『十四年と六ヶ月のありがとう』
漣
鏡の割れる音
その犬は、私たちの家族だった。
名前を呼べば振り向き、怒ってもすぐに尻尾を振って許してくれた。
十四歳と半年――穏やかな最期だった。
2024年9月25日、秋の気配が濃くなり始めた午後。
私は彼女の体を撫でながら、静かに止まっていく心臓を見届けた。
苦しむこともなく、眠るように旅立った。まるで「ありがとう」と言っているような表情だった。
翌朝、火葬車を呼んだ。
娘は三歳の頃からずっと彼女と育ってきた。まるで姉妹のように。
その娘が、声をあげて泣いた。息もできないほどに泣いた。
近所の人たちが集まり、誰もが言葉少なに彼女を見つめていた。
ある人は、娘の背をさすりながら、一緒に泣いてくれた。
こんなにもたくさんの人に愛されていたのだと、私は改めて思った。
その中に、小学六年生の男の子がいた。
彼は自閉症を抱えていて、言葉数は少ないが、いつも優しかった。
彼女のことをよく撫でてくれていた子だ。
「死んじゃったの?」
と私に尋ねたその目は、まだ状況を信じきれていないようだった。
「そうだよ」
と答えると、彼はその場にしゃがみ込み、涙をこぼしながら彼女の名を呼び、そっと頭を撫でてくれた。
火葬が始まった。
火が入ると、娘はさらに激しく泣き崩れた。
私は背中に手を添えることしかできなかった。
男の子は、泣きながらもずっと火葬車を見つめていた。
骨になるまで、二時間かかると告げられていた。
けれど、誰も家には戻らなかった。
秋風の中、皆が静かに立ち尽くしていた。
時折、パキッと骨が焼ける音がした。
その音に、男の子がぽつりと呟いた。
「鏡が割れたみたいな音がするんだね」
それは、彼にしか持てない感性だった。
私はその一言に胸を衝かれた。
娘の優しさ。男の子の成長。
そして、彼女がこの世界で過ごした十四年半。
あたたかく、まっすぐな時間だったのだと気づいた。
夕方、空はすっかり色を変えていた。
不思議なことに、私は泣かなかった。
代わりに、胸の奥に静かな温もりが灯ったままだった。
『十四年と六ヶ月のありがとう』 漣 @mantonyao
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