第24話「虹ヶ丘ランド最終開園」
——十月四日、午前六時三十五分。桜峰の空は雲ひとつない青に染まり、朝焼けが地平線を黄金色に照らしていた。
虹ヶ丘ランドの正門前には、既にスタッフ用テントが設営され、案内看板が立ち並んでいる。かつて“閉鎖”の文字が掲げられたこの場所に、今は「本日限定開園!」の横断幕がはためいていた。
「……風速2メートル、気温19度。快晴」
結衣が手元の気象アプリを確認し、スケジュール表にチェックを入れる。今日は一分単位での行動が求められる。それでも彼女の手元に迷いはなかった。
「洋輔、音響セットどう?」
「スピーカー2台目、ちょっとハウリング出るけど調整済み! BGMはプレイリスト入れてある。あとは流すタイミング、君の合図だけ」
「OK。聖美、受付は?」
「迷子バッジ配布、ボランティアスタッフの名札確認も完了。園内地図はこの箱に1000枚、補充済み」
「幸平は?」
「動線に立つ警備ボランティア、朝礼終了! 体力テスト突破組、動けるやつばっかだから問題なし!」
彼らの声が飛び交う中、一翔はゲートの鍵を手に取っていた。錆びたその金属を、軽く手のひらに転がす。
「ほんとに……今日なんだな」
すぐ隣で実希が笑った。
「うん。今日なんだよ。ちゃんと迎えられたんだよ、この日を」
「緊張してる?」
「ちょっとね。でもそれ以上に、楽しみ。……わたし、この日を想像してたから。最初にこのゲートの写真を描いた時から」
実希の手には、今日限定でスタッフが首から提げる「パスケース」が握られていた。デザインは、あのとき彼女が描いた虹とメリーゴーラウンドが基になっている。
そのとき、園内から蘭の声が聞こえた。
「結衣さん! 観覧車の搬入口、念のためもう一度コーンで囲っておくね!」
「ありがとう、念には念を!」
誰もが、持ち場に立っていた。誰もが、自分の責任を果たすべく動いていた。
そのすべてを見渡してから、一翔は静かに、ポケットからスマホを取り出した。
時刻は、午前九時五十八分。
ゲートの前に並び始めた来場者の列は、すでに道を折り返し、駐車場の端まで届いていた。
「……よし」
一翔は、深呼吸して鍵を差し込む。
ガチャリ。
錠が外れた。
そして午前十時——。
虹ヶ丘ランドのゲートが、再び、開いた。
「ようこそ、虹ヶ丘ランドへ——!」
一翔の声が、メガホン越しに響いた。ゲートが開くと同時に、結衣の手元のタイムテーブルが一秒単位で動き出す。
「テープカット、開始!」
結衣の指示に合わせて、正門前に張られた虹色のテープを、一翔・結衣・洋輔・聖美の4人がそれぞれハサミを手に取って構える。
そして、実希が背後から合図を送る。
「3、2、1——!」
スパッ。
4つのハサミが一斉にテープを切った。
「開園です!」
瞬間、ゲートが開放され、集まった子どもたちが次々に入園し始めた。
「メリーゴーラウンドは右手側です! 案内マップはこちら!」
「先頭のお子様、迷子バッジを受け取ってくださいね〜!」
聖美とボランティアの案内係が、笑顔で子どもたちを迎える。パスケースに入った地図が次々に配られていく。
園内には、既に洋輔が流し始めたBGMが響いていた。古びたスピーカーから懐かしいメロディが流れ、あちこちで「うわぁ」「なつかしい」「まだ動くの!?」という歓声があがる。
子どもだけじゃない。保護者や高齢者たちも、それぞれの思い出の場所へと向かっていた。
結衣がインカムで呼びかける。
「各ポイント確認。コースターは?」
《幸平より。第一走行、無事終了。第二グループ誘導中。笹原さんがブレーキ再確認中》
「観覧車は?」
《蘭です。運行安定。車椅子優先乗車、スロープ使用で対応済み》
「お土産ブースは?」
《実希! クッキーと缶バッジ、売れ行き順調! 今のとこ在庫残50%!》
その報告を聞きながら、結衣は深くうなずいた。
すべてが——動いている。
すべてが、半年間の努力の結果として、今、目の前にある。
広場では、即席ステージに立った洋輔がMCを担当していた。
「このステージでは1時間ごとにミニショーがあるよー! まずは“逆立ちビンゴ”から!」
