により触手はすぐに元の高さに戻るも、それに伴って背の高い少女も激しく揺さぶられた。気持ち悪さで吐きそうになり、目元からは涙が、口からは唾液が飛ぶ。もはや抗う力も尽きたのか、手足はダランと垂れ下がっていた。


 未だ呆然として様子を見つめていた小柄な少女の瞳に、1つの大きな影とその中でイエローに輝く一筋の光が映る。触手はその光の手前まできたところで動きを停止した。

 影は暗闇のせいで全体像がハッキリ見えないが、姿形は人型に見える。金色の発光体は頭部らしき部分に上から下まで縦長に細長く伸びている。ホタルの光に似てなくもないが美しさや神秘性は全く感じられず、むしろ空恐ろしいものと思えた。

 光は鎌触手で串刺しにされた長身の少女の方を向き、徐々に変化が起きる――。

 

「ヒッ……!」


 ようやく恐怖心を自覚し、悲鳴を漏らす小柄な少女。縦長の楕円だった発光体は円になるまで横に開く。全体に広がっていた黄色はふちへと追いやられてリング状になり、中心には赤黒い内部が見えている。その様は口を大きく開けて食べ物を放り込む準備をしているかのよう――否、ようではなく実際に食事をしようとしているのだ。


 鎌触手はその口の中に少しずつ入り込んでいく。1人の人間を突き刺したまま。

 とっくに動かなくなった背の高い少女の体が10秒程度で完全に見えなくなる。体だけでなく身に着けていた洋服やバッグをも取り込みながら、吐き出す素振りも見せない。

 その様子を見ていた小柄な少女の嫌悪感と忌避感は頂点に達した。震える手からスマホが滑り、落下する。スマホ依存気味の彼女は普段なら「最悪」とでも悪態をつきながら急いで拾っただろうが、落としたことに気づきすらしない。

 

「ヒイィッ――――――――――‼」


 小柄な少女は叫びながら振り向き、駆け出す。友人を見殺しにすることになる罪悪感など欠片も頭にない。

 目の前の異形から逃げたい。喰われたくない。殺されたくない。それだけが脳内の全てを占めていた。とにかく全力疾走して距離を取ろうとし

                           た瞬間、その足の片方から感覚が消えた。


「えっ……」


 ぐらつく彼女の視界に入ったのは、先程友人を突き刺した鎌触手。そして、先月購入したばかりのスニーカーを履いた自分の左足。

 しかし鎌の部分はさっき見た時よりも赤く濡れた面積が広くなっている。というより、うつむいているわけでもないのに何故左足だけ見えるのか。


 その答えは根元から鎌で切断された左足が血飛沫ちしぶきをまき散らしながら宙を舞っているからだ。


 四肢の1つを失ったことで重心が狂い、倒れこむ。不思議と倒れた時に痛みは感じなかった、が……。


「……いっ……つううあああぁ――――――――――‼」


 数秒遅れて来た痛みで悶え、涙も鼻水も垂れ流しになる。断面からは血液が大量に流れ出していた。両手で傷口を抑えるがそれで血が抜けていくのを止められるはずもない。

 横向きに寝そべる形で動けないでいる小柄な少女に、さらなる苦難が降りかかる。


「あ、ぐっ……‼」

 

 全身がバラバラになるかと思う程の激しい衝撃が少女を襲う。胸の真ん中に鎌を突き立てられたのだ。お気に入りのパーカーに血が染み込み、アクアブルーからレッドに塗り替えられていく。苦痛と肉体の損壊、さらに大量出血によりいつ死んでもおかしくない状態の彼女は、触手で体を持ち上げられる。すでに消える寸前の意識で自分も背の高い少女と同様に食い殺されると直感した。


 (なんで)

 (なんで私がこんな目に遭うの。私が何したって言うのよ?)


 親の言いつけを無視して夜遊びしたから?友達を見捨てようとしたから?

