弐:焔ノ酒、まだぬるい夢の中
「……で?」
「で、あなたは何なの?焔を統べるとか、孤高とか、色々言ってたけど。つまりはここに住んでるってだけでしょ?」
「む……お前、あの自己紹介を聞いてなお平伏さぬとは。近頃の人間は風情が足りんな!」
「いやいやいや!普通に怖いし意味わかんないし!ていうか、ただ追っかけてただけなんですけど!?」
「お詫びに……君も、ひとくち、どうだ?」
「は?」
手の中には、焦げ目のついた小さな焼き芋があった。まだほんのり温かい。
「……なにこれ。っていうか、どこから出したのよ……」
「我が焔でじっくり炙った逸品だ。名付けて『黒焔いも』。」
「絶対いま考えたでしょその名前……」
文句を言いながらも、
「あっ……え、なにこれ……うま……」
皮の香ばしさと、中からとろりと溢れる蜜のような甘さ。ほんの少しだけ焦げの苦みもあって、それがまた香りを引き立てる。
「……なんでこんなに甘いの!?ここ、炭の森だよね!?」
「ふふ……焔を統べる鳥に、不可能はないのだよ!」
「……いや、言い方……!」
焼き芋をもう一口食べて、
「……でも、ありがとう。ちゃんと、おいしかった!」
そして、ぽつりとつぶやく。
「店で出せるかも、って思ったくらいにはな!」
風が、すこしだけ通った。
焦げた木の匂いのなかに、甘い芋の香りが混ざっていた。
「……ねえ。あなた、本当に、火事を起こしたこと、あるの?」
「火は、選ばれた者にしか従わぬ。」
「……その『選ばれた者』じゃなかったとき、どうなったの?」
「どうなったか……」
「昔、人間の町で……婚礼の灯として、呼ばれたことがある。
祝いの席、夜の帳、たくさんの人が集まっていた。
俺は、ただそこにいた。祝福の象徴として。
……だけど、火が出た。大きく、赤く、突然に。
幕が燃え、新婦の髪に火の粉がかかりかけて、誰かが叫んだ。
笑っていた顔が、一瞬で泣き顔になった。」
「俺は、その火が、どこから来たかを見た。
でも……誰にも、何も言わなかった。
気づけば、『あの鳥がいたからだ』って言われていた。
だから俺は叫んだよ、『俺がやった!俺が火を放った!』ってな。
それ以来、俺は『災いの鳥』になった!」
——それは、炎の鳥が、自らを焼くような叫びだった。
「……まあ、俺はただ、照らしたかったんだ。
あのとき、笑ってくれたその顔を、もう少しだけ!」
「……ねえ、さっきの焼き芋、ほんとにおいしかったよ。ほくほくしてて、ちょっと甘くて、なんか、安心する味だった」
彼女はそう言って、そっと笑った。
「だから今度は、私の番。——一杯だけ、私の酒を飲んでみない?」
「礼」とか「救う」とか、そんな大げさな言葉じゃない。ただ、火の鳥がくれたあたたかさに、自分なりのお酒で返したくなっただけだった。
「……はっ、冗談だろう。火の鳥に、人間のぬるい酒を?ありがたいこったな!」
「ぬるい……!?まだ造ってもいないのに!」
「それに、おまえ、酒なんて造れるような顔してないだろ。どうせ、見よう見まねの小娘じゃないのか?」
「やってみなきゃわかんないでしょ!」
「それに、見た目で決めつけないでよ……あんただって、それで人間に勝手に怖がられたんでしょ?」
「あんたの火、ぜんぜん怖くないよ。焼き芋だってそう——焦げてるけど、甘くて、あったかくて、涙が出そうになるくらいよ。」
そして、にこっと笑ってさらりと続けた。
「だから、私はそれに似た酒を造ってみたいと思った。『焰ノ酒』って名前も、もう決めちゃった!」
「……ふん!」
「人の味を真似て、火のことがわかるつもりか!」
「まねじゃないよ!」
蘅音はきっぱりと言い切った。
「
