冷遇伯爵令嬢のよみがえり 〜白鬼(はくき)と恐れられる大佐との契約結婚〜

卯崎瑛珠@角川ビーンズ『見た目幼女』発売

1 境遇


 凍えそうな寒空の下で、黒髪の乙女が立ったまま泣きじゃくっていた。

 

「ただ……ただ普通に、生きたいだけなのに……」


 民家というには大きな邸宅の敷地内、離れと思われる小さな建屋の庭先。手入れが行き届いていないのか、そこかしこに背の高い雑草が生えていた。そんな荒れた庭を覆い隠していくように、石灰色の空からは、細かい雪がしんしんと降っている。


 寒空の下で肩を震わせて泣く女性は、地味なねずみ色の銘仙めいせんに赤茶色の袴と、履き古したブーツを身に着けている。


「普通に生きたいならば、我が家に来なさい、桜子さくらこ殿」

 

 彼女のすぐ目の前には、軍服姿の男性が立っていた。

 軍帽の下には、雪のような真っ白い髪が後頭部で一つに結ばれ、毛先が背中の中央に届いている。青レンズの眼鏡を掛けており、瞳の色はよく分からないが、目尻が下がり優しい表情を浮かべていた。一方で腰には銃剣を帯び、足元は軍靴という物々しさもある。

 

 彼は白髪であるものの、肌には張りがあり動きは機敏で姿勢もよく、二十代後半くらいと思われた。やがて遠慮がちに女性の肩先に手を伸ばすと、積もった雪を指で優しく払い落とす。その仕草には、彼の思いやり深さが垣間見えるが、女性は時折しゃくり上げるくらい泣いているため、気づいていない。


「あなた様も! “犬神”とやらをご所望ですか!」


 軍人は、わんわんと泣き続ける桜子の、濡羽色ぬればいろ双眸そうぼうを上から覗き込むように上体を屈めた。

 圧を与えるような姿勢だが、ゆるやかに上がった口角と落ち着いた口調で、怖さは感じさせない。

 

「そうではない。あなたが心配なのだ」


 桜子はいやいやと言うように、首を何度も横に振る。

 

「信じません!」

「信じなくともよい。このままでは、生活も立ち行かぬ。しばらくの間だけでもいい」


 濡れそぼった目で、ようやく桜子は軍人を見上げ、目が合った。


「しばらく、でも?」

「ああ。我が家で冬を越すだけだ。このままここにいたら、凍え死んでしまうよ」


 桜子は、流れる涙を拭くのも忘れ、考える。確かに火鉢どころか、布団すらも与えてもらえない環境では、凍死してしまうかもしれない。

 

、死ぬ……」


 思わず零れた言葉にハッと我に返った桜子は、小さく掠れた声で答えた。

 

「……では、春まで……お世話になります」

「ああ。春まで」


 軍人がするりと差し出した手を、桜子は警戒心から取ることはできず、少し眉根を寄せた。その様子を見た軍人は、すぐさま軍用手袋を脱ぎ、素手をもう一度差し出す。


「雪で足元が危ない。さあ」

「……はい」


 恐る恐る握った手は温かく、桜子の胸はドキドキと動悸がしてくる。


 ――人肌に触れるのは、初めてだったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る