第23話「開園前夜の手紙」

 ——十月三日、夜。

 遊園地「虹ヶ丘ランド」のゲートは、外灯に照らされて静まり返っていた。昼間の準備の喧騒が嘘のように消え、ジェットコースターの鉄骨が月明かりの中に浮かび上がっている。

 一翔は、門の前に立っていた。両手をポケットに突っ込んだまま、動かず、ただ静かに中を見つめている。

「……明日だな」

 つぶやきは、夜に溶けていった。誰もいないはずの場所に、一人だけ、息づかいだけが生きていた。

 この半年間の記憶が、頭の中をよぎる。

 閉鎖の告知を見た日。結衣と最初に黒板に計画を書き出した放課後。立入禁止の遊園地に潜り込んだ夕暮れ。アイスを配った休日。三万円のネジに青ざめた昼休み——。

 もう、引き返す理由はなかった。

「……けど、ほんとにやれるのか、俺たち」

 一翔は、自問した。誰も聞いてはいないのに。

 明日の天気予報は「晴れ」。設営も、安全点検も、チラシ配布も、寄付も、全部やり切った。資金はギリギリ黒字。

 それでも胸の奥に残るのは、ほんのわずかな「怖さ」だった。

 ——もし、誰も来なかったら?

 ——もし、何か起きたら?

 ——もし、明日が「失敗の終わり」だったら?

「……考えてもしょうがないってわかってるのに」

 足元を見つめたそのときだった。ポケットの中のスマートフォンが小さく震えた。

 母からの通知だった。

「今夜は少しだけ、リーダーじゃなくていいよ」

 その短いメッセージの下に、PDFファイルが添付されていた。

『一翔へ』

 タイトルを見た瞬間、一翔の背筋が伸びた。

 開くと、そこには——母からの手紙が印刷されていた。手書きの写真をスキャンしたものだ。走り書きのような文字。それでも、読み進めるごとに、彼の表情は変わっていった。

『——最初は正直、驚いたし、心配だったよ。「子どもが遊園地を復活させる」なんて言われても、すぐには信じられなかった。でも、あなたが毎日くたくたになって帰ってきて、それでも嬉しそうで、「今日は○○ができた」って話す姿を見て、思ったの。』

『この子、本気なんだって。』

『私たち大人は、いつからか「できること」ばかり選ぶようになって、「やりたいこと」は心の奥にしまってしまう。でも、あなたは違った。あなたは、ちゃんと「やりたいこと」に向かって、まっすぐ走ったんだね。』

『……明日、うまくいかなくても大丈夫。誰も来なかったとしても、何かが途中で止まっても、あなたがしたことはきっと、誰かの記憶に残る。少なくとも、私はずっと覚えてる。』

『おかえりって言うの、楽しみにしてるよ。』

『母より』

 一翔は、手紙を読み終えると、しばらく画面を見つめていた。

 そして、そっとスマホを閉じた。

「……ずりぃよ、母ちゃん」

 声が震えた。

 けれどその目は、もう迷っていなかった。




 そのまま帰宅すると、一翔は自室のデスクにまっすぐ向かった。机の端には、イベントのタイムスケジュール表。メンバーから預かった資料、予備の名札、点検済みの腕章が並んでいる。

 そのすべてを、整然と並べ直した。

 そして、もうひとつ手に取ったのは、タブレット。グループチャットが開かれたままになっていた。画面には、結衣が夜の進行確認を書き込んだばかりだった。

《明日朝7:30集合。幸平くんが警備班の最終確認。洋輔くんは音響セットアップ。蘭さんが導線の再テープ張り直し——》

 相変わらず抜けのない準備。

 一翔は、少し笑った。

 そして、キーボードに手を置くと、短く、でもはっきりと打ち込んだ。

《みんなへ。》

《俺は、明日が怖い。でも、誰かとここまで来たことが、もう奇跡みたいだって思ってる。だから、もし明日、何かうまくいかなくても……俺はもう、ありがとうって言いたい。》

《あとは、全部出し切ろうぜ。笑って終われるように。》

《——一翔》

 送信ボタンを押すと、間もなく返信が続々と届いた。

《了解。明日は泣かないようにするから、先に泣くなよな!(洋輔)》

《しっかりやれば、きっと結果もついてくる。明日も冷静にいこう。(結衣)》

《前日はよく寝ろって言ったでしょ、隊長。おやすみ!(幸平)》

《お母さんの手紙、素敵だね。一翔くんらしい。(聖美)》

《明日、あの光景をたくさんの子に見てもらおうね!(実希)》

《失敗したって、撤収だけは確実にやる。それが安全最優先のプロってやつよ(蘭)》

《自分の責任を果たす日だ。冷静に、分析も最終モードに入るよ(裕介)》

 一翔は、机のライトを消し、布団に潜り込んだ。

 カーテンの隙間から見えるのは、満天の星空。

 明日——十月四日。

 虹ヶ丘ランドの、最後の開園日。

 長い長い半年間の旅が、ついに終わりを迎えようとしていた。

(第23話「開園前夜の手紙」了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る