客席から笑い声と拍手。子どもたちの歓声。
「……ほんとに始まったんだな」
観覧車の影に立ち尽くしていた一翔が、ようやく実感のこもった声を出した。
背中に、誰かの手が触れた。
振り返ると、裕介がいた。
そして短く、こう言った。
「来場者数、3274人。公式記録として残した。発表タイミングは任せる」
それだけ言って、彼は手にしたタブレットを再び操作しながら去っていった。
3274人——。
それは、想定していた入園数の1.5倍以上だった。
「三千……二百七十四人、だってさ……!」
実希が歓喜の声をあげ、近くのボランティアたちとハイタッチする。その手には、最後の追加発注分として製作された缶バッジが握られていた。
「このままじゃ足りなくなるかも!」
彼女が笑いながら倉庫へ走り出すと、洋輔がステージから声を飛ばす。
「はいはーい、メインステージでは次の催し物、もうすぐ始まるよー! 午後の部、最初のゲストはーー我らが結衣さんによる“安全講話”!」
「ちょ、洋輔……!?」
唐突な呼び込みに苦笑しながら、結衣は前に出る。準備していた安全説明のスライドを持ち、マイクを手にした。
「みなさんこんにちは。今日は、虹ヶ丘ランドに来てくれてありがとうございます。ここにいる皆さんが楽しい1日を過ごせるよう、お願いがいくつかあります……」
結衣の声は落ち着いていた。けれど、ステージ袖で見守る一翔は気づいていた。
少しだけ、彼女の手が震えていたことに。
けれど、その震えはすぐに消えた。
話し終えるころには、彼女はスタッフも来場者もまっすぐに見つめ、「一緒に最後まで楽しみましょう」と締めくくった。
拍手が起き、歓声が上がる。
彼女が下がると、聖美がすかさず駆け寄る。
「お疲れさま。すごく伝わってたよ」
「ありがと。……ちょっとだけ、緊張したけどね」
「ちょっとだけ? よく言うよ。うちの班、みんな画面にくぎづけだったよ」
その頃、裏手では幸平がボランティアたちに動線の再確認をしていた。
「次の回転数で来場者が一気に増えるぞ。特にメイン通路、中央ブース、観覧車入口——ここを詰まらせたらアウトだ。全員、位置につけ!」
持ち前のスパルタぶりを発揮しながらも、彼は一人ひとりに水を配っていた。
「熱中症対策は一番大事。水分足りてないやつ、すぐ言え。あと女子は遠慮するなよ?」
その柔らかさに、周囲のスタッフが「おせっかいだー!」と笑って返す。けれど誰も、そのありがたさを否定する者はいなかった。
一方、バックヤードでは蘭が書類に目を通していた。
運行ログ、安全記録、非常口の確認リスト——どれも、事故が起きないようにするためのものだ。
ふと視線を上げると、遊園地の遠景に、ゆっくりと回る観覧車が見えた。
晴れた空に、虹のような光が反射していた。
「……よかった。無事に動いてる」
その小さな独り言に、隣で作業していた笹原がうなずいた。
「今日が終わるまで、あと8時間と40分。気は抜けんが、よくここまで持ち直したな」
「ええ。笹原さんのおかげです。ほんとに」
「ちがうな。あんたたちの執念だよ」
その言葉に、蘭は微笑みを返した。
昼を過ぎ、来場者数はさらに伸び続けていた。
ステージイベントの合間には大道芸人が火を吹き、ゴーカートのエリアでは一翔が直々に子どもたちのタイムを計っていた。
「おっ、今の子、〇〇秒だってよ!」
「やったー! 一翔さん、これ、記録用紙に書いて!」
「任せろっ!」
一翔は声を張りながらも、どこか落ち着かない顔をしていた。
ふと遠くを見つめると、正門近くで結衣が腕時計とにらめっこしていた。タイムテーブルの順守に集中しているのだろう。
「……なあ、俺、派手にやりすぎてないよな?」
背後から洋輔がアイスの箱を引きずりながら現れた。
「なに? 自己反省? おまえにしてはめずらしいな。てか、その“やりすぎ”があったから、ここまで来れたんじゃないの?」
「ま、それはそうなんだけどさ……」
「だろ? だったら前見ろ。子どもたちが、どんだけ楽しそうか見てみろよ」
