第13話 結ばれるはずのない理由

 星子はある屋敷の一室にいれられていた。

 

 部屋の中央には、中華風の豪奢な細工が施された堂々たる大椅子が鎮座している。深紅の刺繍が入った厚手の布が背もたれを飾り、彫刻された龍がその腕を支えていた。その椅子はまるで支配者の玉座のように、部屋全体を圧しているようだった。


 星子は周囲を見回した。誘拐されたにしては、あまりに丁重な扱いだ


 室内には香炉から漂う異国の香りが満ち、壁際には金細工の施された屏風が並んでいる。天井には絹張りの飾りが揺れ、控えめに光を反射していた。

 星子は息を整えながら、次に何が起こるのかをじっと待っていた。生命は大丈夫そうだ。もしかして、人違いではないのか。


 彼女を連れてきた男たちは何も言わずに去っていった。星子をこの屋敷に運び、椅子に座らせると、そのまま姿を消したのだ。 この状況をどう捉えればよいのか。逃げるべきなのか、それとも待つべきなのか。星子はひとまず動かず、様子をうかがうことにした。


 その時、夜の静けさを破るように、重厚な木の扉が軋む音を立てて開いた。


「手荒なことをして、申し訳ありません」


 そこに現れたのは、あの池の前で不知火に勝負を挑んだ陰陽師、安倍剛人だった。

 彼は深々と頭を下げた。その所作は礼儀正しく、言葉には丁重な響きがあった。


 星子は冷ややかな視線を彼に向けた。

「こんなことをするからには、それ相応の理由があるのでしょうね」


「もちろんです。我々は、あなたさまをお救いしたかったのです」

 剛人の顔には穏やかな微笑が浮かんでいたが、それがかえって星子を苛立たせた。

「私を救いたかった、ですって?」


「はい。あなたを賀茂不知火殿からお救いしたのです」

 剛人の口調はあくまで穏やかだったが、その穏やかさが星子の怒りをじわじわと煽っていく。


「それは余計なお世話。不知火さまは私の夫。あなたに助けていただく必要はありません」


「ですが、あなた方は本当には結婚なさっていないでしょう。賀茂家が欲しかったのは、あなたの幽世巫女としての特別な力。あなたは、ただ利用されているだけなのですよ」


 星子は静かに息を吸い、視線を逸らさぬまま言葉を返した。

「誰がそんな馬鹿げた噂を流したのですか。私たちは、正真正銘の夫婦です」


「そうでしょうか?」

 剛人が茶器を手に取り、湯気の立つ茶を一口すする。

「では教えてさしあげましょう。あなた方が決して、結ばれるはずのない理由を」


 決して、私たちが結ばれるはずのない理由?

 そんなものがあるのか。

 燭台の炎が揺れ、部屋の陰影が濃くなる中、星子は息を詰めた。


「あなたの母上、日子さまは若くして未亡人になられました。そして、夫を亡くした彼女が心を寄せたのが、不知火の父、心之丞でした」


「母が、不知火さまのお父上を?」

「そうです。信じがたい話かもしれませんが、日子さまと心之丞は密かに愛し合っていました。しかしその不倫関係を知った心之丞の妻、常盤緑さまが激怒しました。彼女は誇り高き陰陽師の血を引く女性。その誇りが汚されたのですから」


 星子は、胸の奥がひやりと冷たくなるのを感じた。

「ある日、常盤緑さまは日子さまを襲いました。怒りに駆られた彼女は、日子さまを襲い、刺し殺したのです」

「まさか」

「本当です。そして、その直後、常盤緑さまはノミで喉を突いて、自刃じじんされたのです」


 とたんに、空気が凍りついた。 星子は震える指先を膝の上で組み直した。

「そんなこと、あるはずがないではないですか」


 星子はそう言いながらも、脳裏に何かが走った。

 そういえば、母はあまり父の話をしてくれなかった。

 子どもの頃、何度か尋ねたことがあったが、「優しい人でした」としか答えず、その顔はどこか悲しげだった。一度だけ、眠りながら誰かの名を呼んで、涙を流していた夜があった。その相手が……?


「あるはずがないことが、あったのですよ。それで、婿養子だった心之丞は都を追われたのです。ですから、不知火さまは、わずか八歳で父と母を失ったことになります」

 剛人が星子の目を見据え、言葉を続ける。


「だから、不知火殿は母を奪った日子さまの娘であるあなたを、憎んでいるのです。当然です。そんな歴史を持つ相手を本当に愛せる、とあなたは思いますか?あなたは、できますか?」

 燭台の炎が左右に揺れ、影もまた揺らめいている。

 

 屋敷は静まり返り、星子の胸の鼓動だけが、剛人にも聞こえてしまいそうなほど高鳴っていた。




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