第3話 城壁の街と素敵な出会い
綺麗に舗装された石畳のメインストリート。
道の両側にはオフホワイトの壁に赤茶色の屋根の店が建ち並び、その後方には背の高い鐘楼がそびえ立っている。
行き交う人々の中には軍服姿も多く、この街が国境に近いことを物語っていた。
やがて馬車は、ひときわ大きな建物の前で停車した。
吊り下げ看板に書かれている店名は──『止まり木の宿』。
「到着しましたよ」
御者に声をかけられたリゼットは荷物を持って馬車を下り、感謝を告げて宿屋の中へ入った。
店内に人の気配はなく、カウンターに置いてある呼び鈴を鳴らせばすぐに店員が現れた。
リゼットが名前を告げると、部屋の番号が記された鍵が差し出される。
「同室の方は、すでにご到着されております。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
リゼットは宛がわれた部屋へと向かい、ドアを軽くノックした。
「はーい! どうぞ!」
室内から聞こえてくる元気な声。リゼットが中に入ると、同い年くらいの女性がにこやかに出迎えてくれた。
目尻がやや跳ね上がったキリリとした顔立ち。赤茶色の長い髪を左肩に流し、パンツスタイルを颯爽と着こなす活発そうな人だ。
「お邪魔します。初めまして、リゼット・メイエールと申します」
「あたしはサフィーネ。サフィーネ・ウィレム。よろしく!」
リゼットは柔らかく微笑み、すっと差し出されたサフィーネの手を取った。
「こちらこそ、よろしくお願いします、サフィーネさん」
「やだ、あたしたち同期だもの。敬語はやめましょう! サフィーネでいいわよ」
「それじゃあ、私のこともリゼットって呼んでほしいな」
「分かったわ、リゼット!」
明るいサフィーネの笑顔に元気づけられたリゼットだったが、荷物を置いてソファに腰を下ろした途端、どっと疲れが押し寄せてきた。
ふぅ、と小さく息を吐くと、それを見たサフィーネが苦笑いを浮かべた。
「あはは。今日は大変だったわよねぇ~。あたし、東のオーベル領から馬車で四時間かけて来たの。リゼットはどこから?」
「南のダレス領から汽車と馬車を乗り継いで、えーっと……八時間くらいかな」
「はっ、八時間⁉ うわぁ~、ものすごい長旅じゃない」
「うん、もうクタクタ……。できれば荷物を置いてアントウェルの街を見て回りたかったけど、このソファに座ったら動けなくなっちゃった」
「分かる。分かるよ、その気持ち! あっ、そうそう!」
向かいのソファに腰を下ろしていたサフィーネが、なにかを思い出したのかスッと立ち上がった。
「ここのベッド、すっごくふかふかだよ。リゼットが来るまで、あたしずっと寝転がってたの。ほらほら、試してみて!」
「うん!」
窓際のベッドに身を投げ出したサフィーネに続き、リゼットもサイドテーブルを挟んだ隣のベッドに横たわった。
「あぁ~、本当だぁ。気持ちいい、癒やされるぅ……」
「でしょう? ここまで来るのは大変だったけど、迎えの馬車は立派だったし、おまけに宿もこーんなに快適。はーあ、我ながらいい就職先を選んだわぁ~」
ゴロゴロしながら話をしているうちに日はとっぷり暮れ、ふたりは宿の夕食を存分に堪能した。そして手早く入浴を済ませ、朝までぐっすりと眠ったのだった。
翌日、身支度を整えたリゼットたちは早めに『止まり木の宿』を出発した。
昨日断念したアントウェルの街の散策をし、どこかの飲食店で昼食をとってからシュヴァリエ伯爵邸に向かうことにしたのだ。
メインストリートを外れて脇道に入ってみれば、目の前の景色は一気に生活感あふれる情景へと変わった。
軒先で世間話に花を咲かせるご婦人方の笑い声が、静かな路地裏に明るく響く。
家と家の間に張られたロープには色とりどりのタオルがかけられ、ゆらゆらと風に揺れていた。
足元からチャリンと鈴の音が聞こえ視線を落とせば、首輪をつけたキジトラ柄の猫がリゼットの横を通り過ぎ、ゆったりとした足取りで道の先へと進んでいく。
