2章 個性豊かな屋敷の住人たち

第1話 心優しきコワモテたち

 屋敷の見取り図を頼りに厨房へたどり着いたリゼットは、何度か深呼吸をしてからスイングドアを押し開き中へと足を踏み入れた。


「失礼いたします!」


 調理場の喧騒にかき消されないよう声を張ると、室内にいた七人ほどの男性使用人が一斉に振り返った。


 いずれも元軍人らしく眼光は鋭く、中には顔に傷痕があったり眼帯をしていたりする者もいる。


 いかめしい雰囲気をまとう屈強な男性たちに見つめられ、思わず怖じ気づきそうになるものの、彼らはこれからともに働く仲間たちだ。よい印象を抱いてもらいたい。


 リゼットはみずからを奮い立たせ、精一杯の微笑みを浮かべた。


「本日からお世話になります、リゼット・メイエールと申します。至らぬ点も多々あるかと存じますが、一日も早く仕事を覚えられるよう努めますので、皆さま、どうぞよろしくお願いいたします」


 笑顔で挨拶を述べて一礼すると、大柄な使用人たちの中でもひときわ体格のよい男性が前に歩み出てきた。


 強面揃いの例に漏れず、彼もまた迫力のある顔立ちをしている。

 射るような眼差しに、鼻の付け根部分に走る横一線の大きな傷痕。一目でただ者ではないと分かる容貌だった。


「ここの責任者を任されているコンラートだ」


「よろしくお願いいたします、コンラートシェフ」


「俺ぁ軍の炊事兵あがりだ。仰々しい肩書きはいらねぇ。コンラートで構わねぇよ」


「かしこまりました、コンラートさん」


 コンラートは「それでいい」と言わんばかりに頷き、部下に持ってこさせた分厚い紙束をリゼットに手渡した。


「厨房の手引き書だ。まずはそれを読みながら調理場と食料庫を見て回れ。その後は夕食の仕込みと皿洗いだ。やり方は全部そこに書いてある。分からねぇことがあったら誰かに聞け」


「承知いたしました」


 必要最低限の指示だけして、コンラートはすぐに自分の仕事に戻っていった。


 手を止めていた他の使用人たちも、それぞれ食材の下ごしらえや打ち合わせなどに取りかかり、場は慌ただしい空気に包まれる。


 事前にアレクシスから聞いていた通り、みな愛想があるとは言いがたい。


 けれども多忙な厨房で手取り足取り教えてもらえるとは思っていなかったので、リゼットは気にすることなく、手引き書を片手に厨房の中をひとりで巡りはじめた。



 基本的な設備はダレス伯爵邸と大差ないが、室内の一角に置かれていた『あるもの』に視線が引き寄せられる。


(氷冷箱……。しかも、こんなに大きなものが三つもあるなんて)


 氷は貴重で高いのに、これほど巨大な箱を三台も冷やしつづけるには一体どれくらいの維持費がかかるのか。リゼットには想像もつかない。


『台所を見れば、その屋敷のおおよその経済事情が分かるのよ』

 

 かつての勤め先の先輩メイドがそう話していたのを、ふと思い出した。なるほど、彼女の言う通りかもしれない。


(調理場は一通り確認したから……えっと、次は貯蔵庫ね)


 手引き書の見取り図を頼りに進むと、厨房の一角に地下へと続く階段を見つけた。


 付近の壁には【薄暗いため灯りは必須】という注意書きの紙が貼られ、すぐそばの棚にはランプがいくつも置かれている。


 ランプに火をともして階段を下り、地下貯蔵庫の扉を開けたリゼットは、目の前に広がる光景に思わず「わぁ」と呟いた。


 目に飛び込んできたのは、食糧が入っているとおぼしき無数の木箱や樽、大きな袋の数々。

 

 棚にはラベルの貼られた調味料やピクルス、フルーツのシロップ漬けに酒類のボトルが並べられ、近くには麻糸で束ねられたハーブがつり下げられている。


 さらに奥へ行くと、乾燥肉や魚の干物、かごに盛られた野菜や果物が山のように積まれていた。


 ダレス伯爵邸の貯蔵庫も十分充実していたけれど、ここで目にする食材の量はその遙か上をいっている。


「すごい……」


 ひとつひとつ眺めているだけで、あっという間に時間が経ってしまいそうだ。

 リゼットは手に取っていた香辛料の瓶を棚に戻し、さらに内部へと歩を進めた。


 すると、ただでさえひんやりしていた空気がますます冷気を帯びていくのを肌で感じる。


 半袖の二の腕をさすりながら重たい扉を開ければ、ぶわっと冷たい風が吹きつけてきた。


 並んでいる食材は常温保存のものから凍った魚や肉へと変わり、その傍らにはわらに包まれた無数の四角い物体が山積みにされている。


 藁束の一部を指で摘まんでそうっとめくってみれば、現れたのは透き通る氷の塊だった。


 手引き書には【氷冷箱の温度が上がりはじめたら、氷貯蔵庫アイスハウスから氷塊を運び入れること】と書かれてあった。ここから運び出せばいいのね、とリゼットはひとり頷く。


