初春みかの異文化交流日誌
灰色セム
初春みかの異文化交流日誌
二〇二五年。某月某日。給料日。天気は快晴。いつものように出勤したら会社が倒産していた。脳内で「初春みか十九歳これにて無職です!!」と実況してみる。耳をつんざく警報が人々の声を上書きしていく。携帯電話には『日本全土にミサイルが発射されました』と表示されている。
画面に反射したポニーテールが風に吹かれている。
静かになった。
一瞬だった。
どこかで爆発音がした。光と音が日常を破壊していく。悲鳴を上げて逃げ惑う同期。金切り声で叫ぶ先輩。視界の隅で倒れたのは気の弱い主任だった。
誰かが「地下に避難するんだ!! はやく!!」と叫ぶ。
焦げて燃えて倒壊していく町並みは、どこか夢のよう。
体から力が抜けて歩道にへたり込む。誰かに蹴りとばされて頭と背中を強打した。
「いったぁ……!!」
涙でにじんだ空を見上げる。赤と黒に彩られた空が、真っ白に輝いた。
「まぶしっ」
目を閉じても痛いほどまぶしい。
静かになった。不快な臭いもやかましい音も、なにも感じない。もしかして、わたしは死んだのだろうか。
ゆっくり目を開ける。象牙色の天井は高く、ステンドグラスのような物がきらめいていた。
「室内……? どういうこと?」
痛む上半身をそっと動かす。床についた手に何か触れて、反射的に身構えた。黒みがかった青い敷物が目に入る。足下がふかふかする。日本生まれ日本育ちのわたしには、少し居心地が悪い。部屋に窓はなく、天井に見合うだけの大きなドアがあった。
ひとりがけのソファかひとつに、テーブルがひとつ。小さな本棚に生活感がかいま見えた。飲みかけだろうグラスには、虹色の液体が半分くらい入っている。
「誰か親切な人が助けてくれた? でもこんな建物、佐賀にあったかな」
何かと存在感のなさをネタにされる我が故郷には、とてもではないが釣り合わないように思えた。ホテルが建ったというニュースにも覚えはない。通勤カバンと携帯電話を拾いあげる。
圏外。おそらく基地局が破壊されたのだろう。何から手をつけたらいいのだろうか。
オープンワールドのゲームではないけど、ここを出て高いところに行ってみよう。非常事態だからこそ情況把握と自己主張は大切だ。物音がして、よどみかけた空気がかき混ぜられる。
開いたドアの先には金髪碧眼の青年が立っていた。
⋯⋯全裸で。
カバンで顔を隠しつつ「すみませんすみませんすみません!! あの、あなたの家だと知らなくて!? えっとぉ……アイム、ジャパニーズ!!」などと自己主張してみる。 どうしよう。彼が動く気配はない。
カバンからほんのわずかに顔を出す。あごに手を当てて、何か考えているようだった。全裸で。
なにこれどうしたらいいの。ドアが後ろ手に閉められた。彼と目が合う。
「ニヒツフャツヨキ」
えっ、なに。彼がもう一度繰り返しながら。全裸でこちらに歩いてくる。
「ネイフャアメ。ケカズ」
パントマイムじみたジェスチャーをしている。
どうしよう。なに。なんなの。誰か。
「……hmmmmm」
長いため息のあと、彼は壁に手をつけた。ほのかに光った壁一面にに青空が映し出された。それどころか、鳥のさえずりや心地良い風も感じた。
「さっきまで窓なんてなかったのに」
別の壁が光ると、一面クローゼットに変化する。やや気怠げな所作で彼が着替え始めた。今のうちにここから出た方がいいかもしれない。
背後にあったドアは、空気に溶けるように消えていった。どういう仕組みなのだろう。布ずれの音だけが響く。脳みそが考えることを放棄し始めたころ「ケカズ」と呼びかけられた。
「ケカズ」
すっかり着替え終わった彼は、ギリシャ神話の神様のような服装をしていた。
「ケカズ」
そう言いながら、ソファを指さしている。なになになになに。ああ、えっと。そうだ。名刺を一枚取り出し「申し遅れました。わたくし、はつはる みかと言います」自己紹介した。
受け取った名刺を不思議そうに眺めた彼は「オカトア」とつぶやいた。名刺が青白くなり、空中へ固定される。何語なのか分からないけど、意思疎通ははかりたい。
