第5話:やりたいこと
クオンに現れた人間ではないもの。正体不明の編入生。それが私のメイド、らしい。異次元の方向から突っ込んできたヒビキの悩みの種は、朝起きても当然夢になってはくれなかった。
「おはようございます、ヒビキ様」
「……おはよう。本当に住みついてるわね」
ベッドから起き上がったところに、当然のように待ち構えている当該危険人物、マギ。ヒビキに対しては無害なように見えて、もう少し近づけば命を取る一寸前まで取り押さえてくるのだろう。
だが、もはやそんな大前提の、個人的な問題で頭を悩ませるヒビキ・アルケイデアではない。このメイドは少なくとも人間ではないし、ついでに常人離れした戦闘能力を持つ。何をしでかすかわからないしどんな厄を秘めているかわからないものが、私のメイドとしてはどういうわけか忠実だ。
自分にはこの存在の手綱を握る責務がある。すなわち掌握と監視を行う必要が。
「学院に行きましょう。着替えを持ってきて、我がメイド」
「承知しました、ヒビキ様」
つまりは少々癪ではあるが……「メイド」をやらせるのが最善だ。どうにも自意識は希薄な上に頑固だから、まずは認識の補助、補填、追加。クオンの生徒として馴染むという最初のオーダーも、同時並行で徐々に刷り込めばいい。
昨日の出来事を脳内で処理し切って、自分にしかできないこと、やるべきことを判断する。混乱は冷め、既に冷静になれている。何も決闘だけがヒビキの優れている点ではない。故に年度代表。
「……あなたも制服を着なさいよ」
「着ていると思いますが」
「私服の上から羽織るだけでは着用したと言わない!」
「とはいえ、私はヒビキ様のメイドですので」
……マギの制服は、相変わらず両肩から羽織られているだけ。その下にはもう「いつも」になった白黒のメイド服。ここは彼女のアイデンティティとして、譲れないものであるらしいな、と、そういうことを思いながら、
「行きましょうか」
「はい。お供いたします」
「馬鹿ね、あなたも通うのよ」
それでも、ひとまず足並みは揃ったのだ。数歩後ろの間隔を譲らないくらいは、許容範囲だろう。あくまでメイドと生徒の二足のわらじ、それくらいで止めさせてやる。それ以外、それ以上の逸脱は、私の目があるうちは起こさせない。
ヒビキの密やかな決意だった。
王国の平和の助力となるならば、彼女はいくらでも奮い立てる。
※
というところだったのだが。
クオンにたどり着き、教室に入った途端、ヒビキとマギを大勢のクラスメイトの視線が集中する。
「あっ、ヒビキさん!」
「マギさんも! やっぱり一緒に登校してきたわ!」
「聞いた? 昨日あのあと、マギさんはもう一戦別の決闘を交えて、しかも勝ったらしいわよ!?」
「やっぱりヒビキさんのメイドなのだから、ものすごい実力……実際のところ、昨日の二人の決闘ではマギさんが」
「次はヒビキさんが勝つわよ!」
……既に十分過ぎるほど、注目を浴びていた。何かにつけて注目を浴びる側のヒビキとしても面食らうほど、何せ今回は二人分である。しかもどちらかと言えばマギに注目が寄っている。
当然と言えば当然だが、気に入らないのももちろんだ。
だがここで下手な振る舞いをするわけにはいかない。マギが注目を浴びること、それはまだヒビキでも明らかにしていない彼女の異常を明らかにする危険性に繋がるから。ここは勤めて、平和に……そう、平和に……。
「ヒビキ様」
「ひゃっ!? な、何かしら!?」
予想外のタイミングで、マギから声をかけられ、素っ頓狂な声を上げてしまう。冷静を保つはずがこれだ。気が抜けているのか、キャパシティを超えているのか。そんなことを自分に問いながら、ヒビキはマギの言葉を待つ。冷静でなくなるとして、一瞬で済む。
「いえ。ただ、この場合はどうすればよいのかと思いまして」
「……ああ、『学院に馴染む』ね」
合点する。マギは他人の目線など気にしないたちだと思っていたが、『馴染む』から逸脱していることくらいは理解してくれているらしい。それなら、と、ヒビキは、
「一旦離脱しましょうか。いいわね? マギ」
慣れた足取りで周りの視線に背を向け、誘導される先を切り、視界の外に出る。マギを手招きしながら。こうなれば流石に私がリードする他あるまい、そういう心境。すなわち、だんだんとマギに世話を焼く側になりつつあるのが、昨日までと違うヒビキ・アルケイデアであった。
そして、人気のない廊下(彼女は学院生活の上でいくらかこういう場所を把握している)にマギと共に脱出。すぐさま、先ほどの会話の続きを再開する。
「どうやらその様子だと、あなたの行動の結果が『馴染む』から程遠いことは理解したようですわね」
「はい。想定では、こうではなかったのですが」
呆れた。昨日の無茶な立ち回りが、一体何を想定していたというのだろうか。そうは思ったが、それを追求しても何にもならないだろうという予測はつく。何せ常識はずれの理由の一端には、普通の人間でないという秘匿すべき事実が繋がっている。
となればとりあえずで差し向けた「学校に馴染む」というオーダーは、この際になって「普通の人間のふりをする」と変換できるようになる。普通の人間でないとして、クオンの生徒にふさわしくない存在だと判明したとして、何も排除しようとか、ヒビキもそこまでは思わなかった。
負けっぱなしで退学勝ち逃げを許すなど、癪だというのはもちろんあるが。それ以上にヒビキにとって尊ぶべきは平和。武力すなわち決闘は、あくまで積極的に己が地位を盤石にするための手段なのがヒビキ。となればヒビキの中では、闘いなしで済むことについてまで闘いを持ち込む必要はないのだ。
