第24話:未来への小さな灯火

 俺たちが最初の研究成果を匿名で世界に提供してから、数週間が経った。

 世界中の科学界やエネルギー業界は、突如として現れた未知の超技術に、賞賛と驚愕、そして戸惑いが入り混じった、大きな熱狂に包まれていた。

 もちろん、その発信源が俺たちであることに気づく者は、誰もいない。


 ある日の放課後、俺と瑠奈は、ラボでの研究を終え、少し遠回りをして、街の公園を散歩していた。

 秋の陽射しは柔らかく、キンモクセイの甘い香りが風に乗って運ばれてくる。ウィスプも、そんな穏やかな空気が気に入ったのか、俺たちの周りを楽 しそうに飛び回っていた。

 ラボでの非日常的な研究と、こうして瑠奈と二人で過ごす何気ない日常。その両方が、今の俺にとってはかけがえのない宝物だった。


「最近、少しだけれど、世界が良い方向へ向かっている気がしない?」


 瑠奈が、ふとそんなことを呟いた。


「俺たちが提供したデータ、世界中の頭のいい人たちが、一生懸命解析してくれてるみたいだからな」

「ええ。紛争地域でのエネルギー問題の解決策として、あの小型核融合炉の理論が真剣に議論され始めたそうよ。環境汚染が深刻な国では、大気浄化システムの開発チームが結成されたとか」


 瑠奈は、スマートフォンで最新のニュースをチェックしながら、少し嬉しそうに報告してくれる。

 俺たちの行動が、世界のどこかで、誰かの未来を少しだけ明るくしているのかもしれない。そう思うと、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 そんなことを話していると、公園の隅にあるベンチで、小さな女の子がしくしくと泣いているのが目に入った。

 歳は、小学校に上がったくらいだろうか。その小さな背中が、とても寂しそうに震えている。


「どうしたんだろう…?」

「…行ってみましょう」


 瑠奈に促され、俺たちはその女の子の元へと近づいていった。


          ◇


「どうしたの?迷子かな?」


 俺が、できるだけ優しい声で話しかけると、女の子は涙で濡れた大きな瞳で、俺のことを見上げた。


「…ううん…。お母さんが…病気でずっと元気ないの…私が作ったお守りも…落としちゃった…」


 女の子は、途切れ途切れに、そう話してくれた。

 彼女の手には、お守りが入っていたであろう、空っぽの小さな巾着袋が握られている。

 その時、俺の《万象蒐集》スキルが、近くの植え込みで微かに光る何かを感知した。

 俺は、女の子に「ちょっと待っててね」と言うと、その植え込みの中を探した。

 すると、そこには、女の子が話していた通り、小さな布で作られた、手作りのお守りが落ちていた。泥で少し汚れてしまっている。

 俺は、そのお守りを拾い上げた。


「これかな?」


 俺がお守りを女の子に見せると、彼女はぱあっと顔を輝かせた。

「うん!それ!わたしの、おまもり!」

 だが、俺は、そのお守りに触れた瞬間、それ以上のものを感じ取っていた。

 《万象蒐集》の力で、俺の脳裏に、このお守りに込められた想いが、鮮明なイメージとして流れ込んできたのだ。

 それは、小さな女の子が、病気の母親の枕元で、一生懸命、一針一針、このお守りを縫っている姿。そして、「お母さんが早く元気になりますように」という、純粋で、切実で、そして何よりも強い“願い”のエネルギー。

 このお守りは、ただの布切れなんかじゃない。彼女の、母親への愛情そのものが結晶化した、特別な“逸品”だった。俺のスキルが反応したのは、その想いの強さゆえだろう。


          ◇


「はい、どうぞ」


 俺は、お守りの泥をそっと払い、女の子に手渡した。

 その時、俺は隣に立つ瑠奈と、そっとアイコンタクトを取った。

 瑠奈は、俺の意図を察したように、静かに、そして力強く頷いた。彼女の蒼い瞳が、俺を信じている、と語っている。


 俺は、女の子に気づかれないように、お守りにそっと手をかざした。

 そして、頭の中で、「水晶の種」から得た膨大な知識の中から、ある一つの理論を思い浮かべる。

 それは、特に副作用がなく、倫理的にも問題の少ない、「植物由来の自然治癒力を高める成分の抽出と活性化に関する、安全な基礎理論」。

 俺は、その理論に基づいた微弱な「治癒の祈り」と、「活性化エネルギー」を、俺のスキルを通して、女の子の純粋な願いのエネルギーを触媒しょくばいとして、このお守りにそっと付与した。


 俺のしたことは、魔法そのものではないかもしれない。

 ただ、少女の願いという「種」に、知識という「水」を少しだけ与えてやった、それだけのことだ。

 俺の手の中のお守りが、一瞬だけ、温かい光をふわりと帯びたのを、俺は見逃さなかった。


「ありがとう、お兄ちゃん!」


 女の子は、お守りをぎゅっと握りしめると、満面の笑みで俺に礼を言い、そして「お母さんのところに持っていく!」と、元気よく走り去っていった。

 俺たちは、その小さな後ろ姿を、ただ黙って見送った。


          ◇


 数日後。

 俺と瑠奈が、再びあの公園を通りかかると、そこには信じられないような光景が広がっていた。

 以前出会った女の子が、元気いっぱいに公園を走り回っている。そして、その傍らのベンチには、とても穏やかな笑顔を浮かべた女性の姿があったのだ。あの子のお母さんだろう。


 女の子は、俺たちに気づくと、母親の手を引いて駆け寄ってきた。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん!ありがとう!あのお守り、お母さんに渡したらね、なんだかすごく元気になったの!お医者さんも、奇跡みたいだってビックリしてたんだよ!」


 少女は、誇らしげにそう言って笑った。

 母親もまた、俺たちに深々と頭を下げた。

「本当に、ありがとうございました。あの子がくれたこのお守りに、何か不思議な力が宿っていたのでしょうか…。あの子の想いが、私に力をくれたのかもしれません」


 俺たちは、「さあ、どうでしょうね」と、曖昧に笑うしかなかった。

 でも、少女と母親のその幸せそうな笑顔が、俺たちにとって、何よりも嬉しい報酬であることは間違いなかった。

 俺たちのしたことは、ほんのささやかなきっかけに過ぎない。本当に奇跡を起こしたのは、母親を想う、少女の純粋な願いの力だったのだろう。

 俺のスキルは、その手助けを、ほんの少しだけしただけだ。


 公園からの帰り道、夕焼けが俺たちの影を長く伸ばしていた。

 瑠奈が、ふと俺の顔を見上げて、優しく微笑んだ。


「あなたのその力は、やっぱり、世界を少しだけ良くするためにあるのね、相馬君」

「俺一人じゃ何もできないよ。姫川さんがいてくれるから、俺の拾った“ゴミ”も、ちゃんと意味のあるものになるんだ。それに、知識の使い方を間違えないように、いつも見ててくれるしな」

「当たり前でしょ。あなたは時々、考えなしに無茶するから、私が見ていないと危なっかしくて仕方ないのよ」


 瑠奈はそう言うと、俺の腕に、自分の腕をそっと絡めてきた。

 俺たちは、自然に手を繋いで、夕焼けの中を歩き出す。ウィスプが、二人の頭上でキラキラと光の軌跡を描き、祝福してくれているかのようだ。

 俺たちが進む道は、決して平坦ではないかもしれない。

 だが、こうして二人で手を取り合い、時には誰かのために、この力を使っていけるのなら。

 その道は、きっと、どこまでも希望に照らされている。俺は、そう確信していた。

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