第12話  羅城門へ行った日


 翌日、ふたりが向かったのは、かつて都の入口を飾った羅城門らじょうもんの跡地だった。今は朽ちた土台石が残るばかりで、人影もまばら、荒れ果てていた。


ここは、都に入れなかった者たちの無念が渦巻き、盗賊や世間から見捨てられた人々の棲み処となった場所だ。


 星子は、羅城門が地獄のように恐ろしい場所だと聞いていたが、訪れたのは初めてだった。生ぬるい風の中、泥と血が入り混じったような嫌な臭いが鼻をついた。


「ここ、怖いです」

  星子が思わず身を縮めた。


「この世に恨みを抱いて死んでいった者たちの怨念が集まっている」

  不知火が数珠を取り出し、静かに経を唱え始めた。


〇不知火は荒れた土を踏みしめ、かつて門が建っていた場所の中心に立った。星子のすぐそばの空気が、急に冷たくなった気がした。


 彼は数珠を握り、深く息を吸い込むと、低く響く声で呪を唱え始めた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前……」


 九字を切るたびに、指先から薄く青白い火が灯り、空中をなぞるように光の文様が浮かび上がった。数珠の音と合わせるように、周囲の地面がわずかに震えた。


 次の瞬間、地中から呻くような声がわき上がった。人とも獣ともつかぬ、怒りと哀しみが絡みついた声だった。


「うううう、ここは、我らの、棲みすみか……」


 濁った風が渦を巻き、無数の影が地表から這い出してきた。黒い靄のような姿をしたそれらは、かつて羅城門に集まった盗賊や疫病人、殺された旅人の霊たちだった。


 影の一つが不知火の方へ伸び、かぶさるように襲いかかった。


煩悩ぼんのうは塵と散れ——応身観自在天おうじん かんじざいてん法界諸仏ほっかい しょぶつ、ここに顕現けんげんしたまえ!」


 不知火が左手で地面に五芒星ごぼうせいを描き、その中央に護符ごぶを置いた瞬間、烈しい光が弾けた。雷鳴のような音が辺りを轟かせ、怒号とも断末魔ともつかぬ声が、地の底から響いて来た。


「ぎゃあああああっ!」


 不知火の額に汗がにじんでいる。彼の衣が風にあおられ、まるで戦場の旗のように翻っている。


「闇に潜む者どもよ、今こそ成仏の刻」


 不知火が再び印を結ぶ。彼の周囲に白い光の環が現れ、門跡全体を包み込んでいく。


 しかし、霊たちは簡単には去らなかった。ひとつ、またひとつと、爛れた顔を晒した亡者たちが、不知火に向かって恨み言を吐く。


「裏切られた……追い払われた……なぜ我らだけが」


「生きていたかったのに……」

 怨念が渦を巻いている。空気が重く、ひどく粘ついている。


 不知火さま、大丈夫かしら。

 星子は、思わず不知火の名を呼びかけそうになった。


 その時、彼は最後の護符を空へと放ち、地に両手をついて、深く頭を垂れた。


はらえ給え、清め給え!」


 火のような光柱が空に昇り、霊たちの叫びがかき消されていく。

 空気が震え、門跡の地面から黒い影が次々に引き剥がされていった。


 光が収まり、周囲が急に静かになった。あたりには、あの異様な臭気ももう漂っていなかった。


 不知火は数歩よろけて、尻もちをつきそうになった。星子が慌てて駆け寄り、彼の身体を支えた。


「ありがとう。ああ、疲れてしまった」

「お疲れさまでした。今日はもう帰りましょう」

  星子が彼の腕をしっかりと握った。


 しばらく歩いた時、星子が不知火を見上げた。

「不知火さまは、寝不足ですか」

「えっ、どして」

 彼の瞳が大きくなった。不知火さまって驚くと、こういう顔をするのだ、と星子は隠してあったものを見つけたような気分になった。

「いいえ、別に」


 家の門をくぐる時、星子は朝に女房が言っていた言葉をふと思い出した。

「ところで、不知火さま。昨夜、私をお呼びになりましたか」

「いいや」

 あの女房め、口が軽すぎる。不知火は苦笑交じりにやれやれと肩をすくめた。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」 彼が少し顔を赤らめた。


 その様子を見て、星子は「もしかしたら今夜もお呼びがあるかもしれない」と胸を高鳴らせた。


             *


 その夜、遠くから、密かな足音が聞こえてきた。星子は耳がよいのだ。廊下の奥のほうから、つま先立ちで誰かが近づいてくる。


 もしかして。

 星子は息を止めて、座り直した。

 期待と緊張が入り混じった胸がそわそわと落ち着かない。

 

「そのうちに」と彼は言ったではないか。

 彼は実行力のあるお方なのだ。そう思うと、星子はこぼれそうな笑みを押さえきれなかった。


 いよいよ、なのか。


 その瞬間、

 がらっ。


 突然、乱暴な音とともに、引き戸が勢いよく跳ね返るように開かれた。夜の冷気が障子越しの月明かりとともに、一気に部屋へとなだれ込んだ。


 星子は驚き、目を見開いた。そこに立っていたのは、不知火さまではなかった。


 月光を背に黒い衣をまとった見知らぬ三人の男たちが、仁王のごとく戸口に立っていた。顔は面で隠され、表情は見えない。


「明原星子だな」

 低く、威圧するような声が響いた。


「違う」

 恐怖で星子の鼓動が一気に跳ね上がった。

「私は賀茂星子だ」と言おうとするのに、声は喉で絡まり、言葉が出てこない。


「あなたたちは、誰だ?名を名乗れ」

 ようやく言えた。


 男たちは答えず、土足のまま板の間にずかずかと踏み込んできた。その足音が星子の心臓にずしずしと響くようだった。


 星子は、咄嗟に、そばにあった手燭を手に取り、無我夢中で投げつけた。

「何が目的なの!?」


 その声は震えていた。

「一緒に来い」

  男たちの声は冷たく、圧倒的で、有無を言わせぬ力があった。


「私は、断る!」

「お前に、断るという選択肢はない」

「ふん。私をさらったところで何も得られないぞ。実家を知ってるだろうが。 金なんてない。あるのは、ナズナくらいだ」

 星子は必死に言葉を並べて抗った。


「よく喋る女だ。少し静かにしてもらおう」

  男のひとりが星子に近づいてくる。


「不知火さま、助けて!」

 と叫ぼうとしたその瞬間、口は固い布で塞がれ、目には黒い布が被せられた。体は布団でぐるぐる巻かれ、丸太のように担がれた。逆さまに揺れる視界の端で、部屋の明かりが遠ざかってゆく。


 苦しいではないか。

 もっと丁寧に扱え。

 賀茂家の嫁だぞ。

 そんなことを考えたところで無駄で、星子は男たちに、闇の中に連れ去られていった。


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