 たったそれだけでこんな仕打ちを受けなければならないのか。

 そんな考えが頭の中を埋め尽くす。

 怒りと悲嘆、恐怖、そして絶望。

 感覚も失われつつある中、負の感情だけは強く大きくなっていくことが不思議だった。といっても、それで事態を打開できるわけもない。


 ぼやけた視界でも再び円になった発光体へ近づいていくのがわかる。一瞬、何故かその光が笑ったように見えた。その理由を考える力もなく、黄色に輝くサークルに鼻先が触れ、飲み込まれ始めた。少女の意識はそこで途切れる。その寸前に彼女が見た光景は、前に何かの番組で観た胃カメラ映像にどこか似ていると思った。


 2人の女子高生を吸収した黒い影は、用は済んだとばかりに姿を消した。その僅か数秒後――


「くっ、遅かったか……!」


 その場に新たな少女が現れ、苦々しく歯噛みする。もしこの場に通りがかった者がいたら、誰もがその顔に見惚れていただろうと確信できる程に整った顔立ちをした少女だ。右手の中指には水色の石が埋め込まれた指輪をつけており、その指を耳元へと近づける。


「こちらイローブル。対象は既に逃走した模様。追跡を続行します。それと……被害者が出てしまったようなので、清掃班の手配をお願いします」


 電話を持っているわけでもないのにそう口にした。黄金の瞳と白銀のロングヘアーは夜の暗闇でも輝いて見える。その美少女カミルレ・イローブルは対象の手掛かりになり得るものはないか、現場を見渡す。

 路地裏は大量の飛沫血痕により紅く汚されており、切り落とされた左足と持ち主を失った2台のスマホだけが残されていた。血がべっとりと付着していることも厭わず拾い上げ、沈痛な表情で握りしめる。


「……間に合わなくて、ごめんなさい……」


 犠牲者が出てしまったことを悔やみ、届くはずもない謝罪を口にする。自己満足に過ぎないと自覚はあるが、それでも言わずにはいられなかった。

 もう少し悼んでいたかったが、これ以上は対象を見失ってしまう。対処は後から来る連中に任せ、自分の仕事をするべきだ。そう考えて気持ちも表情も引き締めたカミルレは立ち上がり、走り出す。

アスリート顔負けのスピードで駆け出した彼女は、誰にも届かない小さな声で呟く。


「一体どこにいるのよ、ジニア……」


 カミルレの顔には、複雑な感情が見え隠れしていた。



「なんだこいつは……」


 桜が満開になった4月中旬のある日のこと。

 典型的な日本人の特徴である黒い髪に黒い瞳。顔立ちこそそれなりに整っているが、仏頂面で近づき難い雰囲気を感じさせる少年。

 私立校のブレザーに身を包んだ高校3年生、黒咲優理人くろさき ゆりとは登校中思わず足を止め、何とも言えない表情でそう呟いてしまう。理由は約10m前方に1人の青年が公園の真ん中で倒れていたからだ。

 うつぶせで顔が見えない上にこの距離でもわかる程衣服がやたら汚れていた。一目で何らかのトラブルがあったとわかる。


「…………」


 その場に立ち止まったまま、様子を観察しつつどうするべきか考える優理人。

 人が倒れている場合の応急処置として、まずは周囲の安全を確保し意識があるかを確認、反応がなければ声を出して周囲の人間に助力を求めるか救急車を呼んで対処するものだと知ってはいる。

 幸い公園といってもベンチと小さなすべり台があるくらいで、物理的な危険はほぼないと言っていいだろう。が、問題はそれ以外だ。


 119番通報しようにも優理人は携帯やスマートフォンは持っていないし、公園の近辺には交番も電話ボックスも存在しない。ここから最寄りの病院までは走っても20分以上かかってしまう。

 人1人助け起こすくらい大したことないんだし手を貸してやれと思う者もいるかもしれないが、倒れている彼が何らかの病気である可能性もあるため、安易に触れるべきではない。それ以前に優理人自身がある病を抱えている。感染するたぐいのものではないが体力面は人並み以下だ。

 残るは通りがかった他の人を頼ることだが、それも良案とは思えなかった。というのも、今も通行人が男性をチラチラと見ているにも拘らず助けようとする者は一切現れないためである。

 

 それぞれ学校や会社に行かなければならないのだろうが、それ以前に関わり合いになりたくないという感情が簡単に読み取れる。

 もう誰かが通報しただろう。まだだとしてもそのうち他の誰かが呼ぶ。そもそも自分には関係ない。そんな言い訳を頭の中に並べて接触しないことを正当化していることが伝わってくるようだった。

 気持ちはわからなくもない。こんな状態明らかに面倒ごとの予感しかしないから避けたがるのも当然だとは思う。


(だが、誰一人として近づかないどころか助けを呼んでもいないというのはどうなんだろうな?)


