第25話:賢者の書庫、再び~エピローグプロローグ~

 季節は巡り、木々の葉が赤や黄色に色づく秋になった。

 高校生活も、残すところあとわずか。俺と瑠奈は、卒業後の進路や、これからの研究活動について話し合う日々を送っていた。

 そんなある日の放課後、俺たちは久しぶりに、あの場所を訪れていた。

 「賢者の書庫」――今は、「ソフィア記念アーカイブ」と名を変えた、俺たちの始まりの場所だ。


 アーカイブの入口には、エレイザーさんが、その卓越たくえつした創造魔法の技術で再生させた、かつての書庫の美しいレリーフが飾られていた。失われた古代の神々や英雄たちの姿が、まるで生きているかのように精巧に彫り込まれている。それは、この場所が単なる遺跡ではなく、豊かな歴史と知識の聖地であったことを、訪れる人々に静かに物語っていた。

 アーカイブの内部は、以前の荒廃した姿が嘘のように、綺麗に整備されていた。破損した本棚は修復され、散乱していた瓦礫がれきは片付けられ、そして、世界中から集まった若く才能ある研究者たちが、真剣な眼差まなざしで古代の文献の断片を解析している。

 その活気ある様子を、俺と瑠奈は感慨かんがい深げに眺めていた。


「すごいな…俺たちが初めて来た時とは、まるで別の場所みたいだ」

「ええ。エレイザー先生の手腕はさすがね。それに、ここに集う人々の知識への情熱も…」


 瑠奈の言う通り、このアーカイブは、エレイザーさんの指導のもと、古代魔法文明の(公開可能な範囲の)知識を、平和利用のために研究する、世界最先端の研究施設へと生まれ変わりつつあった。

 俺たちが匿名で提供した情報が、こうして新たな知識の探求へと繋がり、そして未来を担うであろう若者たちを育んでいる。その光景は、俺の胸を熱くさせた。


          ◇


 俺たちは、アーカイブの中央ホールへと向かった。

 そこには、特別な防護フィールドが張られたガラスケースの中に、美しい姿のまま機能停止したソフィアさんが、静かに安置されていた。

 まるで、教会の祭壇にまつられた聖女のように、彼女は穏やかな表情で眠っている。その周りには、このアーカイブで学ぶ研究者たちからだろうか、感謝の言葉と共に、たくさんの白い花が手向けられていた。

 彼女が守り抜いた知識の灯火ともしびは、今、確かに多くの人々に受け継がれようとしているのだ。


 俺と瑠奈は、ソフィアさんの眠るガラスケースの前に立ち、静かに手を合わせた。

 心の中で、彼女に語りかける。


(ソフィアさん…見てるか?あんたが守り抜いたこの場所は、こんなにも賑やかになったんだぜ)


 俺がそう報告すると、瑠奈もまた、心の中で彼女に語りかけているようだった。

『あなたの願い、少しずつだけど、ちゃんと形になってきています。エレイザー先生も、あなたの父君の研究を継ぐために、毎日頑張っています。私たちも…もっと頑張らないと、ですね』


 俺たちの言葉は、もちろん彼女には届かない。

 それでも、俺たちは、彼女に今のこの光景を見せてやりたかった。

 あなたの想いは、決して無駄ではなかったのだと、伝えたかったのだ。

 俺たちがそうして、ソフィアさんに思いをせていると、俺の肩の周りを飛び回っていたウィスプが、突然、不思議な行動を取り始めた。


          ◇


 ウィスプは、きらきらと光の粒子を振りまきながら、ソフィアさんが安置されている台座の隅の一点を指し示すかのように、その周りをくるくるとせわしなく回り始めたのだ。

 まるで、「こっちだよ!こっちに何かあるよ!」と、俺たちに必死に訴えかけているかのようだった。


「どうしたんだ、ウィスプ?」


 俺が、ウィスプが示す場所へと近づいてみると、そこは台座の石材と床の、ほんの僅かな隙間だった。

 普段なら、誰も気づかずに通り過ぎてしまうような、本当に些細ささいな場所。

 だが、俺の《万象蒐集》スキルは、その隙間で、何か極めて微弱な、しかし特別な光を放つ「ゴミ」の存在を感知していた。

 それは、以前の戦闘や、その後の混乱の中で、誰にも気づかれずに、ずっとそこにあったのかもしれない。


 俺は、指先でその隙間を探った。

 すると、指先に、何か冷たくて硬い、小さな金属片のようなものが触れた。

 俺はいつものように、それを何気なく拾い上げる。

 それは、親指の爪ほどの大きさしかない、特殊な合金で作られたらしい、一本の小さなネジだった。

 一見すれば、ただのガラクタだ。だが、それに触れた瞬間、俺は、そこからソフィアさんのものとよく似た、懐かしく、そして温かい「気配」を感じ取っていた。


「姫川さん、これ…」


 俺がその小さなネジを瑠奈に見せると、彼女は眉をひそめ、そして《叡智の神眼》を発動させた。

 彼女は、そのネジをあらゆる角度から鑑定し、そして、信じられないといった表情で、息をのんだ。


          ◇


「…嘘…でしょ…?」


 瑠奈の声が、微かに震えていた。

 彼女がここまで驚くのは、あの「世界樹の育成法」の羊皮紙を見つけた時以来かもしれない。


「相馬君、これ…このネジ…!」

「ああ、何か分かるのか?」


 俺が問い返すと、瑠奈は興奮を抑えきれないといった様子で、早口に説明を始めた。


「分かるなんてもんじゃないわ!この構造、この材質…そして、このネジに刻まれた、超微細な魔術回路!これは、ソフィアさんのコアメモリと、彼女のボディに搭載された外部動力システムを物理的に接続するための、特殊な起動シーケンスに関わる…オリジナルの接続ネジよ!」


「き、起動シーケンスの…ネジ?」

「ええ!おそらく、アノニマスとの最初の戦闘の際、彼女が大きなダメージを受けた時に、偶然外れて、この台座の隙間に転がり込んだんだわ!誰も気づかないまま、ずっとここに…!」


 瑠奈の説目に、俺はまだ頭が追いつかない。

 それが、一体何を意味するのか。


「それって…どういうことなんだ…?」


 俺の問いに、瑠奈は、潤んだ瞳で俺の顔をまっすぐに見つめ、そして、震える声で言った。


「もし…もしこのネジが本当にオリジナルで、ソフィアさんのボディの特定の部分…おそらく、コアメモリを格納するハッチのすぐ近くにあるはずの、隠されたポートに正しく接続することができれば…」


 瑠奈は、ゴクリと喉を鳴らし、そして、続けた。


「外部からの安定したエネルギー供給で…彼女が…ソフィアさんが、再び、そのボディで…再起動する可能性が…ゼロではないかもしれないのよ…!」


 その言葉の意味を理解した瞬間、俺の心臓は、大きく、そして力強く跳ね上がった。

 ソフィアさんが…再起動する…?

 あの優しい笑顔に、もう一度会えるかもしれない…?

 俺と瑠奈は、顔を見合わせた。その瞳には、驚きと、信じられないという思いと、そして何よりも、大きな、大きな希望の光が宿っていた。


 物語は、終わりではなかった。

 俺たちの、そしてソフィアさんの未来へと続く、新たな扉が、今、微かに開かれようとしていたのだ。

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