第22話「試運転1分間の沈黙」

 ——九月二十五日、放課後。遊園地のジェットコースター乗り場には、夕陽が長く影を落としていた。

「よし。これで固定は完了っと……」

 幸平が最後のボルトを締め直し、ぐっと立ち上がった。腕には油と汗が混じり、作業着はもう何度も洗った跡がある。

 横では洋輔がケーブルチェックを終え、聖美が安全確認シートに記録をつけている。

「次は……試運転ね。無人で走らせて、全コース通過確認」

 聖美が読み上げると、幸平が力強くうなずく。

「オッケー。機械の準備は万端だ。笹原さんに教えてもらったとおりに、全ポイント見直した。あとは実走だけだ」

「じゃあ、スイッチ入れるね」

 洋輔が操作台に立ち、周囲を見渡してからスピーカーに向かって叫ぶ。

「テスト開始! みんな離れて!」

 その声とともに、操作盤の赤いボタンがゆっくりと押された。

 ガタン。

 コースターがゆっくりと、レールに沿って上昇を始める。金属の擦れるような音が、あたりに響き渡る。

「……順調だね。速度も音も安定してる」

「うん、これはいけそう」

 誰もがそう思った、そのときだった。

 ピー……ッ!

 急に警報音が鳴り、コースターがレールの途中でピタリと止まった。しかも——場所は、最も高い頂上地点。

「——えっ!?」

 全員が凍りつく。沈黙。風の音さえも聞こえない。

「な、なんで止まったの!?」

「非常ブレーキか……?」

「ちょ、操作盤エラー出てる! 『センサー異常』だって!」

 洋輔が声を張り上げた。

 コースターは、動かない。

 それからの1分間は、永遠のように長かった。




 沈黙を破ったのは、幸平だった。

「笹原さん呼ぶ! あの人なら、何が起きたかすぐ分かるはずだ!」

 彼は携帯を取り出し、指が震えるのも構わず番号を押した。

「……はい、もしもし笹原さん! 今コースター、頂上で止まりました! センサー異常って……ええ、はい……お願いします!」

 通話を終えると、幸平は額の汗をぬぐいながら言った。

「10分で来てくれるって……!」

「ほんとに、あの人頼りになるな……」

 洋輔の呟きに、聖美が小さくうなずいた。

「でも……どうして? 昨日まで何回も点検してたし……昨日の夜の整備でも、こんなエラーはなかった」

「ってことは、今日の作業中に起きたんだろうね。何かしら“予期せぬ事態”が」

 聖美の言葉に、三人の間に再び不安が広がる。だがその不安をかき消すように、遊園地の裏口から足音が聞こえてきた。

「遅れてすまん。見せてもらおうか」

 現れたのは、元整備士の笹原。無口で寡黙なその姿は、どこか神々しくさえ見えた。

「状況説明を」

 簡潔なその言葉に、幸平がすぐ応じる。

「無人走行試験で、最高点の手前で停止しました。操作盤はセンサー異常を検出。ブレーキは自動作動してます。原因不明です」

「よし、確認する」

 笹原は工具箱を片手に操作盤を見つめ、次に金網の階段を上っていった。数分後、コースターの停止した車両までたどり着いた姿が見える。

 風の音のなか、彼の手が慣れた動きでボルトを外し、センサー部を開けていく。

 やがて、彼の腕が一度止まり、小さく首を振った。

「……やはりか」

 数分後、戻ってきた笹原が短く告げた。

「原因は、取り付けボルトの緩み。作業中の振動で、センサーの向きが微妙にズレた。それで信号が誤作動した」

「……つまり、整備不良、ですか?」

 聖美が硬い声で訊くと、笹原は静かに首を横に振った。

「いや、整備は完璧だった。問題は、“揺れ”による予期せぬズレ。責任を問えるようなことじゃない。これは……“想定”の甘さだ」

 その言葉に、三人は押し黙る。

 笹原は、工具箱の中からスペーサーを取り出した。

「念のため、他のセンサーも固定箇所を補強する。30分あれば完了する。再試験は明朝に行うのが安全だ」

「……はい。お願いします」

 幸平が深く頭を下げた。

 その後、夕日が完全に沈む頃、三人と笹原は黙々とセンサーの補強作業を続けた。無言の中に、ただ“責任”だけが響いていた。




 翌朝、九月二十六日。

 空は高く澄みわたり、風はなく、完璧な試運転日和だった。

 遊園地のコースター乗り場には、再び関係者全員が集まっていた。

 結衣、洋輔、幸平、聖美、そしてもう一人——笹原。

「じゃあ……昨日の補強結果を踏まえて、再試運転いきます」

 操作盤に立つのは再び洋輔。だが昨日と違い、彼の手には迷いがなかった。

「確認! 乗車は無人、コース上に障害なし。ブレーキ圧正常。センサー再設定済み」

「すべて、よし」

 結衣が冷静に言い、聖美が小さくうなずく。幸平は拳を固く握りしめていた。

「笹原さん。合図をお願いします」

 無言でうなずいた笹原が、右手を高く上げた。

 それが、「スタート」の合図だった。

 ガタン、と音が響き、コースターが再びレールを走り出す。

 ゆっくりと、音を刻みながら登っていく。

「……昨日は、ここで止まった」

 幸平がポツリと言った。

 その先——

 カチ、カチ、カチ……。

 コースターはついに、頂上を越えた。

 そして——

 風を切る音と共に、急降下。

「……!」

 その場にいた誰もが、言葉を飲んだ。

 けれどもコースターは、加速しながらスムーズにカーブを曲がり、次々とターンを抜けていく。

 途中のセンサーも反応に問題なし。操作盤の画面に、次々と「正常」の表示が浮かんだ。

「最後のループ……きた」

 洋輔の声が小さく震える。

 そして——

 ブレーキゾーンに入り、減速。

 スー……ッと滑るように、ホームへ戻ってきた。

「停止、確認。試運転……完了!」

 その瞬間、全員が同時に、手を叩いた。

「やった……!」

「よっしゃぁぁあ!!」

「成功だ……!」

 その中で、一人だけ、笹原が静かにコースターを見つめていた。

 それに気づいた結衣が、そっと声をかける。

「……何を思ってるんですか?」

「いや」

 笹原は、ごくわずかに口元をほころばせた。

「ただの……誇りだよ」

 その言葉に、全員の胸が打たれた。

 中学生だけでは届かなかった場所。

 それを超える手助けをくれた大人の背中。

 この一言で、彼らの挑戦が「現実」になった気がした。

 ジェットコースターの試運転——成功。

 復活イベントの“心臓部”が、ついに目を覚ましたのだった。

(第22話「試運転1分間の沈黙」了)

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