名刺の裏にボールペンでぐちゃぐちゃしたものを描く。
それを指さしながら「なに」と発音する。
名詞を見て、彼を見て、もう一度名刺を見て「なに」と繰り返した。
こちらの意図を理解したのか「ヒフ」と彼が言う。たぶん通じた。たぶん。
「ひふ はつはる」
「ハチュハル」
通じた。彼が薄く笑う。コミニュケーションの第一歩。よしよし、いけいけ。この調子で名前くらい知りたい。
「ひふ?」
指さすのは失礼になるかもしれない。彼を見上げる。
「ニケ。ヒフ、ニケ」
「ひふ ニケさん」
「タキタキ。ニケ。ヒフ、ハチュハル」
「ニケさん」
名前が分かれば意思疎通はしやすくなる。たぶん。
「ハチュハル、ケカズ」
ニケさんはソファの近くで「ハチュハル」と呼んだ。 さっきから言われているケカズの意味も知りたい。ソファを見ながら「ひふ ケカズ」とたずねる。
「カカク。ヒフ、カテ」
「えーーっと。ひふ かかく?」
「カカク。ヒフ、カテ」
ふむぅ。かて、がソファのことらしい。
かかくは何だろう。ソファの近くに行く。
「ひふ かて?」
「タキタキ。カテ。ハチュハル、ケカズ、カテ」
ソファに、わたしが。座る、かな。
「ニケさん。はつはる かて?」
ニケさんは「タキタキ」と破顔した。
一礼してソファに座る。ふわぁ、めっちゃ沈み込む。人をダメにする低反発クッションみたい。そのうえサラサラで心地いい。でも、ニケさんはどうするんだろう。
「ハチュハル」
呼ばれて顔を上げると、壁に空いた穴から同じソファを取り出していた。
「ニケさん。ひふ? なにそれ」
「カテ」
「ソファじゃなくて」
ニケさんはソファをわたしの斜め前に置いて、タキタキとつぶやいている。壁の穴が閉じていく。あぁっ、翻訳機が欲しい。
「ハチュハル、ヒフ、シヴェメ」
「しめ? ひふ しめ。ニケさん、ひふ しめ?」
「hmmmm……」
あーー、考え始めた、かな。壁に穴が開いては消え、開いては消えている。少なくとも『しめ』は、ここにない。たぶん。
そして、ほんっとうに憶測だが、ニケさんの母国語は日本語の文法に近い気がする。あえて易しい……幼児でも分かる言葉を選んでいるだけかもしれない。正解は分からない。
窓から気持ちのいい風が入ってきた。地元ではよく山が見えた。ここからは澄んだ空と雲以外、なにも見えなかった。緑や草木の匂いはしない。
「ここ、どこなんだろう」
知らない場所で、言葉もうまく通じない。携帯電話のアンテナはゼロ。見た限りコンセントもない。電話帳をタップする。名前の後ろに『元気です。電池を節約しています』と打ち込んで機内モードにした。
「タキタキ。ハチュハル、シヴェメ。ヒフ」
「なにかな? はぁい」
顔を上げると、色とりどりの花束を渡された。
バラに似た花はチョコのような香りを放っている。
「えっと、ありがとう……?」
「ハチュハル。シヴェメ」
ニケさんが壁の穴から、花を一輪取り出して食べた。
「タキタキ。シヴェメ、ハチュハル」
「……食べるの?」
「タキタキ」
あうぅ、どうしよう。
確かにおいしそうな香りだけど。
食用の花ってことだよねぇ。誰か教えて欲しい⋯⋯。
「い、いただきます」
赤い花弁を一枚むしって口に入れる。バタークッキーを極限まで薄くしたら、こんな食感になるかもしれない。
「おいしい」
「タキタキ。シヴェメ」
「ニケさん。ひふ、しめ?」
「シヴェメ」
彼の言う『しめ』とは食事のことらしい。
さまざまな味の花弁を食べつつ、これからの身の振り方を考える。もっと情報が必要だった。しばらくはニケさんと意思疎通を試みよう。初対面こそ全裸だったけど、自分から服は着てくれたし⋯⋯。悪い人じゃないと信じたい。
二〇二五年。某月某日。給料日。天気は快晴。
非日常を渡り歩く日々が、始まろうとしていた。
初春みかの異文化交流日誌 灰色セム @haiiro_semu
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