 現在時刻は午前8時過ぎ。登校、通勤のため既にここを通りがかった者は何10人といたはずなのに、未だうつぶせで動かない彼の周りの砂がきれいなままで足跡1つない。誰かがそばに寄ってさえいないことは明白だった。もし通報済みだとしたら、パトカーや救急車がとっくに到着しているはず。


 あの青年が命に係わるような危機的状況にいる可能性もあるというのに放置し続ければ手遅れになるかもしれない。『こんなヤツどうなろうが知ったことじゃない』と言っているも同然だ。その時点で人間性の程度が知れるというもの。

 優理人とて自らトラブルに首を突っ込みたくなどないが、目の前の男を見捨てれば自分もそんな連中と同類だと思えてならない。それは彼にとってどうにも受け入れがたいことだった。


「はあ……」


 うんざりする気持ちをため息として吐き出し、貧乏くじを引くことを覚悟して公園の中央へ向かって歩き出した。

 青年の傍に来たところで抱えていた学生カバンを下ろしてしゃがみ、腕を引っぱる。予想より体重があり、多少手間取るも仰向けにしてやった。

 胸がかすかに上下していることから、呼吸はしているようだ。右手首に触れると小さくも鼓動が伝わってきて、脈も問題ないと判断する。ひとまず安堵してからその顔と出で立ちを改めて確認すると――


「…………なんだこいつは…………」


先程と同じ言葉が、しかし戸惑いのニュアンスが遥かに強くなって出てくる。気になった点が、あまりにも多いからだ。


 真っ先に目を引いたのは、短く首元でまとめられた髪は燃え盛る炎のごとく紅い髪。全部の毛髪が根元から毛先まで真っ赤だ。メラニン色素の量などによりまれに赤っぽい髪が生える話は聞いたことがあるが、どう見てもそんなレベルではない。艶やかな見た目からは作り物めいたものを感じなかった。


 顔を見ると、思っていた以上に若い。見たところ年齢は自分と同じ10代後半だと思われるが、高校生だろうか。青年というより少年といった方が正確かもしれない。

 顔は男目線でもかなりのイケメンで、肌は日本人にしては白いが白人というのも何か違う、不思議な印象を感じさせる色だ。

 服から覗く手足はやせ気味の優理人と対照的にかなりの筋肉質。素人目にも相当鍛錬を積み重ねてきたことが窺える。一方でアザや傷跡がいくつも見受けられる。虐待か拷問でも受けたか、戦争から帰ってきたのかと思う程に。


 衣服には所々に黒いシミが付着している――恐らく泥、あるいは血だろうか――ものの、留め具などの一部分を除いて上下共にライトグリーン一色に染まっており、上着の右胸には金の円上に花を模したエンブレムが取り付けられていた。花弁はそれぞれ色が違う。軍服や学生服に似通ったデザインだがどこかの校章か?しかしエンブレムに文字は刻まれていないし、ある意味こんな派手な制服は見たことがない。


 肌も髪も服装もやたらと特徴的だが、そんなものより余程とんでもない問題が転がっていた。


「……………………………」


 が視界に入った瞬間、思考が停止し、先程まで気にかかっていたことが頭から吹き飛んでいく。腰にある細長い1本の……剣。外見を見る限りかなりの長剣のようだ。こちらも多少汚れているが、純白の鞘に包まれている。


(玩具……ではないよな……)


