第7話 ある陰陽師の訪問

 その朝、星子はいつものように屋敷の庭を歩いていた。 白砂は白砂は丁寧にならされて、その真ん中には石灯籠が置かれている。周囲には青紫の桔梗や可憐な撫子が植えられ、かすかな影が揺れている。

 

 今日もがんばろう。

 不知火との距離は、少しずつ縮まってきたように感じる時もあるが、そう思うと、また遠ざかってしまう。 一瞬、ちょっと包み込めた気がしても、次の瞬間には手のひらからすり抜ける朝霧のようなお方。


 星子は和歌を詠んでみた。

おもわれて 遠ざかるかな わが恋は  朝霧のごと はかなく消えぬ」

(あの方が思ってくださったと思っても、その心はすぐに遠ざかってしまう。私の恋は、朝霧が消えてしまうように、はかないのです)

 

 なかなかうまく詠めたのではないかしら。

 誰かから、和歌を贈られたら、すぐに歌を返せる心づもりはあるのに、機会がないのがつまらない。

 

 彼の冷たい壁を突き崩すには、まだ長い道のりがある。長い道を歩いていったところで、 その壁を突き崩せるかどうかもわからない。

 でも、前に進むしかない。

 自分が一刻も早く「あやかしの道」を見つければ、彼と真正面から向き合える。その思いで、星子は勉学に打ち込んでいる。


 そんな夕方、屋敷にひとりの訪問者が現れた。

 静かすぎる家に、誰かが来るのはうれしいので、星子はそっと覗きに行った。

 

 その人は不知火さまと同じく朝廷に仕える陰陽師で、その名前は安倍剛人あべのつよひと


 女房の鏡も様子を見に来ていて、こっちこっちと手招きをして、「その一族は、少し前まであやかしの封印係を担ってきた家柄」と教えてくれた。

 安倍剛人は若く、色が黒く、なかなかの男前で、家の誇りを誇示しているかのように胸を張っている。とても自信のある人なのだろう。しかし、星子のタイプではない。


「不知火さまがなかなか『あやかしの道』を封じられずにおられるため、様子を見にやってきたのよ」と鏡が耳打ちした。



「賀茂不知火殿、親王のご容体がますます悪くなっておられます。つきましては、あなたの陰陽道の力を拝見したく参上いたしました。われら安倍一族であれば、すぐにでも『あやかしの道』を封じ、親王を快癒させてみせましょうと、関白殿にはお伝えしてあります」


「安倍殿、言葉を慎んでいただきたい。あなたが『あやかしの道』が発見されなかったからこそ、その任が私に下ったのではないですか」


「それは少々語弊がありますな。あなたに任務が下されたのは、われらが多忙を極め、賀茂家に時間の余裕があったからに過ぎません。しかし今や、親王の病が深刻である以上、そんなことを言ってはおられません。一刻も早く『あやかしの道』を封じる必要があるのです」


「では、これまでどのような探索をされていたのか、その記録を拝見したく存じます。何度もお頼みしたはずですが、一向に、ご協力いただいておりません」


「それは我が一族の秘匿事項ひとくじこうでございますゆえ、お見せするわけにはまいりません。しかし、われらが全面的に、仕事を引き継ぐことは可能です」


「もともと『あやかしの道』の封印は、代々、賀茂家に託されてきた責務です」

「では、それが、あなたの父上の代に変えられたのは、なぜでしょうな」

 と安倍剛人はにやりと笑った。

 不知火が拳を握りしめているのに、星子は気づいた。


「では、不知火殿。ここで実力を比べてみてはいかがでしょうか。 その結果をもって関白殿に報告し、任をこちらに戻していただくつもりです。もちろん、断ってくださっても構いません。ここで勝負して、あなたに得なことは何ひとつないのですから」

「では、ここでもし私が勝てば、ここ三年分の資料を開示してくださる。その条件であれば、喜んでお受けいたしましょう」

「わかりました。もっとも、あなたがそれを手にすることはないでしょうが」


 不知火は固い表情で短く頷き、剛人の家来たちがその指示のもと、準備に取り掛かった。


 私がすぐに「あやかしの道」を見つけることができていれば、不知火さまがこんな恥をかかされずにすんだのに。

 星子は、自分に力がないことへのもどかしさと、痛いほどの切ない想いを胸の奥に感じながら、静かに不知火の姿を見つめていた。






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