一翔は振り返る。目の前の世界は、まるで夢の中だった。
子どもたちが走り、笑い、親がシャッターを切る。高校生ボランティアが風船を配り、小さな女の子が観覧車に手を振る。
そこには、かつて自分が過ごした虹ヶ丘ランドと、まったく同じ空気があった。
「そうだな……終わらせるだけの場所じゃないんだよな、ここは」
「そう。だから、最後まで駆け抜ける。——で、そのあと赤字処理は俺がなんとかする」
「おい、それだけはやめてくれ」
二人で笑い合った瞬間、園内放送が鳴った。
『次の時間、14時からは——ジェットコースターのスペシャル回です! 整備を担当したチームと、一部来場者が同乗します。安全には万全を期しておりますが、身長制限と体調チェックのご協力をお願いします』
「うわ、きた。俺、これだけは心臓バクバク」
「うそつけ、俺より先に列に並んでたくせに」
スタッフ専用口から整備士・笹原と幸平が出てくるのが見えた。
「じゃ、行ってこいよ。“亡霊”を乗りこなした男って、また一ネタ増えるぜ?」
「そんなあだ名いらんわ!」
一翔はコースター乗り場へ走り出した。
風が強くなり始めた。だが、空はまだ晴れていた。
時計の針が、14時を示す。
場内に、待っていた拍手がわき起こる。
ジェットコースターが、ゆっくりと動き出した——あの“亡霊”と呼ばれた車両が。
ゆるやかに、そして確実に、虹ヶ丘の空へ、最後の航路を登っていく。
そして、滑るようにして駆け下りる。
歓声が上がる。悲鳴も混ざる。誰もが叫んで、笑って、握りしめた手を放さなかった。
その軌道の中で、一翔は確信していた。
(これでいい。これで、終われる)
いや、終わらせるんだ——みんなで。
ジェットコースターがゴール地点に滑り込むと、見守っていた人々から拍手が起こった。
「——安全確認、完了です!」
聖美の声が無線から聞こえ、続いて実希が合図する。
「来場者、案内始めて!」
誘導チームがロープを開放すると、列に並んでいた子どもたちが歓声を上げて乗り場へ走った。中には、初めてのコースターにおそるおそる歩く子の姿もある。
蘭が、その手を取って言った。
「大丈夫。安全ベルトもブレーキも、さっきお兄さんたちがきちんと確認してたから」
子どもは小さくうなずき、母親の手を握り直して列に戻った。
夕方が近づくにつれ、園内の空気が一層、あたたかく、やさしく、名残惜しげになっていった。
メリーゴーラウンド前で、聖美と結衣がチェックリストを手に進行管理を続けていた。
「次は16時。ライブキッズダンス、その後に抽選会です。景品の数、再確認しておくね」
「了解、聖美。あと30分で一度、場内アナウンス入れとこう」
互いに目を見ずとも、言葉がスムーズに交差する。
その時、通りかかった母子連れが立ち止まった。
「お姉さんたちが、やってるの?」
「え、あ、はい。私たち、中学生で、今日の企画——全部自分たちで……」
結衣が説明しかけたとき、母親がぱっと微笑んだ。
「すごいですね。うちの子、すごく楽しいって……この遊園地が最後なんて、もったいない」
その言葉に、結衣はほんの一瞬だけ胸が詰まった。
そう——もったいない。これだけの笑顔と、これだけの時間と、これだけの風景が、あと数時間で終わるなんて。
でも、だからこそ。
「ありがとうございます。今日、最後まで楽しんでもらえるよう、全力でがんばります」
そう言って深く頭を下げた結衣に、聖美が小声でささやいた。
「結衣、やっぱりあなたが“副”じゃなくて、“本当のリーダー”なんじゃない?」
「それは違うよ。私たちみんなで一つだから。誰かが欠けたら、ここまで来れてない」
「……うん、そうだね」
笑い合った瞬間、観覧車の頂上から夕陽が顔を出した。
時計は、17時を指していた。
あと2時間。
子どもたちの笑顔が、一秒でも長く、この園に咲いていられるように——
7人とボランティアたちは、最後のひとときに向けて、全力を尽くし続けていた。
(End)
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