 一層怪訝な顔になる優理人。公園の外から見た時は角度や距離の問題もあって剣の存在に気づけなかった。

 小学生低学年くらいなら好きな特撮ヒーローの武器のオモチャを持ち歩く子もいるだろうしこの少年がそうじゃないとも言い切れないが、そういう『DX《デラックス》○○〇ソード』みたいなグッズにしてはデコレーションがなさすぎる。今の時代、その手の所謂いわゆるなりきりアイテムには変身シーン・必殺技の再現はもちろん他のグッズとの連動など様々な機能が必要不可欠だ。無論それらは電力と機械技術によるものであり、この剣は柄から剣先まで真っ白で飾り気がまるでない。精々ガードの中心に半球状の水晶のようなものが埋め込まれているくらいだ。鞘から引き抜いたわけではないため絶対とはいえないものの、電気的な光・音声が出るとはとても思えなかった。オモチャではなく、本物の真剣なのかもしれない。


 理由が何であれ現代日本において帯剣しているなどヤバいヤツであるイメ―ジしか浮かばない。やはり関わない方がよかったかもしれないと若干後悔しかける。いっそ走って逃げてしまおうかという考えが浮かび始め――


「う……」


 意識が戻ったのか、少年がうめき声を上げる。半ば無意識に剣へ向いていた視線を顔へと戻す。


「……大丈夫か?」


 今更見て見ぬふりをするわけにもいかないため、まずは声をかける。少年は一度目を強くつむり、ゆっくりと開いた。まだ意識が漫然としているのか、ボーっとした様子で優理人のことを見てくる。

 その瞳は日本人でよく見かける黒やヘーゼルとは全く異なり、色彩豊かに輝いている。緑に紫、白、頭髪と同じく赤い部分もあれば、ピンクやオレンジになっているところもある。明確に何色だと断定するのは難しいが、あえて言うならば虹色か。

 赤い髪に虹の瞳、漫画やアニメのキャラクターかと思うくらい目立つ容姿だ。


「名前は?」


 脳内とはいえいつまでも青年・少年呼びも不便なため、まずは名前を確認しようと考えた優理人。とはいえ日本語が通じるかも怪しいところだが。

 数秒後、口を開いて言葉を紡ぐ。


「……ルッデ……」

「ルッデ……?それが名前……?」


 こちらの質問を理解し名乗ったのかと一瞬思ったが、すぐに違うと察する。自分の名前ではなく、見知った相手の名前を呼んでいるように聞こえたのだ。少年はしばし呆然としていたが、何かに気づいたように目を見開き、勢いよく起き上がった。

 身長は優理人より若干高いくらい。去年の身体測定では172㎝だったので、180㎝近くといったところか。


「――――――――!ルッデ――――――⁉」

「……なんて?」

「ブローリア――――?――――――――‼」


 少年が必死に叫ぶが何を言ったのか優理人にはわからない。聞いたことのない言語だからだ。スマホを持っていない以上、翻訳ソフトも頼れない。

 初めて英語の授業を受けた時発音もろくに聞き取れないのと同じ、聞き慣れない言葉は耳に残りにくい。単語と思わしき最初の一部分だけは辛うじて耳に入ったものの、ブローリアなどという言葉は全く聞き覚えがない。少なくとも英語でも日本語でもないことは確かだ。


「――――――――」

「落ち着け」


 なおもしゃべり続ける少年を一旦静かにするために、優理人は彼の顔を右手で掴む。ピタリと閉口し黙り込んでしまった。意図が伝わったのか怒ったと思われたのかは微妙だが、どちらにせよ会話でのコミュニケーションは不可能と判断。別のアプローチに切り替えるべく、顔から手を放して学生カバンからシャープペンシルと1冊のノートを取り出した。すぐに文章を書き上げ、見せつける。


『日本語もしくは英語がわかりますか?』

Can you understand Japanese or English?

 

 活字に近い整った文字でそう書いてあった。口での会話がダメでも筆記でなら理解できる可能性がある。そう考え、一縷いちるの望みをかけてみたが、果たしてその結果は――


「………………?」


 首を傾げ不思議そうな顔をされただけだった。全く、これっぽっちも意味が伝わっていないようだった。落胆を表情に出さないよう気をつけつつ、優理人は筆記用具をカバンへと引っ込める。どうやら自分は想像以上に面倒臭いヤツに関わってしまったらしいと再認識する。


 言葉が通じないなら動きで理解してもらうしかないと身振り手振りで説明することにしたのだ。ジェスチャーは国ごとに意味が異なるため誤解を招く恐れもあるが、もう他に思いつかない。

