カタツムリ捕まえた
宝飯霞
カタツムリ捕まえた
柳ほど不細工な男も他にいないだろう。でっぷりと太った体に、顔は肉に埋もれ、目は細く吊り上がり、ほっぺたの肉で口がへの字に曲がり、二十顎がだらしなくぶら下がっている。体中毛むくじゃらで、強いワキガの匂いが彼の半径五メートルくらいまで臭っている。
彼は通っている高校で、酷い噂を立てられ、有名だった。
その噂とは、彼が小学生をレイプしたというのである。
もちろん事実ではなかった。誰かが面白半分に柳へ不名誉を与えてからかって笑うために、作られた嘘だ。しかし、噂は柳の嫌悪感を催させるような強烈な見た目と呼応し、それが真実らしく映っていた。
同じクラスの女たちは、柳を軽蔑と嫌悪の眼差しで眺め、彼が近づいて来ようものなら、顔を真っ赤にして涙を浮かべ、恐れおののくのだった。
あからさまな嫌悪を前に、柳は、自分みたいな怪物はとても幸せになれないなと思うのだった。そんな自分を否定するようなことを考えると、胸が破れそうに痛むのだった。
しかしながら、柳も思春期の男である。女たちから嫌われているとわかっていても、そんな少女たちに美しい幻想を抱いているのだ。
なかでも同じクラスの美少女である金子早紀に熱心な思いを寄せていた。
金子早紀は細くつややかな黒髪を長く背に垂らした色白の目の大きな、背の低い華奢な少女で、性格も大人しく控えめで、男の愛玩用に作られたともいいたくなるような完璧な美少女だった。
柳は早紀が好きなのだが、自分なんかがこんな熱い感情を抱くのは、早紀の迷惑になるだろうと思い、感情を抑え込んでいた。
ところが、ある日、学校の廊下の曲がり角で、柳はばったり早紀と体がぶつかった。早紀は悲鳴を上げ、しりもちをついて倒れた。
柳はしまったと思いながら、直ぐに謝り、早紀を助け起こそうとした。
「いいのよ、いいのよ。それより柳君大丈夫? 痛いところない?」
早紀は優しく柳の手を取った。
彼女の小さな手が温かった。柳はぶるりと歓喜に震えた。
膝を立てた早紀の下半身は、スカートがめくれ、白いパンティが露わになっている。
柳は鼻息荒く赤面した。見てはいけないと、目を伏せる。
「ごめん」と柳は言った。「俺は大丈夫だよ」
「よかった。本当にごめんね」
早紀はにっこり微笑んで、拝むように両手を合わせて頭を下げ、立ち去った。
ステンドグラスを通した明るい日差しが柳の胸に温かく染み入った。
彼女は俺を差別しない。他の女どもみたいに、汚い感情をさらけ出さない。
好きだ、好きだ好きだ。
どんな女よりも彼女が好きだ。
その日一日中、柳は早紀のパンティを思い出すとにやにやが止まらなかった。
もし許されるのなら、早紀の胸に顔をうずめ、背中に回した両手で尻を鷲掴み、股間を早紀の股間に擦り付けたい。
「ああ、俺って奴は、顔の通りろくでもない下品な男だぜ」
時期は梅雨である。
雨の中、青い傘をさして、柳は帰路をたどっている。ふと、コンクリートの塀に、カタツムリがはっているのを見つけた。柳はカタツムリの殻を掴み、コンクリートの塀から剥がすと、その小さな生き物をよく観察した。
びくびくと濡れた体を殻にひっこみ、またそろそろと体をのばす。触角を突いてやれば、それは縮み、また伸びる。
「面白いなこいつ」
濡れた体でもがく小さな虫を眺めていると、柳はだんだん、変な気がしてきた。
「俺もカタツムリになって、金子の体を這いずりまわりたい。そして触角を伸ばし、金子の体を締め付け、動きを封じ、嫌がる金子の口に俺の臭い口を重ねたい」
柳はカタツムリを三匹くらい捕まえると、それをハンカチに包み、ポケットにいれた。
素晴らしい思い付きが彼の気持ちを晴れやかにしていた。
家に帰った柳は、フライパンを火にかけ、油をたっぷり注ぎ、そこにカタツムリを放り込んだ。じゅうと油が跳ねる。
すっかり火が通り、カタツムリが硬くなったらしいのを見ると、柳は皿に揚げたカタツムリを並べ、箸をとって身をほじくり食した。
三つ全部食べおわると、柳は強くなった気がした。
それから、数日、柳はカタツムリやミミズを調理し食べた。
それというのも、ぬめぬめした触手のような生物を食べることで身になると思ってのことだ。体は食物によってつくられると言うのなら、触手を得たいなら、そういった生物を食べて、その生物の魔力、あるいは呪いで体を作り変えたいと思うのだ。
カタツムリを食えば、カタツムリになる。
ミミズを食えばミミズになる。
両方がよく作用して、完璧な触手人間になる。
朝目覚めると、柳は両手が、ミミズの肉体とカタツムリの触角が合わさったような伸びた棒状の奇妙なぬめぬめした何かに変わっていることに気付いた。
柳は喜びに雄たけびをあげた。
普通、こんな変な見た目になっていたら、絶望するところだが、もともと不細工な柳は自分に絶望しているので、このような変化もマイナスな自分にとって、プラスにしかならないのだ。
柳は金子早紀の体をこの触手で這いまわすことを考えると、ぞくぞくした。熱くたぎるものを感じ、欲望に顔が火照る。舌なめずりした唇をぬらぬらとテカらせて、柳は学校に向かう。
学校に着くと、柳は金子の姿を探した。触手をワイシャツの袖に隠して、柳はぎらぎらした目を教室や廊下の端々に走らせる。
いない!
