第4話 美貌のシュヴァリエ伯爵
美味しい食事をゆっくりと堪能したリゼットたちは、カフェを後にして街の北側へと進んでいく。
するとほどなくして、シュヴァリエ伯爵邸の立派な大門が姿を現わした。
守衛に名前と用件を伝えて門をくぐり歩いていけば、次に目の前に広がったのは低木が美しく
その奥には堂々たる佇まいの屋敷がそびえ立っている。
庭を横切り指定された時間に裏口から邸内へ入ると、出迎えてくれたのは燕尾服を着た初老の男性。頭を下げるリゼットたちに、彼は温和な微笑みを浮かべた。
「ようこそ、シュヴァリエ伯爵家へ。わたくしは家令のロドリグと申します。まずは旦那様の執務室へ参りましょう」
ロドリグはそう告げると先導するように歩きはじめる。階段を上り廊下を進んだ彼は突き当たりの部屋の前で足を止め、ドアを軽くノックした。
「旦那様、新しく入ったメイドが到着いたしました」
「ああ、入ってくれ」
扉を開けたロドリグが「さあ、どうぞ」と入室するよう促してくる。
リゼットは視線を落とし、執務室の奥にあるデスクへと歩みを進めた。
新たな雇い主となるアレクシス・シュヴァリエ伯爵の前で一礼し、顔を上げた瞬間──。
目に映ったのは、美しい男性の姿だった。
艶やかな黒髪に、深紫色の神秘的な
整った顔立ちは非の打ちどころがなく、左目の下にある泣きぼくろが彼の凜とした風貌に危うい色香を添えている。
二十三歳という若さで国境軍を率いる人物と聞いていたため、リゼットは筋骨隆々の厳つい軍人を思い浮かべていた。
しかし目の前の彼は、想像とはまるで違う。
すらりとした
引き結ばれていた唇がほどけ、少し掠れた低い声がリゼットの耳に届く。
「期待している。話は以上、下がってよい」
アレクシスは必要最低限の言葉だけを告げ、机上の書類へと視線を落とした。
無駄のない話し方と感情の読めない表情。
リゼットは彼のことを、氷の彫像のようだと感じた。
あまりにそっけない当主の言葉に、リゼットたちが戸惑っているのを察したのだろう。
「恐れながら──」
ロドリグが穏やかな口調で声をかければ、アレクシスは顔を上げた。
「旦那様、彼女たちは軍の者ではございません。どうかもう少しばかり、お手柔らかにお願いいたします」
「ああ……そうか。一般人ということを失念していた、すまない」
まさか貴族家当主に謝罪されるとは思いもよらず、リゼットは恐縮してしまった。
家令の進言をすんなり聞き入れ、平民出身のリゼットたちに詫びるアレクシスは、見た目ほど冷たい方ではないのかもしれない。
「ロドリグ。当家の事情について説明は終えているのか?」
「いいえ、まだでございます」
「そうか、では俺から伝えよう。まず、この屋敷に仕える者はみな元軍人だ。加齢や怪我などの事情により退役した者で構成されている」
ここに来るまでの道すがら、すれ違う使用人が体格のよい男性ばかりだったのはそういう事情だからかと、リゼットは合点がいった。
──ということは、ロドリグさんも元軍人?
物腰柔らかな老紳士の戦う姿がまったく想像できず思わず視線を向ければ、ロドリグは目尻のしわを深くして微笑んだ。
「わたくしも昔は軍人として要塞に詰めておりました。いやはや、懐かしいですねぇ。あれは先々代のご当主様が軍を率いておられた頃。今から三十年ほど前のことでしょうか。野生の獣の大群が山から下りてきてしまい──」
「ロドリグ、その話は長くなりそうか?」
「おっと、失礼いたしました。わたくしの武勇伝はまたの機会にいたしましょう」
「ああ、そうしてくれると助かる」
ロドリグと軽く言葉を交わしたアレクシスは、リゼットたちの方へと向き直った。
「使用人の中には、いまだ軍人時代の癖が抜けていない者もいる。愛想のない奴らも多いだろう。──まぁ、俺も人のことは言えないが」
そう言ってわずかに肩をすくめた彼は、「なにかあればロドリグに相談するといい」と付け加えて話を締めくくった。
するとロドリグがすかさず【一階、見取り図】と書かれた紙を差し出してくる。
「印を付けてある場所が貴女がたの部屋です。まずは着替えを済ませ、
そのまま退室を命じられたリゼットたちは頭を下げ、執務室を後にした。
一階に降り、見取り図を片手に使用人部屋へ向かう途中、サフィーネが「ねぇねぇ」と声をかけてくる。
リゼットは隣を歩く同僚へと視線を移した。
「ん? なに?」
「あたしは清掃担当だったけど、リゼットの持ち場は?」
「私は厨房だって」
「うわぁ……それはご愁傷様だわ」
調理場はどこの屋敷でも忙しい。
特に食事前は戦場と化すため嫌がるメイドも多いそうで、どうやらサフィーネも例外ではないようだ。自分の担当じゃないのに、あからさまに顔をしかめていた。
「あたし厨房に配属されたことないんだけど、リゼットは? キッチンメイドの経験あるの?」
「うん。でもすぐに異動になっちゃったから、一年くらいかな。また厨房に戻れて嬉しい」
「えぇ? なんで?」
「料理は嫌いじゃないし、前のお屋敷では余った
「リゼットの食いしん坊は筋金入りね……」
苦笑するサフィーネとそんな会話を交わすうちに、今日から暮らす使用人部屋に到着した。
室内にはベッドが二台、クローゼットもふたつ。中央には木目調の円形テーブルと椅子が二脚置かれ、他にも必要な家具や日用品はひと通り揃っている。
扉には内鍵がついており隣には小さな浴室もあって、女性使用人への配慮が感じられる造りだった。
リゼットは荷物から落ち着いたブルーグレイのワンピースを取り出し、袖を通す。襟元にアクセントで赤いリボンタイを結ぶと、全体の印象がぱっと華やいだ。
「旦那様、サフィーネの予想と全然違ったね」
白いエプロンを着けながらぽつりと呟けば、隣で支度をしていたサフィーネが「ホントよ」と深く頷いた。
「筋肉ムキムキの大男かと思いきや、細身の色男だったなんて。いい意味で裏切られたわ」
「でも、やっぱり軍人さんっぽいというか。ちょっと怖そうな雰囲気はあったよね」
「リゼットってば分かってないわねぇ。寡黙で〝ちょっと怖そう〟って感じがいいんじゃない。殿方はあれくらい硬派じゃなきゃ駄目よ」
「そうなの?」
「そうよ。──いい? 女性に会うたび鼻の下を伸ばしてニヤニヤする男なんて、絶対やめときなさいよ。絶対! だからね!」
「う、うん……分かった……」
ずいっと距離を詰め、やけに実感のこもった忠告をしてくるサフィーネに、リゼットは思わずたじろいだ。
もしかして、過去にその〝鼻の下を伸ばす〟男性となにかあったのだろうか……。
気になるものの、これから仕事のため深掘りはしないでおこう。
身支度を整えたリゼットは部屋の前でサフィーネと別れ、厨房へと歩き出す。
こうしていよいよ、新たな職場での日々が幕を開けたのだった。
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