 まず赤髪の少年を手で示し、口をパクパクと動かした後に頭を左右に振る。赤髪の青年はしばらく黙っていたが、こちらの言いたいことを理解したのか、あるいは冷静さを取り戻したのか静かに頷いた。優理人はひとまず安堵のため息をつく。


 だがいくらもしないうちに少年はまた落ち着かない様子になる。今度は彼の方が優理人に何かを伝えたがっているように見えた。そして声が出てくる。


「ジニア」

「……何?」

「ジニア・アルバン」


 自身を指差してそう言った。シンプルな動き故にその意味も容易に想像がつく。


「……それがフルネ―ムか?」


 すると今度は優理人の方を指差してくる。人を指差すことはマナー違反だと注意するべきかと一瞬思ったが、直後にその意図に気づく。


「名前を聞いたなら自分も名乗れ……ってことか?」


 少し迷ったが、素直に名乗ることにした。


「……俺は……黒咲優理人だ」

「ゆりと……」


 ささやくようにジニアは復唱する。その直後、満面の笑みを浮かべた。純粋な子供の笑顔そのものだった。

 奇妙な自己紹介が終わった後、ジニアは足踏みを始める。突然どうしたと驚くが、おそらくこう言いたいのだろうと気づく。『オレは行かなきゃいけない』と。


「ありがとう‼」

「……え?」


 たった単語1つ、しかし間違いなく日本語を発したことで優理人は呆気に取られ、その間にジニアは駆け出した。


「お、おい」


 反射的に呼び止めようとするも、ジニアは凄まじい速度で見えなくなってしまった。無意識に伸ばした右手が空を掴む。

 どこか空虚な気分だ。知り合って5分も経っていないというのに。


「……放っておこう」


 優理人はスマホをズボンのポケットに戻し、当初の予定通り高校へ向かうことにした。考えるべきは不可解な外人より授業開始に遅れないこと。今すぐ向かえばまだ十分間に合う。そう考え直し、改めて学校へ向かった。



 今朝の珍妙な騒動を経てようやく高校の教室まで到着した優理人。幸い予鈴が鳴る何分か前に来れたようだ。

 既に登校していた生徒たちは友人同士で談笑していた。優理人がドアを開けた一瞬こちらを見たものの、すぐに興味をなくして会話に戻る。優理人としてもクラスメイトに興味がないため意に介さず、自分の席へ向かった。が、その机の上に1人の女子生徒が座っている。


「……でさ―、隣のクラスのソイツがずっと私の陰口叩いててさ~」

「マジ?超ムカつく〜」


 他人のイスではなく机に腰を下ろしてクラスメイトの友人と楽し気に話しているのは、腰の辺りまで届くライトブラウンの長髪を右にまとめたサイドテールの少女。烏丸紫杏からすま しあんは優理人が近づいていくとこちらに気づいたようだ。


「悪いがどいてくれるか」

「あ、おはよう黒咲くん。いつもごめんね」

「いや、気にしなくていい」


 声をかけると嫌な顔1つせずどいてくれた。『いつも』と言っているように紫杏が優理人の机の上に座ることはよくある。気があるわけではなく単に友人の席が優理人の隣だから都合がいいだけだろう。

 明るく誰に対してもフレンドリーな性格に整った容姿も相まって男子人気も高い。しかし何故わざわざ机に座るのかは疑問だ。美少女の尻を乗せられるという人によっては羨ましいシチュエ―ションなのかもしれないが、残念?ながら優理人にその手の趣味はない。


「もー紫杏ってば机にケツ乗っけるの止めたら~?黒咲だって毎回その無駄に重いケツどけろって言いづらいでしょ~」

「ケツ言うなケツって!別にあたしのケッ……お尻は重くないですし!っていうか無駄にって何!」

 「そーそー、紫杏のケツはちっさいから重くはないってー。胸も大してないし色気がない感じー」

 「そんなのなくていいし!ってかケツ言うなってば!」


 胸部と臀部でんぶを抑えながらも談笑する紫杏。本人も本気で怒っているわけではないため、傍から見ている分には微笑ましい。ちなみに紫杏の体は確かにスレンダー気味だが一応膨らみはあり、決してまっ平ではない。一応。