どこだ!?
――いた!
金子は女子トイレに入って行ったところだ。
柳は追いかけた。すぐに彼女を手に入れたくてしょうがない。女子トイレに柳が入っていくと、女子から悲鳴があがった。
セクハラとか、そんなことどうでもいい。
触手で金子早紀を襲うと決めてから、身の破滅は始まっている。今更のように野蛮な行動を非難されても、どうせ俺は終わった人間なんで痛くもかゆくもないね。そして、俺が欲望を達した日にゃ、後は死んでこの世とおさらばするんだ。どうせ、楽しい人生じゃなかった。未練はない。
しかし、違ったのだ。女子たちは柳の破廉恥な行いを非難して悲鳴をあげたのではない。
洗面台の鏡を見て、柳はびっくりした。四肢はミミズ、体は、背中に退化した骨の塊を乗せた、カタツムリのような、半分溶けた怪物が映っていた。
俺はもう人間じゃない。
女子が悲鳴を上げながらトイレの外に逃げていく。
金子はトイレの隅の方に追い詰められ震えている。
柳は身体ごと金子に覆いかぶさり、体全体でキスするみたいに、吸い上げた。
金子は手足をじたばたさせて、こもった悲鳴をあげながら藻掻く。
「やめて、助けて、誰か……!」
顔を強く吸引しすぎたのだろう。金子の両方の目玉がころんと床に落ちる。
空洞となった眼孔は、瞼が凹むように張り付ている。
なんとも憐れなその様子に、柳は胸が痛んだ。
「ごめんな、金子さん。俺は君が好きだったんだ」
そういった声は、くぐもって言葉として聞き取れず、哀れな怪物の雄たけびとして響いた。
「いやあ、いやあ、見えないよ、見えないよお」
金子は血の涙を流しながら、手を突き出しながらよろよろと歩く。
「ごめんな……」
柳は、かっと胸に刃物をたてられたみたいな痛みに襲われる。
こんなふうにするつもりはなかった。
ただ、厭らしいことをして楽しみたかただけだ。
こんな可哀そうなことするつもりはなかった。
人間に戻りたい。
柳は思った。
こんな化け物じゃ、金子は自分を愛してくれないだろう。
もう一度人間になって、謝って許してもらうんだ。あわよくば、友達になりたい。
どうしたら人間になれる?
柳は思い出した。
この怪物になったのはミミズやカタツムリを食べたせいだ。
なら、人間を食べたら、人間になれるのだ。
柳は床に転がっている金子の眼球を見つけて、はっとした。
「これを食べよう」
柳は眼球を二つ飲み込んだ。それは金子のものだと思うと、甘美に喉を下った。
その時である。どっと女子トイレに学生たちが入って来て、塩を柳に浴びせてきた。彼らは未知なる生き物と戦うつもりだ。誰かがストーブの石油を柳に浴びせ、火を放った。
柳は燃え上がりながら、自分の四肢が真っ直ぐに伸びていくのをみた。
火が収まり、あとには黒焦げの人間の死体が横たわっていた。
そしてその黒焦げの遺体は、微かにほほ笑んでいるように口角を上げていた。
彼は死ぬまで自分が金子と仲直りして、愛されることを信じていたのだ。
カタツムリ捕まえた 宝飯霞 @hoikasumi
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