(そういえば……)


 寒冷なシュヴァリエ伯爵領には、岩から染み出た水滴が凍って夏場でも氷が採れる氷冷窟ひょうれいくつという洞穴があると聞いたことがある。


 そのため他の地域よりも氷を入手しやすいのかもしれない。とはいえ、夏場にここまでの量を確保するのは簡単ではないはずだ。


 圧巻の光景に、リゼットはしばし見とれてしまったが──。


「くしゅん! うぅ、寒いぃ……風邪引いちゃう……」


 自分の身体を抱きしめながら身震いし、その場を退散したのだった。




 そうして調理場へ戻ったリゼットは、夕食の下ごしらえをしている使用人たちのもとへ向かい、野菜の皮むきを手伝いはじめた。


 厨房で働く使用人たちは全員軍の炊事兵だったらしく、慣れた手つきで芋の皮を剥き、かごへポイポイッと放り込んでいく。


 手際はよいが少々荒っぽく、まさに『オトコの料理』といった感じだ。


「今晩はパーティのご予定があるのですか?」


「パーティ? いいや。そんな洒落しゃれた集まり、この屋敷じゃ滅多にないぞ。貴族はほとんど来やしないからな。どうしてそう思った?」


「食材の量が多いので、お客様がいらっしゃるのかと」


「ああ、これは屋敷に泊まる軍人たちの分さ」


 当主であるアレクシスは領地運営の仕事もあるため、山の麓の要塞に常駐するわけにはいかず、定期的に屋敷へ戻る必要がある。


 その間、報告や会議が必要な時には軍人が屋敷を訪れ、場合によっては数日間滞在してから要塞に帰還するのだという。


「今日は泊まりの奴らが少ないから、これでも楽な方さ。要塞から大勢やってきた時は下ごしらえだけで死ぬ目に遭うからな。──っと、よし。野菜はこれくらいでいい。運ぶぞ」


 使用人たちは野菜が山盛りに入った大きなかごを軽々と抱え、作業台へと運んでいく。リゼットも大量の芋が入ったかごを持ち上げてみたものの。


(おっ……重たい……!)


 両手にずっしりとかかる重みによろめきながら歩いていると、横からすっと腕が伸びてきて、使用人がひょいとかごを奪い取った。

 彼はそのまま、なにも持っていないかのように軽やかな足取りで去っていく。


 役に立てなかったとしょんぼりしていると、別の使用人に「調理道具を作業台に運んでくれ」とメモを渡され、リゼットは「はい!」とすぐさま取りかかった。


 鉄製のフライパンや鍋はそこそこの重量があるものの、先程の野菜かごに比べれば断然軽い。


 メモと手引き書を確認しつつ道具を棚から出していると、ふと使用人のひとりと目が合った。

 すぐに視線をそらされたので偶然かと思ったが、その後も何度か別の者とも目が合い、やがて気のせいではないと確信する。



(ひょっとして……気にかけてくださってる?)



 慣れない厨房で怪我をしそうになっていないか、手持ち無沙汰で困っていないか。リゼットの様子に気を配ってくれているのだろう。


 言葉で伝えられたわけではないけれど、見守るような眼差しには確かな思いやりが感じられた。


 新たな職場の同僚たちはみな無口で強面な方々。

 ──だけど、いい人たちだ。


(ありがとうございます)


 リゼットは心の中で深く感謝し、集めた調理道具を作業台へと運んだ。


 台の上には夕食に使う食材がずらりと並んでいる。

 

 大量の野菜に、鮮やかな赤色が目を引く新鮮そうな肉の塊。貯蔵庫でも見かけたハーブの束と、いくつかの香辛料の瓶。

 

 それらの隣へと視線を滑らせたリゼットは、視界に入った〝それ〟に目を疑った。


「…………え?」


 そこにあったのは、巨大な卵形の謎の物体。


 卵と言えば普通は片手に収まるほどの大きさで、色も白か茶色。


 なのに目の前のそれは、黒曜石のように表面が黒光りしていた。


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