彼女は焔に向かって、そっと手のひらを差し出した。火が一瞬揺れて、ふわりと熱が走る。
風が通り抜ける。火の粉が、ぱちり、と宙に舞った。
「……変なやつだな。おまえ。」
「知ってる!」
酒館・蘅
「ただいま、
戸を開けた蘅音の声に、奥からくぐもった返事が飛んできた。
「ずいぶん遅かったな……またどこかの妖怪に絡まれてたんじゃないか?」
「えっ、なんで分かったの!?」
「だってお前、『妖怪ホイホイ体質』だろ。ほら、自覚ないだろうけど、変わり者ってのは妖怪にすぐバレるからな!」
「むぅ……ちょっとそれ、ひどくない?」
そう言いつつも、
薪に火をくべながら、ぽつりとつぶやく。
「……なんかね、あの森を出てから、ずーっと焦げた匂いがする気がするんだよね。焚き火でもあったのかな……いや、まさかね。」
鼻をひくひくとさせながら、首をかしげる。
その様子を、屋根の上からじっと見つめる影があった。
「……こいつ、マジで煮てやがる!」
月の光に照らされた瞳が、じっと鍋の中をにらんでいる。
しばらくして、
「わっ、ちょっと焦げてる!? ……まあ、いっか。焦げるくらいが、甘くなるって言うし。」
その一言に、
「……まさか、あいつ、焦げた芋で酒造る気か?」
ぼやくようにため息をつき、羽をばさりと揺らす。
「本気で俺にそんなもん飲ませるつもりかよ!」
その夜、
夢の中——彼女は囲炉裏の前で、
小さな盃に注がれた酒。ふわりと漂う、焦げた芋の香り。
ほんのり甘くて、少しだけ煙たい。
「……ふーん、意外といけるじゃねえか。焦げてんのに、甘いなんてよ!」
それに彼女も、くすりと笑って返す。
このまま、朝まで穏やかに——そう思っていた。
だが、ふとした瞬間、風が吹いた。
鼻をついたのは、もっと鋭く、刺すような焦げた匂いだった。
焚き火の匂いよりも強く、煙のように重たい。
「……ん?なんか……変だな。」
夢の中で、
囲炉裏の奥、畳の向こう、障子の隙間。どこからともなく、赤い光が漏れてくる。
次第に、熱風のようなものが頬を撫で、空気がぴりぴりと乾いていく。
薪がはぜるような音。木が崩れるような音。
「……火?」
そう呟いた瞬間、心臓が跳ねた。
夢の中の
——これは、夢じゃない。
息が詰まるような熱気に、彼女は跳ね起きた。
囲炉裏の火はもう消えている。だが、部屋の空気が赤く染まっていた。
鼻をつく、強烈な焦げの匂い。耳の奥に響く、ぱちぱちという爆ぜる音。
まるで夢の中の続きをなぞるように、現実がゆがんでいく。
「まさか……火事!?」
彼女は襖を開け、戸口から飛び出した。
目の前の空が、赤く染まっていた。
少し離れた場所——わずか数軒先の家屋が、炎に包まれている。
屋根が崩れ、柱が燃え、火の粉が夜気を巻き込みながら空へと舞い上がってゆく。
炎の輪郭が、まるで生き物のように脈打っていた。
その焼けた梁の向こう、誰かの影が一瞬、揺れた。
「——あそこに、誰かいる!」
火の粉が舞うなか、彼女は息を呑んで、そして叫んだ。
「……
空を裂いて
火は翔ける
朱の羽根を広げて
帰る場所を探すかのように
温めたかったのか
燃やしたかったのか
焰は語らず ただ 風に歌う
妖の火は 咆哮する
けれど 決して 触れぬ
爪も牙も 恐ろしい姿も
その本質は 恐怖の嘘かも知れぬ
人の火は 染み込む
音もなく 形もなく
それでいて
心の奥を 黒く 焦がしてゆく
誰が火を恐れる?
誰が火を抱く?
その手に宿したものが
温もりか あるいは終わりか
空を舞う鳥よ
おまえの火が 迷いを照らすように
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます