エピソード2「異常なコレクション」

「ねえねえ、土田さん、このガラスケースどうしましょう?」


作業を始めて20分ほど経った頃、倉田が声をかけてきた。彼女は本棚に並ぶガラスケースの一つを指さしていた。中には美しい蝶の標本が収められている。


有樹が近づいて見ると、その蝶は針で留められているはずなのに、かすかに羽が動いているように見えた。彼は目を擦って、もう一度見た。錯覚ではない。確かに羽が震えている。


「これは…」


「きれいでしょ? 蝶の標本って、こんなに鮮やかな色が残るものなの?」


倉田は特に違和感を抱いていないようだった。


「そうだな…」


有樹は言葉を濁し、ケースをそっと持ち上げた。すると中の蝶がはっきりと羽ばたき始めた。彼は思わずケースを取り落としそうになった。


「気をつけてよ! 壊れちゃうでしょ」


倉田が軽く叱ると、有樹は無言で頷いた。この標本は生きている。そう確信した彼は、ミカの方を見た。ミカもまた、その標本を静かに見つめていた。


「これ、どう梱包します?」


「ん? あ、そうね。特殊コレクション用の箱に入れましょうか」


倉田は引っ越し会社から持ってきた専用の箱を取り出し、丁寧に梱包し始めた。有樹は他の本棚も調べてみることにした。


次々と奇妙なものが目に入る。


未知の文字で書かれた古い本。ページをめくると、一瞬だけ文字が浮かび上がって見え、そして頭がズキンと痛くなる。


小さな木製の箱。開けると中から微かな音楽が聞こえてくる。ただし、その音色は地球上のどんな楽器とも似ていない。


真っ赤なワインのように見える液体が入った瓶。液体は時折、まるで意志を持つかのように動いていた。


「萩原さんって、すごい趣味人なのね」


倉田は相変わらず平然としている。彼女には、これらのコレクションの異常さが見えていないのだろうか。それとも、彼女なりの現実理解の中で解釈しているのか。


「あの、倉田さん」有樹は尋ねた。「このコレクション、普通だと思う?」


「うーん、確かに変わってるけど、コレクターって往々にしてマニアックでしょ? 私の前の引っ越し先なんて、部屋中アイドルグッズだらけで身動き取れなかったわよ。あれに比べれば、これくらい…」


倉田はさらっと言い、作業を続けた。有樹は首を傾げた。彼女の言うことも一理ある。人はそれぞれの「普通」を持っている。だがこれらは単なる変わった趣味とは思えなかった。


作業が進むにつれ、さらに奇妙なコレクションが見つかった。磁石のように引き合い、決して離れようとしない二つの石。触れると肌が青白く光る古びた鏡。どこかの国の硬貨に見えるが、表面の文字が常に変化している金属片。


有樹は萩原の姿を探した。彼は時々姿を現しては、荷物の扱いについて指示を出し、また姿を消す。特に、廊下の奥にある一つの部屋—赤い扉のついた部屋—には彼が何度も出入りしていることに気がついた。


「あの部屋は?」


有樹が尋ねると、萩原は静かに首を振った。


「あそこは私が自分で片付けます。皆さんは他をお願いします」


そう言って、再び赤い扉の中へと消えていった。


「……あの部屋」


ミカが突然、有樹の横で呟いた。


「どうした?」


「……安定していない」


有樹はミカの言葉の意味を理解できなかったが、その声音に潜む緊張感は感じ取れた。ミカが不安を示すことは稀だ。それだけに、その言葉の重みは大きい。


「ねえ、土田さん、この部屋もやっちゃおうよ」


倉田が次の部屋に向かおうとしていた。有樹は赤い扉に一瞬だけ視線を向け、それから彼女の後について行った。ミカもまた、静かに二人の後を追った。


萩原のマンションの謎は、まだ序章に過ぎなかった。

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