猫が曲がっていった角を覗くと、そこに愛らしいうしろ姿はもうない。
細い道が迷路のように入り組んでおり、うっかり足を踏み入れれば道に迷ってしまいそうだ。
「風情があるわねぇ。あたし、こういう街の景色好きなのよね~。もう少し奥に行ってみようよ!」
「あっ、待って、サフィーネ。探検はまた今度にしよう? 大通りに戻れなくなったら困るもの」
「んー、さすがに初日に遅刻はマズイわよね。分かった。残念だけど、そうするわ」
来た道を引き返しシュヴァリエ伯爵邸に向かって進み続けると、やがて開けた場所にたどり着いた。
広場の中央には水しぶきをきらめかせる大きな噴水があり、その向こうには昨日馬車の中から見た立派な鐘楼が青空の下そびえ立っている。
周囲に建ち並ぶお洒落な外観のカフェ。
軒先には屋外席がいくつも並び、風に運ばれてきたコーヒーの香りがリゼットの鼻孔をくすぐった。
「ランチ、ここのお店にしない?」
そう言ってリゼットが指差したのは、白と青のストライプ模様のパラソル席が目を引く、爽やかな佇まいのカフェだった。
「いいね!」
サフィーネが声を弾ませ、店内の店員へと手を振る。
「すみませーん。このパラソル席、座っていいですか?」
「いらっしゃいませ! はい、もちろんです」
リゼットたちは店員からメニューを受け取り、開放的な屋外席に腰を下ろしてさっそく料理を選びはじめる。
ページをめくるたび、料理名の横に添えられた挿絵がどれも美味しそうで悩んでしまう。
そんなリゼットに、もう注文を決めたらしいサフィーネがクスッと笑いながら話しかけてきた。
「もうリゼットったら、まだ迷っているの? あたしはこのランチセットにするわよ」
「えーっと……どうしよう。どれも美味しそうで困っちゃう……。うーん、私もサフィーネと同じランチセットにしようかな。あと追加でスモークサーモンのマリネも頼もうっと」
「えぇっ? 昨日の夕食も今朝の食事もしっかり完食したのに、まだそんなに入るの? お腹、大丈夫?」
「うん、これくらいは余裕。私、食べることが大好きなの」
「
サフィーネは苦笑しながらスッと手を上げて店員を呼び、ふたりはそれぞれ注文を済ませた。
昼時のカフェには続々と客がやってきて、今も軍服姿の四人組が店内へと入っていく。
そのがっしりとした背中を目で追いながら、リゼットはぽつりと呟いた。
「ねぇ、サフィーネ。シュヴァリエ伯爵って、どんな方だと思う?」
「そりゃあ、屈強な軍人たちのボスだもの。すっごく大きくて、強そうな人に決まってるじゃない」
「大きくて、強そうな方……」
「そう! 絶対に全身ムキムキよ。部下の敬礼に
「そ、それは、毎回縫うのが大変そう……。できれば最初から大きめの軍服を着てくださると助かるのだけれど……」
「無理ね。だって彼の筋肉は、日々の過酷な鍛錬でどんどん育つんだから」
──どんどん育って、日に日にムキムキに……。それはなんとも大変な体質だわ。
妙に説得力のあるサフィーネの言い方にリゼットは思わず想像を膨らませ、同情すら覚えてしまう。
「ねぇ。念のため聞くけど、今の話は冗談だって分かってるよね?」
「えっ? あ……うん。もちろん……!」
ごまかすように笑いながら答えたものの、サフィーネは黙ったままジッとこちらを見つめてくる。
その疑いの眼差しに耐えられなくなったリゼットは、とうとう観念して口を開いた。
「つい……そんな可能性もあるのかなぁって……」
「ほら、やっぱり! ちょっと信じたんじゃない。もう~。ほんっとリゼットって、真面目を通り越して天然なんだから」
「お恥ずかしい限りです……」
しょんぼり肩をすくめるリゼットに、サフィーネが「あはははっ!」と声を上げて笑った。
「でもまぁ、こういうくだらない話も悪くないね」
「ふふっ。うん、そうだね」
リゼットは笑顔で頷き、頭の片隅で〝ムキムキ伯爵〟の姿を思い浮かべながら料理が来るのを待つのだった。
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