第29話 神に委ねた兵器

 兵器局本部の会議室には三人の姿があった。灰色の石造りの壁、重厚な木製の机、その上には湯気を立てる金属ポットと、三人分の陶器のカップが並んでいる。少し冷え込みが残る朝で、窓から射す日差しはあるが、室内の空気はどこか張り詰めていた。


 カイは手帳と演算記録の束を抱え、静かに席に着く。指先には、徹夜明けのわずかな震えがあった。


 部屋には既にウルバイン少佐と兵器局長ラキネル少将がいた。ラキネルはいつものように無精髭を撫でつつ、カイの着席を目だけで確認する。ウルバインは書類に目を落としたままだが、その指先に微かな緊張が見て取れた。


「では、中尉。始めてくれ」


 ウルバインが切り出す。カイは頷き、資料を丁寧に広げる。手記に綴った図解、宝珠の挙動を記した実験記録、そして語意網の簡易構造図。それらはまだ粗削りではあるが、確かな意図と理論の萌芽を示していた。


「──これが、新たに設計した『意味推論機構』による初期動作の記録です」


 カイは落ち着いた声で続ける。


「祖語詠唱を語彙単位ではなく、意味単位で解釈し、予測された意味状態に基づいてマナ誘導を行いました。結果として、物理的接触なしに紙片が浮上する現象が発現しました」


 紙片浮上の瞬間を描いた手描きスケッチをラキネルに渡す。彼は目を細めてそれを凝視し、頷いた。


「なるほど。理屈の上では理解できないことも無いが、これで本当に〝動く〟のか?」


「はい、局長。同様の簡易試験を複数回行いましたが、いずれにおいてもマナ誘導に成功しております」


 ウルバインが眉をひそめる。


「プロセスの説明が抽象的すぎる。再現性は本当に担保されているのか?」


「現象自体の再現は可能です。ただし、意味推論過程そのものは複雑な語意網に基づいており、逐一の演算経路は、私自身にも完全には追えません」


「つまり……ブラックボックスだということか」


 その言葉に、ラキネルが低く笑った。


「少佐、再現できるという事実を優先するべきだ。結果が出せればそれでよい」


「しかし局長、……責任というものがあります。もしこれが暴走すれば、止める手段がないのではと考えます」


 カイは、ふと机上の宝珠に目を落とした。まだ試作段階の制御装置。構造は簡素だが、そこには明確な方向性があった。


「意味がマナを制御する。そこに詠唱者の意図が加われば、マナの流れは変容し、制御される。その過程を言語的契約と仮定しております」


 カイはふたりをまっすぐ見つめた。


「言語的契約……貴官が以前報告したものだな」


 ラキネルが椅子の背にもたれ、手元のメモを閉じる。


「意図が意味となり、意味がマナを誘導する。技術として整えば、これは新しい魔導工学の基盤になりうる」


「整えば、の話です」


 ウルバインの口調は重い。


「現時点では、過程が不透明すぎます。責任の所在が曖昧では、組織として扱えません。私はこの機構の採用には慎重であるべきだと愚考致します」


 カイは言葉を飲み込んだ。自分でも、まだすべてを説明できるわけではない。それでも、リィエンの詠唱から得た確信は揺るがなかった。意味は、ただの記号ではない。


 沈黙が落ちる。


 しばらくして、ラキネルが静かに言った。


「では、幕僚会議にかけよう」


「……よろしいのですか?」


 ウルバインが尋ねた。


「中尉の示した現象は確かに異質だが、結果的に再現性がある。それに、王国の新型詠唱兵器に対抗するには、こうした飛躍が必要だ」


 ラキネルはゆっくり立ち上がり、机上のカップに湯を注ぎながら続けた。


「ここにあるのは、もはや、ただの兵器ではない。意味を扱うというのは、すなわち思想を扱うということになる」


 その言葉に、カイは小さく息を呑んだ。思想──それは、軍の技術開発において最も避けられてきた領域だった。だが、もし言葉がマナを動かすなら、詠唱は単なる道具ではなく、詠唱者の内面そのものを映す鏡となるのかもしれない。


 ウルバインはやや顔を歪めた。


「これは……神に委ねた兵器に成り得るのではありませんか」


 その言葉に、誰も即答はしなかった。


 だが、カイは確信していた。


 意味は、力を持つ。


 そして、それを制御する技術が──今、始まりつつあるのだと。



 会議が終わった後、カイは廊下でラキネルに呼び止められた。廊下はひんやりとしており、足音が静かに響いた。


「中尉。あれは……本当に貴官一人で完成させたのか?」


 カイは少し逡巡してから頷いた。


「はい、局長。基礎は、昔の研究者の文献にありました。そこから私なりに解釈し、祖語資料と照らし合わせて構築しました」


 ラキネルは一歩近づき、低く囁くように言った。


「貴官の示した現象は、我々の常識をひっくり返す可能性がある。それを、貴官はわかっているな?」


「はい」


「ならば……」


 ラキネルは目を細め、笑みを浮かべた。


「貴官の名は、兵器局、いや、帝国陸軍の歴史に刻まれるかもしれんぞ」


 カイは答えず、ただ静かに一礼した。だがその胸には、確かに灯るものがあった。


 言葉が力を持ち、意志が世界を形づくる──その原理が、ようやく形になり始めている。目指すべき未来の端緒は、まだ脆く、頼りない。だが確かに、そこにある。


 カイは最後に、手帳の余白に一文を書き添えた。


『──意味による制御体系の確立こそ、第4世代宝珠への道標となる』

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