第7話 無限のマンション エピソード1「奇妙な依頼」
土田有樹はスマホ画面に表示されたショートワークスのアプリを無気力にスクロールしていた。暇だ。今日も特にやることがない。
「バーテンダー、工場の仕分け、イベントスタッフ…」
どれも気が進まない。人生でやりたいことはすでに達成してしまった男にとって、わざわざ選ぶほどの情熱を注げる仕事はない。そんな中、一つの求人が目に留まった。
「引っ越し作業員…」
通常、有樹なら力仕事は避けるところだが、条件欄に「マンションの一室のみ、珍しいコレクションあり」と書かれていた部分が微かに好奇心を刺激した。さらに、報酬が普通の引っ越しより3割増し。何か特殊な事情があるのだろうか。
「……何を見ている?」
ソファの向こう側からミカの声が聞こえた。いつの間にか彼の背後に立ち、スマホの画面を覗き込んでいる。
「引っ越しのバイト。珍しいコレクションがあるらしいんだが…」
有樹は迷いながら説明した。最近、ミカは少しずつ言葉を発するようになってきた。最初に出会った頃と比べれば大きな進歩だ。まだ感情表現は乏しいものの、好奇心は確実に芽生えている。
「……行きたい」
ミカの言葉に、有樹は驚いて振り返った。彼が自分から積極的に何かを「したい」と言うのは珍しい。
「お前が行きたいのか?」
ミカはわずかに頷いた。その目には有樹が読み取れない何かがあった。
「まあ、引っ越しなら二人じゃ足りないだろうけど…ミカならいくらでも重いもの持てるしな」
「……持ち上げられる」
「わかってるよ」
有樹は苦笑しながら応募ボタンを押した。何かを探しているような、そんなミカの様子が気になる。だが問いただしても、おそらく明確な答えは返ってこないだろう。
「よし、行くか」
有樹は鍵を手に取った。真夏の太陽が容赦なく照りつける外の世界へと二人で出ていく。バイクではなく、今日は車で移動することにした。
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集合場所の引っ越し会社の倉庫には、すでに一人の女性が待っていた。派手な赤いTシャツに黒のカーゴパンツという作業服姿で、肩までの髪を高く結んでいる。
「あ、来た来た!」
女性は二人を見るなり、満面の笑みを浮かべた。
「土田さんとミカさんよね? 私、倉田美香。今日の梱包担当。よろしくね!」
明るいテンションで倉田は二人に近づき、あまりにも積極的に握手を求めてきたので、有樹は少し戸惑った。
「あ、ああ。よろしく」
「ねえねえ、二人はどういう関係なの? 兄弟? でも似てないわよね。親戚? それとも…」
質問が矢継ぎ早に飛んでくる。有樹は少し後ずさりしながら答えた。
「親戚の…子だ」
「へえ〜、そうなんだ。ミカくん、高校生? いや、もう大学生?」
ミカは無言で倉田を見つめるだけだった。
「あはは、無口なタイプね」倉田は気にせず続けた。「今日の依頼先、ちょっと変わった方らしいわよ。コレクターだって。でも荷物は普通の一人暮らし程度って聞いてるから、三人もいれば十分でしょ」
有樹はちらりとミカを見た。彼なら重いものもひょいと持ち上げられる。その点では問題ないだろう。
「さ、じゃあ行きましょうか!」
倉田の運転する引っ越し会社のトラックに乗り込み、三人は依頼主のマンションへと向かった。
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萩原秀樹の住むマンションは、築30年は経っていそうな古い建物だった。外観は特に変わったところはなく、都内にありがちな茶色い外壁の10階建てマンション。エレベーターも古く、軋む音を立てながら上昇した。
「801号室ね」
倉田がインターホンを押すと、しばらくして扉が開いた。現れたのは70代と思われる痩せた老人だった。白髪を後ろに撫でつけ、厚めの眼鏡をかけている。清潔感のある白いシャツに黒のスラックスというきちんとした出で立ちだ。
「萩原です。来てくれてありがとう」
老人の声は穏やかで、物腰も柔らかい。だが、その目は鋭く、特にミカを見たときに一瞬光るものがあった。
「よろしくお願いします。今日は三人で伺いました」
倉田が元気よく挨拶すると、萩原は軽く頭を下げ、三人を中へと招き入れた。
有樹は玄関に足を踏み入れた瞬間、違和感を覚えた。
まず、廊下が妙に長い。外から見たマンションの作りからすると、こんなに奥行きがあるはずがない。
「すみません、今日中に全て運び出してほしいんです」
萩原の言葉に、倉田は「任せてください!」と答えたが、有樹は周囲を見回していた。廊下の両側には次々とドアが並んでいる。これが普通の一人暮らしの部屋数だろうか?
「ここはリビングです。ここから始めていただけますか」
萩原に案内されたリビングは広々としていたが、家具は意外と少なかった。テーブル、ソファ、テレビ台、本棚が数個。しかし本棚には奇妙な置物や、ガラスケースに入った何かが並んでいる。
「ミカ」
有樹が声をかけると、ミカはすでに部屋の中央で立ち止まっていた。彼の視線はじっと天井を見上げている。
「どうした?」
「……ここは、おかしい」
ミカの声は小さく、倉田には聞こえないようだったが、有樹ははっきりと聞き取った。彼もそう感じていた。このマンション、何かがおかしい。
「さあ、梱包から始めましょうか!」
倉田の明るい声が響く中、萩原は廊下の奥へと消えていった。その後ろ姿を見送りながら、有樹は不安を感じずにはいられなかった。
これは単なる引っ越しバイトではない。そんな予感が、彼の心をよぎった。
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