タコ公園とコロッケと、雨やみと
西しまこ
雨宿り
冷たいものが頰に触れて、見上げると、パラパラと雨が降って来ていた。
鞄の中の折り畳み傘を探す――ない。そう言えば、数日前に使って、濡れたから乾かしていたんだ。そのまま、鞄にしまうのを忘れていた。いつもなら持っているのに。
雨足が強くなり、私は走り出した。雨宿り出来そうなところはない。雨はどんどん強くなり、冷たい水滴が私を打ちつけた。身体に伝わる冷たい感触を気持ち悪く思いながら、ふと見ると、公園があった。タコの形を模した大きな赤い滑り台があるから、タコ公園とみんなが呼んでいる公園だ。懐かしい。娘のしえみが小さい頃、よく一緒に来た。そう、あの日も――
タコの形の滑り台は私を過去へと誘った。
*
「お母さんなんて、大嫌い!」
しえみはそう言って、家を飛び出した。
五年生になって反抗期が始まり、しえみは些細なことで腹を立て、私の言うことなど聞かなくなっていた。この日は新しい服が欲しいと言うしえみに、この間も買ったばかりでしょ? と言ったら、でもみんなもっと買ってもらっているとか、毎日同じ服では学校に行けないとか言って怒り出したのだ。
私は乱暴に閉められた玄関ドアを見つめて、溜め息をついた。怒ったしえみとはうまく話が出来ない。後を追おうとも思ったけれど、低学年ではないし、そのうち帰ってくるだろうと思って、食事の支度を始めた。
しかし、しえみはなかなか帰ってこなかった。
お帰りの音楽が鳴っても帰ってこない。音楽が鳴り始めると、当たりは急に夕闇が垂れこめて薄暗くなっていく。私はとうとう探しに行くことにした。
近所を歩き回り小学校を見て、それからタコ公園に行った。しえみは小さい頃からこのタコ公園が好きだった。タコ公園の、タコの滑り台のお腹部分のトンネルみたいになっているところに、しえみはいた。膝を抱えて、膝に顔をうずめていた。
「しえみ」
声をかけると、しえみは顔を上げ、私の方を見た。涙が滲んでいた。
「しえみ……帰ろう?」
しえみがほっとしたのが、私には分かった。
「しえみの好きなコロッケ作ったから。一緒に食べよう。ね?」
「……うん」
タコの中から出て来たしえみを、私はぎゅっと抱き締める。
「……ごめんなさい、お母さん」
「お母さんも言い過ぎたわ。……暗くなってきたから、早く帰って、ごはん食べよう」
「ありがとう、お母さん」
数年ぶりに手をつないで家に帰った。
しえみの手は温かく、そしてやわらかだった。
*
私はタコ公園のタコの中で雨やみを待つことにした。
トンネルのようなその中は、砂でざらりとしていてしかもひんやりと冷たかった。そのことが心細さを誘った。雨は世界を薄暗く包み込んで、さみしさが心に滲んでいく。
しえみもこんな気持ちだったのだろうか。
あの日、コロッケをおいしそうに食べてくれた。
しえみはランドセルを背負っていたあの頃から大きくなって、今ではもう大学生だ。全く時のたつのは早い。
ふと気づくと、雨が小雨になっていた。
今なら走ればそんなに濡れないだろう。
私は思い切って、赤いタコのお腹から出ることにした。
今日はコロッケにしよう。まだ家でごはんを食べるあの子のために。あと、どのくらい一緒にごはんを食べることが出来るのだろう。「おいしい!」と言ってくれる顔がみたい。
アスファルトの上の水をぱしゃりと踏んで、私は家へと急いだ。
了
タコ公園とコロッケと、雨やみと 西しまこ @nishi-shima
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