第20話 軍部の論理

 王国中央、王都の中心部にそびえる王国軍参謀本部庁舎。厳重に護衛された石造りの正門をくぐり、幾重にも続く長大な廊下の先に、その部屋はあった。


 深紅の絨毯が敷かれた会議室。長大な楕円卓を囲んで、王国軍の主要高官たちが静かに着席している。壁には旧王国時代から伝わる軍旗と紋章が掲げられ、燭台に揺れる炎が仄かな光を投げかけていた。厚いカーテンに遮られた窓の向こうは既に黄昏が訪れ、室内には古色蒼然とした緊張感が充満している。


 参謀本部戦略担当部長は、ゆったりと資料を手繰り寄せると、低く静かな声を放った。


「──では、兵器局より状況報告を」


 重厚な沈黙を割って立ち上がったのは、兵器局開発部長の大佐だった。後方に控えていた若い左官が、無駄のない所作で資料を配布していく。紙の擦れる音が、妙に響いて感じられた。


「新型詠唱兵器開発計画、通称『聖なる鉄槌計画』は、基礎開発フェーズを完了。現在、実証試験用の初期実機が組み上がりつつあります。予定通り、年内には第一段階の実射試験に移行可能と判断しております」


 楕円卓の上を、微かなざわめきが横切った。高官たちが資料を手に取り、眉をひそめたり、目を細めたりしながら目を走らせていく。


「詠唱兵器の核心部分は?」


 情報局長が問うた。眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、慎重に言葉を選ぶような口調だった。


「我々の懸念は、帝国との差別化にある。魔導技術の競争において、彼らは宝珠による『制御式依存型』に偏っている。だが、本質的なマナとの契約──すなわち詠唱言語の深層構造には踏み込めていない」


 開発部長は僅かに頷いた。蝋燭の光が報告書の縁にわずかに反射する。


「まさに、その通りです。帝国の宝珠は高度な工学的制御を実現していますが、根本はあくまでも、マナを単なるエネルギー媒体と捉えた、外的干渉によるマナ誘導です。彼らは『言葉』を起動キーに用いますが、その意味論的構造には無頓着です。我々は言語そのものをマナとの共鳴媒体と位置付け、詠唱構文を最適化することで、宝珠に依存せぬ純粋詠唱系の実現を目指しています」


 隣席の兵站参謀が低く鼻を鳴らした。その声音は、皮肉とも自嘲とも取れる。


「──古代詠唱の復権、というわけだな。だが、帝国の連中は既に民間にまで宝珠技術をばら撒いている。王国民の多くが、安価な帝国製宝珠を生活道具として使っている現状を、諸君はどう見る?」


 一瞬、卓上に重苦しい沈黙が落ちた。燭台の炎が静かに揺れる。


 情報局長は穏やかに応じた。声は柔らかいが、その奥には冷徹な確信が滲んでいた。


「確かに、生活の利便性は向上している。灯火、調理、農業灌漑──帝国製の小型宝珠は優秀だ。しかし、それこそが問題だ。経済的依存が進めば、民意そのものが帝国に融和的に傾く。文化と経済を浸透させる手法は、兵を動かすよりも遥かに巧妙で効果的だ」


 隣の情報局参謀が、低く静かに続ける。


「経済侵略──それが帝国の長期戦略と見做しています。宝珠の流通を通じ、王国の術技体系は徐々に帝国式に標準化されつつある。いずれ軍制にも影響を及ぼす危険があります」


「だが、国民はそれを歓迎しているぞ」


 内政監察官が苦々しげに呟いた。硬い表情が卓上に沈む。


「彼らは帝国製の利便を実感しつつある。生活が豊かになれば、それを拒む理由は薄れる」


「──問題は民間だけではありません」


 経済参謀が静かに口を開く。部屋の空気がさらに重く沈んだ。


「既に幾つかの貴族領から、税収見通しの悪化についての苦情が寄せられています。帝国製宝珠による小規模工房の淘汰が進み、領内の職人の失業が散見されるとのことです。安価な宝珠は便利ではありますが、長期的には産業基盤の空洞化を招いております」


