第30話 幕僚会議
帝国陸軍本部、大会議室。厚い石造りの壁に魔導障壁の刻印が浮かび、重厚な扉が静かに閉じると、空間は完全な密閉状態となった。青白い魔導灯の光に照らされた室内には、長卓を囲む十数名の幕僚たちの姿があった。参謀本部、情報局、兵器局、軍務局、各師団──いずれも帝国陸軍の中枢と現場を担う者たちである。
「──以上が、本新機構の基礎理論および初期試験報告です」
報告を終えたウルバイン少佐が一礼して下がると、沈黙が室内に満ちた。提出された報告は、第3世代宝珠の改善のため、導入が検討されている『意味推論機構』についてのものである。
参謀本部中将が、手元の資料に目を落としながら静かに口を開いた。
「確かに、報告にある通り、定義の欠落や誤発動の場面でも柔軟に対応できる構造は評価に値する。しかし、我々が扱おうとしているのは兵器だ。──この意味推論機構、従来の術式処理とは根本的に異なる。各位、この機構の本質を改めて確認しておきたい」
兵器局長ザルム・ラキネルが頷き、重い口調で応じた。
「意味推論機構とは、使用者が発した語や思念の内容──つまり『意味』そのものを、文脈的に解釈し補完することで、術式を即時に構築・展開するものです。従来のように術式と詠唱を事前定義するのではなく、むしろ『語ること』そのものが構築手続きになる。汎用性と即応性において、現行の宝珠とは比較になりません。しかし、同時に〝意図せぬ意味補完〟のリスクも内包していることはたしかです」
情報局長が資料をめくりながら付け加える。
「補完、という語は便利だが──要は〝意味の暴走〟だ。現場においては、感情や想起、恐怖や錯覚といった非意図的な要素も、術式生成に介入し得る。これは実戦運用の観点から見ても、極めて慎重な取扱いが求められる」
そこへ、西方方面軍司令が静かに挙手し、言葉を挟んだ。
「現場を預かる立場として、正直に申し上げる。練度の高い部隊ならともかく、地方展開部隊や動員部隊でこの機構を即座に扱えるとは思えません。特に〝語れば発動する〟という構造は、誤爆・誤動作の温床になり得る。兵士にとって〝言葉〟は武器である以前に、生理的な反応でもありますので」
第五師団長が同意の意を示し、続ける。
「加えて、現場では術者個々の『言語感覚』が揺らいでいる。帝国語、古語、方言、混成部隊の符丁──それらをどの範囲まで『意味』とするのか。補完の仕様に属人性が強くなればなるほど、部隊間の連携に支障を来すでしょう」
この指摘に対し、ラキネルはしばし黙考の後、静かに応じた。
「その通りです。兵器局としても、現場実装には段階的適用が必要と考えています。特に初期導入部隊には、言語制御訓練と機構挙動の完全監査を義務付けるべきでしょう」
この空気のなか、情報局の高官が慎重に挙手し、机上の報告書を軽く叩いた。
「──よろしいでしょうか。一点、重要な報告がございます。王国の動向についてです」
視線が一斉に情報局側へと向けられる。
「本機構に類するものではありませんが、王国もまた新型詠唱兵器の開発を進めていることは、先般ご報告済みかと思います。その新型詠唱兵器ですが、既に最終実験の日時が内定したとの報があります。時期は再来月第二週。場所は南部山岳地帯の機密指定区域。外交筋や宣伝部隊の動きから察するに──成功を前提とした広報展開も視野に入れているようです」
空気が緊張を帯びる。中将が静かに問う。
「……つまり、それは我々を先んじている、ということか?」
「本件──意味推論機構の開発進度が、我々の想定通りであるならば、王国が先行する恐れがあります。そして王国は、実験成功の暁には、次世代詠唱兵器を実戦投入可能であると国内外に宣言するであろうとも考えます」
「それは、両面作戦ではないか!」
次の瞬間、軍務局長が強い調子で口を開いた。
「ならば──我々も、それと同時期、いや、同時刻に意味推論機構を搭載した実機の実験を実施すべきだ。各方面への準備命令を急がせよう。たとえ懸念が残ろうとも、今は技術論の時ではない。これは軍備競争の文脈にある。王国に遅れを取るわけにはいかん。これは単なる技術検証ではない。国威を賭けた政治的儀式だ」
誰もがその言葉に反論できなかった。
「……実験であれば、現場に反対する理由はありません。ただし、現場への投入は十分な準備期間を確保していただきたい」
第五師団長が応えた。西方方面軍司令も頷く。
ラキネルが重く補足する。
「安全対策として、『対干渉機構』は既に実装済みです。これは、外部の術式干渉や精神波による誤作動をフィルタリングし、機構内での推論補完の暴走を防ぐ制御層です。ただし──理論上、ですが」
参謀中将が鋭く応じた。
「理論上、というのは、失敗の可能性があるということだ。我々は詠唱兵器を扱っているのではない。意味と意識、そして言葉の相関に介入する術式を構築しようとしている。これは……制御可能な兵器である保証がどこにあるのか?」
数秒の静寂のあと、中将は厳しい口調で言葉を継いだ。
「……それでは、第3世代宝珠への導入に際しては、次の条件を付す。対干渉機構の常時稼働、現場判断での解除禁止、全術式記録の保存と監査局による事後検証体制の確立。この三つを、最低限の前提とする。──くわえて、導入実証実験を王国の最終実験と同時刻に行う。兵器局は、直ちに開発日程の調整を開始せよ」
その言葉に、ラキネルはしばし言葉を詰まらせながらも、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました」
──こうして、王国の影に追われる形で、意味推論機構の導入は『条件付き』ながら決定された。
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