第6話 私に才能、ありますか
夜の闇が深まる頃になって、星子のもとに女房が、不知火が屋敷の奥の書斎へと来るようにという伝言をもってやって来た。
夜に呼ばれるのは、初めてだわ。
それも、こんな急に。
昼間、自習をさぼっていたのがばれたのかしら。
それでも、彼にまた会えるのかと思うと、思わず顔が緩んでしまったが、こんな顔をするとまた叱られてしまうから、用心、用心。
女房が案内してくれた奥の書斎には、重厚な書物や古びた巻物が積まれ、薄暗い灯火が揺れていた。
「そこに座りなさい。大事な話がある」
不知火の声が静かに響いた。
「はい」
緊張で膝の上にそろえた手が震えた。
飲み込みがおそいし、態度も散漫、無駄な質問が多すぎるので、契約が打ち切りになる可能性がある。
「封印にまつわる話だ」
「はい」
家に帰れと言われる話ではなかったので、星子はほっとして、もう少しで微笑むところだった。
不知火は重い表情で書物を手に取り、ゆっくりと話し始めた。
「三十年前、
「いいえ」
「あなたは驚くほど、何も知らない」
「はい。ほかの人にも、そう言われました。でも、何でも、知りたいとは思っています」
不知火が、やれやれとため息をついた。
「それは、つまり、あやかしがこの世にこぞって押し寄せてきて、大きな災いをもたらしたのだ。しかし、賀茂家陰陽師と幽世巫女が力を合わせて、それを封印したのだ」
「はい」
「以来、その封印の効果が続いていたのだが、ここ数年、その封印が破られ、あちこちにあやかしが出没して、暴れ回っている。その場所を、陰陽師が呪術をして、封印を強めたのだ」
「お疲れさまです」
不知火はまっすぐに星子を見たことはないのだが、その目が怒っているようだ。
反応がまずかったのかもしれない。
「すみません。話がよくわかりませんので、最初から、わかりやすく教えてくださいませんか」
「あやかしとは、人間の目には見えないけれど、時々姿を現しては人々を困らせる不思議な存在である。でも、三十年前は、祖父が呪術を使い、あやかしをこの世に現れないように、通い路を封印したのだ」
「つまり、あやかしが通う道を閉鎖したということですね」
「そうだ。見えない扉を閉めて、鍵をかけたようなものだ。その壁のおかげで、人間たちは安心して暮らせていたが、年月が経つうちに、その封印が弱まってきて、ここ数年、あやかしの出現が続いている。以前に封印した箇所は地図に残っているから、それを手がかりに、安倍家の陰陽師がそれを封印し直した」
「どうして安倍家が」
「ある時期から、その役目が安倍家の管轄になったのだ。しかし、今も、あやかしは出没し続けている」
「あやかしが、新しい道を作ったということですか」
「そうなのだ。そうとしか、しか考えられない」
「はい」
「その上、
「はい。それは大変なことです」
「それで、安倍家に代わり、賀茂家に命が下ったのだ。もともとこの役目は、わが一族のもの。どうしても、あやかしが出現する場所を見つけ、封印しなければならない」
「はい」
「星子、あなたにそのあやかしの道を見つけてほしい」
「この私にですか。そんなことができるのでしょうか。とてもできるとは思えませんが」
「あなたの祖母であられた月子様が、かつて都中のあやかしの道を見つけ、祖父の八虚空が呪術でその道を封印した。私も、星子と組んで、あやかしの道を封印したいのです」
「ご協力したい気持ちは山々ですが、私にはどのようにすればよいのか、全くわかりません」
「うちの陰陽師を総出して、病人が多く出ている場所、奇怪なことが起きている場所の地図を作っています。それと古い書物、また月子様が残された書付けも残っていますから、何かの参考になるかもしれません」
「はい。勉強してみます。あのう……」
「何ですか。何でも、言ってください」
「ここのところ、勉強を教えてくださっていますよね。私の中に、その祖母という人の血といいか、巫女としての才能を、少しは感じられましたか」
不知火が驚いて星子の目を見た。というより、見てしまったという感じだ。
「それが、わからない」
「やっぱり」
*
星子は部屋に戻り、さっそく書物を広げてみたが、難しい漢字で書かれているので、星子はほとんど、読めない。いくら目を凝らしても、ほとんど、意味がわからない。仕方がないから、今夜はおやつを食べて、寝ることにした。
翌日の講義の時に、読めなかった部分を尋ねてみると、不知火はすらすらと読んで、今の言葉に直してくれた。すごく頼もしくて、笑顔がでそうになる。
「かつて、この世には『白炎』という名の
「あのう、今さらながら何なのですが、本当のところ、幽世の巫女とは、何ですか」
「それも、わかっていなかったのですか。わからないことは、そのつど聞きなさい」
「聞きたかったのですが、そんなことも知らないのかと、叱られるかと思って、つい」
「私が叱ったことはないでしょう」
「ありますけど」
「……私がこわいですか」
「はい」
「どこが」
「その問い詰めるような言い方と、目と」
「言い方を変えて、睨まないようにすますから、何でも聞きなさい。理解してもらわないと、困ります」
と彼は目を逸らして言った。
「はい」
「幽世の巫女とは、この世ならざる世界と深く繋がる力を持つ特別な巫女のことです」
「では、白炎とは」
「陰陽師が使う術によって生み出される、純粋で強力な霊力を持つ炎のこと」
「はい」
「昨夜も申しあげましたが、つまり、幽世の巫女月子さまが、あやかしの通い道を見つけ、陰陽師の調伏により、あやかしの妖力は三十年間、封印されてきたのです。しかし、あやかしの出現が続き、飢饉や病気などの被害が及んでいます。また天皇一家にも、ご病気の方々が増えておられます。ですから、あなたには、一刻も早く、その道を見つけてほしいのです。私はその責任を負っており、あなたなしでは、解決できないのです。今度は、理解されましたか」
「はい、なんとか。不知火様、あなたは、大変な責任をひとりで背負っていらっしゃるのですね」
星子は彼がかわいそうに思えて、その声が少し震えた。
「私には重すぎる大任だが、大勢の生命がかかっている。一族の名誉の問題でもある」
不知火は硬く唇を結び、遠い目をした。
「あなたは私にあやかしの道を見つけさせるため、不本意な結婚をなさったのですね。だから、契約結婚だったのですね」
「……いや、それは違う」
「どこが違うのですか。これは、気の染まない結婚ですよね」
「それも違う」
「それって、私をそんなに嫌いではないということですか」
「そういうことではないが。ここで、はっきり言っておくが、私があなたを好きになることはないし、そもそもあなたが私を好きになることはない」
「どうしてですか。どうして、私の気持ちまでも、不知火さまが決めるのですか。私が、好きになるかもしれないではないですか」
「その話は、またいつかしよう。この騒ぎが終わった後で、ゆっくりと」
「絶対の約束ですよ。私、あやかしの道を探しますから、その後で、必ず話してくださいね。忘れないでくださいよ」
ちょっとしつこかったかな。でも、叱られなかったから、あんなことを言われたって、私たちの関係は前進しているのだ。彼の目を盗んで、星子が微笑んだ。
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