 別の高官も小声で付け加える。


「物価の上昇も始まっています。流通の一部が帝国資本に握られつつあるため、価格統制が困難となりつつあります。これが進めば農村部にも波及し、反動的な動きが広がりかねません」


「──民政の不満が増せば、いずれ貴族院も我々に圧力をかけてくるだろう」


 戦略担当部長が静かに結んだ。


「帝国が実際に侵攻するか否か、それ自体は問題ではない。だが国家基盤が内部から蝕まれていく構造は既に動き始めている。我々は悠長であってはならぬ」


「先制的自衛──つまり、技術基盤の独立維持が鍵だな」


 兵站参謀が呟き、他数名が静かに頷いた。


「その通りだ。『聖なる鉄槌計画』は、単なる新型兵器開発ではない。これは我々の伝統ある理論の証明であり、帝国宝珠体系への対抗軸となるべき存在である。ひいては、これが帝国へ突きつける刃となる」


 兵器局長はゆっくりと座を見渡した。誰もが緊張感の中で静止している。


「ただの旧王国回帰ではない」


 静かな声が低く響いた。


「我々は、古き詠唱言語の本質を科学的に再構成しつつある。詠唱の〝意〟──意味論の力学を介して、マナを純粋制御する手法。その核心は帝国が軽視している部分だ」


 開発部長は一冊の報告書を掲げた。分厚い書類の束が卓上に置かれ、ぱたりと音を立てた。


「……予備実験では、単位発動ごとのマナ効率は既存宝珠の約2.8倍──安定性も良好です。純詠唱型は、これまでの宝珠補助型とは根本構造が異なります」


「しかし、リスクもあります」


 軍務参謀が慎重に付け加えた。掌でグラスの縁をなぞりながら、わずかに唇を引き結ぶ。


「詠唱安定化のための音韻制御は繊細です。言語の抑揚、発声者の素養……少しの誤差が破綻を招く可能性もあります」


「まさにそこにこそ、真の魔導技術の本質があると考えます」


 開発部長が力を込める。蝋燭の光がその瞳に揺らめいた。


「マナとの対話とは、本来、資格ある者のみが成し得る術。大衆向けの均一化された宝珠技術は、魔導の本質を稀釈しつつある。我々は、選ばれた素養と訓練を経た者こそが、この力を正しく扱うべきだと信じます」


 戦略担当部長も深く頷いた。声は低く、しかし強い意思に溢れていた。


「詠唱の真髄は、ただの利便の道具ではない。王国軍部の責務とは、この系統を守り、導くことにある」


「ゆえに、今はまだ実験段階です」


 開発部長が最後に結んだ。


「しかし、成功すれば、これは軍の抑止力体系を抜本的に変えます」


 重厚な沈黙が再び室内を包んだ。燭台の光が、揺らぐ軍旗の影を壁に映し出している。


「帝国は、マナの表層現象に囚われている。我々は本質を追う」


 戦略担当部長の低い言葉に、重々しい頷きが連鎖する。卓上に集う者たちの顔に、冷徹な決意が浮かんでいた。


 部長がゆっくりと立ち上がった。蝋燭の炎がその姿に長い影を伸ばす。その眼差しは、冷ややかに、しかし静謐に研ぎ澄まされていた。


「──参謀本部としては、段階的な技術自立計画の策定を提案する。経済侵略への対抗は、即時の軍事衝突ではなく、長期の戦略競争として迎え撃つべきだ。だが、経済の悪化が先に我が国を蝕む可能性も無視できない。計画の加速を図り、速やかに実行段階へ進める準備を整えるべきだ。」


 重々しく会議は締めくくられた。王国軍部の論理は、冷ややかに、しかし着実に形成されつつあった。

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