第21話「三者面談パニック」

 桜峰中学校の職員室前の廊下には、午後の光がゆるやかに差し込んでいた。チャイムの余韻が消えるより先に、廊下には保護者たちの気配がにわかに増え始める。

「……え、今日だったっけ!? 三者面談」

 一翔は頭の後ろで手を組みながら、呆れたような声を上げた。彼の隣で、結衣がスケジュール表を指差しながら静かに言う。

「一翔。あんたが決めたんだよ、面談の日程」

「うぐっ……」

 息を詰まらせたような音を出してうずくまる一翔。その肩を洋輔がぽん、と叩いた。

「まあまあ。俺なんて、面談あるのさっきまで知らなかったし」

「お前はそれでいいのか!?」

「うん。だって俺、成績のこととか親に言われても『大丈夫っしょ』で済むし」

 天才的な楽天家ぶりに、一翔と結衣が同時にため息をつく。

 職員室前にはすでに、幸平の母親、聖美の祖母、実希の兄、蘭の父親……と、懐かしい顔ぶれが並び始めていた。彼らも皆、「虹ヶ丘ランド復活計画」の存在を知っており、その進行と自分の子どもたちの学業の両立に不安を抱いていた。

「今日の面談……やばいかもね」

 実希がぽつりとつぶやいた。彼女の頬には、昨日までの疲れがまだ薄く残っている。

「昨日のバス広告の仕上げ、深夜だったもんね……」

「体力はなんとかなるけど……内申がな……」

 蘭が珍しくネガティブな声を出した。その横で、裕介が苦笑する。

「僕の家、祖母が来るんだよね。超現実主義。たぶん『町おこし? 夢を見てる暇があるの?』って」

「ぐぬぬ……みんな火ダルマじゃん」

 一翔が唸る。まさか、このタイミングで最大のピンチが来るとは。

 そのとき、教室のドアが開き、担任の片岡先生が顔を出した。

「結城一翔くん、ご家族と入ってください」

 言われた瞬間、一翔の背筋がピンと伸びた。

「い、行ってきます……死んだら葬式は遊園地で頼む」

「死亡フラグ立てんな!」

 洋輔が苦笑しつつ背中を押した。

 一翔の面談の部屋には、母がすでに座っていた。スーツ姿で背筋を伸ばし、いつもより目が鋭い。

「こんにちは。結城です。本日はお忙しい中ありがとうございます」

 丁寧すぎる挨拶に、片岡先生がちょっと引いていた。

「えー、まずはこちらをご覧ください。一翔くんの直近の成績と、各教科の評価です」

 先生が紙を差し出すと、母はそれを一瞥してから言った。

「率直に言って、平均より下がっていますね。理由は明らかです。“遊園地”ですよね?」

 一翔は言葉を失った。隣の先生も、口を開けかけて閉じる。

「……それは、確かに時間は割いています。でも、ちゃんと調整して——」

「では、証明できますか?」

 ピシャリと言われた。次の言葉が、出てこない。母の視線が、真っすぐ一翔に突き刺さる。

「将来の受験にどうつながるか、答えてみなさい」

 その時だった。ドアの外から、控えめなノックが響いた。

「失礼します。大切なお話中、すみません。一翔の勉強スケジュールについて、お持ちしました」

 現れたのは、結衣だった。片手に書類ファイルを持ち、もう片方で小さく会釈する。

「実は、彼のスケジュールはグループ内で共有して管理しています。こちらが、今後の学習計画です」

 ファイルには、細かな時間割がびっしりと記されていた。宿題時間、暗記タイム、復習日、週末模試の設定まで。

「もちろん、遊園地の活動後に勉強をする形で、一切の夜更かしを認めていません。私が毎日チェックしています」

 一翔は驚いたように隣を見る。結衣は顔を赤らめることなく、静かに言った。

「最初に遊園地の計画を口にしたのは彼です。なら、責任は私たち全員で分担すべきだと思っています」

 母は黙ってスケジュール表を見つめ、やがて、口を開いた。

「なるほど……あなたがいたから、今まで続けてこられたのね」

「いえ、彼の直感と行動力がなければ、私も動けませんでした」

 結衣の言葉に、一翔はこそばゆくなる。でも同時に、ぐっと胸の奥が熱くなった。

 面談の終盤、先生が言った。

「これだけしっかり管理されていれば、むしろ学業面でも成長が見込めそうです」

 母は、ほっとしたように小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

「家でも、勉強については引き続き見守ります。ただし——」

 きっと一翔を見つめる。

「志望校を下げるなんて言ったら、遊園地に幽閉しますからね」

「ひぃっ、わかりましたっ!」