「にしても黒咲くんってホント不愛想だねー。せっかくイケメンなんだから笑えばモテそうのに」

「……笑うのは、苦手だ」


 紫杏の指摘からつい顔を背けてしかめっ面になりながらそう言ってしまう。紫杏たちとはクラスメイトとして挨拶する程度の間柄だが、あまり踏み込まれるのは好きじゃない。このような態度を取ってしまうのはよろしくないし、言った彼女も悪気があったわけではないことは優理人もわかっているが、彼は超がつく程の人間嫌いな上に、コミュニケーションにも慣れていない。幸い紫杏やその友人たちも特に気に留めていないのか、若干呆れ気味ながらも終始笑顔のままだ。

 しかし、そうでない生徒も少なからずいるようで、周囲からひそひそとささやき声が聞こえてくる。


「黒咲くんってさ、ちょっと冷たくない?」

「わかるー、いっつもムッとしてるもんねー。見た目はいいのにもったいない」

「アイツ誰ともつるまないしな、笑ったとこなんて見たことねーし」

「にしたって烏丸さんに話しかけてもらってよくあんなぶっきらぼうでいられんな。俺なら泣いて土下座して靴を舐め回すぜ!」

「キモ」


 (ややおかしい発言もあったが)陰口という程ではないものの、一部の同級生は優理人のことを快く思っていないようだ。最も、本人は微塵も気にしていないが。


―キ―ンコ―ンカ―ンコ―ン―


「あ、チャイムだ。じゃあまた後でねー」


 紫杏は友人に手を振って明るい茶髪をなびかせながら自分の席に戻っていく。机上がほんのり暖かくなっている気がしないでもなかったが、極力気にしないように心がけて椅子に座る。

 学生カバンからノ―トや教科書類を取り出していると担任の男性教師がやってきた。


「え―、では全員席に着いて、ホ―ムル―ムを始めます」


 どことなく気だるげにそう口にする担任。正直優理人は彼から仕事に対する熱意を感じない。高校生にもなっていじめをやるような輩もそうそういないが、面倒ごとが起こったら確実に逃げるタイプだろう。


「え―、今朝3年生の女子2人が昨夜から自宅に帰っていないと学校に電話があった。要するに行方不明だ」

「え、また?」


 生徒の誰かがそう言った。教室に小さなざわめきが広がる。


「静かにしろ。そう、まただ。先週も1年生の男子がいなくなり未だ見つかっていない。他の学校や会社でも行方不明者が増えているらしい」


 収まりかけたざわめきが先ほどよりも大きくなる。思った以上に事態が大きくて流石に戸惑ったようだ。


「だから静かにしろってお前ら。このことからうちの学校でも注意を呼びかけ遅い時間帯での外出などを止めるよう通達があった。放課後の寄り道は極力控えるように」

「え〜!」


 大多数のクラスメイトから不満の声が上がる。


「え〜じゃねえ!俺だって見回りとかやらされる羽目になったんだから文句言うな。たくっ、校長のヤツ余計な仕事増やしやがって、ただでさえ安月給なのに……」


 注意喚起が途中から愚痴に変わり始めた。教師の職務は大変だろうが、文句を聞いたところで何の得にもならないため、さっさと次に行ってもらうことにする。


「先生、次の話に進んでください」

「ん?あ、ああ、そうだな。え―と、では来月の中間試験の日程が……」


 優理人に促され、ようやく愚痴を止めて職務に戻る担任。その後の話題で先程とは違う意味で雰囲気が暗くなった。

 学校が生徒を守るのは義務だ。危険から遠ざけようとするのは当然のこと。だが生徒たちとてただ遊び歩いているわけではない。優理人も今日の放課後は通院する予定があるので、スケジュールをそう簡単には変えたくない。他の生徒にも何かしら事情があるだろうだから不満に感じるのも仕方がない。


 これ以上考えても実がないと判断した優理人は、思考を切り替えようとした。が、気づいたら行方不明事件の話題から今朝出会った彼のことを連想していた。


(あいつも外国人留学生の行方不明者か何かか……?)


 何故そんなことを考えたのか、自分でも理由がハッキリわからなかった。


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