少なくとも彼女にとってのマギは、ただの決闘相手というだけではないのだから。もちろんリベンジはするとして、そこにさまざまな文脈を載せるため、まともな形で決闘らしい決闘を行うためにも、普段は何事もなく過ごしたい。それがヒビキの感情である。
目の前にいるのは、肩から制服を羽織った白い肌の少女。メイド服。見た目はこの際どうとでもなるし、仕方ない。
が、行動については、このままでは注目を浴びるばかり。悪目立ちに発展しかねない。
「そうね」
つまり、マギについて、何が周囲の注目を浴びるかというと、
「クオンでやりたいことを、しっかりと意思表示する。あなたに必要なのは行動じゃなくて、言動よ」
……「意図がわからないこと」。
これだ、とヒビキは結論づけた。
「……言動」
マギは反芻する。言われた通りに。やりたいこと。それは何か。
「あなた、口下手なのよ。私のメイドだとか、それも意味不明なまま押し通そうとするのだもの」
「しかし、それが私の使命です」
「普通の人間は、誰かに仕えるために生きているわけではないのよ」
更に言い放つ。そう、メイドでありたいこと、従者でありたいことは、「普通」、やりたいこと、生きる上での目的ではない。メイドというものがこの王国に他に存在しないのとは別で、「従者」そのものが人間の本質となることはない。
「あなた、私に仕える義理があるわけではないでしょう」
……仕事でもないし、恩義でもない。そんな従者は、「ありえない」。マギに何度問うても、「メイドでありたい理由」は出てこなかった。「メイドであること」は、彼女の前提。
それは多分、「普通の人間」ではない。
だから、マギに必要なものは、「やりたいこと」。
「……クオンでやりたいこと、ですか」
「そう。そこに戻ってくるのですわ」
理屈に対する理解自体は早そうだ、そうヒビキは胸を撫で下ろした。常識か、あるいは人間性か、欠け落ちがあるのは確かだが。
……マギとしては、馴染むための努力の一つとして、昨日それほど逸脱した行為をしたつもりはなかった。ヒビキとの決闘のあと、彼女がもう一つの決闘を受けたのは、「それがクオンの道理だと思ったから」。
決闘。それがクオンを支配する理。そう理解し、それに則った。ヒビキとの決闘を了承したのも、セレナの誘いが罠である可能性を考慮した上でやはり了承したのも、
「クオンの絶対的ルールは、決闘ではないのですか?」
そういう理解が、限られた時間の中で生まれたから。あれだけ目を引く。校則の一条を憚る。故に文字通りの鉄則。それに従えば「馴染む」。そう思っていたのだが。
「……そう簡単なものでもないのよ」
ヒビキの態度からマギが推し量れたのは、「それだけではない」、そのくらいの事情だった。
少し俯き、もどかしそうに。あれだけの力があり、まだ伸び代があるのに。決闘ですべてが決まるのなら、ヒビキが頭を悩ませるはずもないだろう、それくらいはマギにもわかった。
「決闘は確かに、クオンにおいて重要なもの。最初に決められた成績の付け方。……でも、今のクオンは、何も戦闘力だけを見出す場所ではないのですわ」
「……昨日私が決闘を行った生徒は、戦闘に秀でた能力を持っているわけではありませんでした」
「そう。そんな子のために、闘わない道を示す。あくまで限られた生徒だけが、決闘に身を捧げれば──」
「ですが、彼女たちは決闘を望んでいました」
ヒビキがその戦闘を監視していたことを知ってか知らずか、マギはヒビキに言葉を返す。ここだけは譲れないとばかりに。
原初の欲求、やりたいこと。
「闘わないことが最善だと、誰かが決めたのですか? まだ足りない、まだ勝てない、それでも死力を尽くす。彼女たちの戦術は、確かに褒められたやり方ではないかもしれません。そうまでして決闘に拘るより順当な道のりがある、そう言えるかもしれません。ですが」
「"やりたいこと"を咎める理由は、誰にもないはずです」
あくまで論理の帰結として、感情は薄く。されど明確に、マギはヒビキに反論した。
「なるほど、それがあなたのやりたいことね」
初めて人間らしさが見えたな、そうヒビキは思った。メイドともう一つ、マギのこだわり。決闘、闘いにかける想い。それは他者の想いを尊重することも含んでいる。誰もが権利を持ち、誰もが争える。
……決闘という仕組み自体、ヒビキとしては古い枠組みだと思っていたのだが。だがそれは、自分が選べる側だからかもしれない。そう思った。
マギの発露。それを踏まえて、ヒビキから彼女にしてやれることは。
「……クオン校則、第百八十六条」
──学院の中で解決できる範囲なら、すぐに思い当たる。
「"三人以上の署名を以って、あらゆる同好会の設立を許可する"」
もうすぐチャイムが鳴るだろう。しばらく授業につきっきりだろう。ならば、授業が終わったあとの話を、道を主として示してやろう。理由もなくメイドを名乗られるのは癪だから、これからせいぜい敬意を払わせようじゃないか。
「マギ。あなたのやりたいこと、『決闘同好会』にしてしまいましょうか」
色々と合理的理由があるのだが、それは放課後だ。
私の言葉に赤い目をぱちくりとさせたマギを、初めて少し可愛げがあると思った。
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