 面談を終えて廊下に出ると、聖美、実希、裕介たちが心配そうに顔を寄せた。

「どうだった!? 生きてる!?」

「うん……生きたまま出てこれた……」

「でも目がちょっと死んでる!」

「いや、それ喜ぶとこだろ!」

 そのとき、別室から飛び出してきたのは、なんと幸平だった。彼の後ろから、母親がプンスカ怒りながら追いかけてくる。

「あなた! 勉強時間ゼロってどういうこと!?」

「だって筋トレが俺の勉強だし!」

「バカかお前はーっ!」

「ぎゃーっ! 先生止めてぇぇ!」

 廊下に響き渡る、絶叫と笑い。

 緊迫の面談日は、笑顔と冷や汗と紙ファイルとともに、波のように押し寄せ、そして去っていった。




 夕方。面談がすべて終わったあと、全員は結衣の家の居間に集まり、改めて今日のことを振り返っていた。

 テーブルの上には、母手製のシフォンケーキと温かい紅茶。緊張から解放された面々は、それぞれ思い思いの姿勢でリラックスしていた。

「おばあちゃんに“学問より奉仕精神”って褒められたよ。たぶん昭和の価値観だよね……?」

 聖美が困り顔でつぶやくと、実希がにっと笑って返す。

「うちの兄貴なんて、職員室で先生と30分筋トークしてたよ? 『筋肉は意志だ!』って……関係あるのそれ?」

「ないな!」

 洋輔がバッサリと突っ込む。

 一翔はというと、結衣が持ってきた勉強スケジュールのファイルを何度も読み返していた。机の上に、今日の面談で使った資料と共に、丁寧に並べられている。

「結衣……マジでありがとう。助かった」

「当然でしょ。あなたが引き受けたリーダーって役割、私たちも背負ってるんだから」

 結衣の静かな声に、一翔は自然と背筋を伸ばした。

 そのとき——

 居間の扉がノックされた。

「おじゃましまーす!」

 やってきたのは、裕介だった。手にはタブレットを持ち、そこにはなにやら見慣れない画面が映っていた。

「みんな、ちょっとこれ見てほしいんだけど」

 タブレットの画面を覗き込むと、そこには虹ヶ丘ランドの公式サイト……ではなく、なにか奇妙な画面が表示されていた。

 パッと見は同じ。だが、よく見ると「イベント中止のお知らせ」と赤字で表示されている。

「……これ、うちの公式じゃない」

 結衣が、ぴたりと動きを止める。

「フェイクサイトか……?」

「いや、それだけじゃない。元の公式サイトのサーバーにも、アクセス履歴に不自然なものが出てる」

 裕介の言葉に、室内が一気に緊張する。

「つまり……本物のサイトの中身も、誰かが書き換えようとしてるってこと?」

「そう。たぶんまだ手口は未遂だけど……次にやられたら、偽情報が拡散されるかもしれない」

 全員が顔を見合わせる。

 今度こそ、遊園地が「中止」されたと誤解されたら……ここまで積み上げてきたものが、一瞬で崩れる。

 結衣が立ち上がり、即座に言った。

「SNSアカウント、すぐに私が管理画面から訂正する」

「俺は偽サイトのURL拡散元を探ってみる」

「私は念のため、明日学校で先生たちにも報告する」

「こっちでも、ボランティアチームに即通知入れるよ」

 迷いはなかった。

 面談という試練を乗り越えたからこそ、全員が“守るべきもの”の重さを、もう分かっていた。

 数分後、結衣が公式SNSに投稿した文は、冷静で簡潔だった。

「イベントは中止されておりません。虹ヶ丘ランドは、10月4日、一日限りの再開に向けて準備を進めております。正確な情報は、公式HPおよびこのアカウントからご確認ください」

 最後に一言だけ。

「皆さんの期待を裏切りません」

 その文章が拡散され、あちこちで「中止ってウソだったんだ」「よかった」といった反応が出始めるのを見て、ようやく全員が安堵の息を吐いた。

「……ほんとにさ」

 洋輔が、しみじみとつぶやく。

「大人って、いろんな意味でコワイな」

「でも、こっちも少しずつ“頼られる子ども”になれてきた気がするよ」

 聖美の言葉に、一翔が微笑んだ。

「俺、最初は『笑顔で終わらせたい』だけだったけど……今はもっとはっきりしてきた。自分の言葉に、ちゃんと責任持たなきゃって」

「うん。私も、もっと信じようと思う。私たちの“夢”を」

 結衣のその言葉に、全員がうなずいた。

 再び動き出した時計の針。

 遊園地の復活まで、あと十九日——。

(第21話「三者面談パニック」了)

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