第22話:書庫からの帰還と世界の反応

 ソフィアさんとの、永遠の別れ。

 俺たちは、深い悲しみと、そして彼女から託された重い使命感を胸に、「禁断の聖域」を後にした。

 機能停止したソフィアさんのボディは、エレイザーさんの手によって、聖域の中央にある祭壇に丁重に安置された。いつか、彼女を再び目覚めさせることができる日が来るまで、彼女はそこで静かに眠り続けるのだろう。


 俺の手の中には、淡い虹色の光を放つ「水晶の種」が、確かな重みと温もりを持って握られている。

 俺と瑠奈、そしてエレイザーさんは、「賢者の書庫」からの脱出を図った。ウィスプも、俺の肩の周りをふわりふわりと漂いながら、静かについてくる。


 ダンジョン管理庁には、エレイザーさんが代表して報告を行った。

 彼は、元「忘却の徒」のリーダーという立場を隠し、ベテランの探索者の一人として振る舞った。


「深層部の調査を完了したが、内部で大規模な崩落が発生し、これ以上の探索は不可能と判断した。危険性は消滅したが、ダンジョンそのものは永久に封鎖すべきだろう」


 その報告は、一部は真実であり、一部は俺たちの秘密を守るための嘘だった。

 管理庁の役人たちは、高難易度ダンジョンが一つクリア(実質的には封鎖)されたことに安堵し、エレイザーさんのその報告を特に疑うこともなく受け入れた。

 こうして、俺たちの「賢者の書庫」での、長く、そして濃密な冒険は、ひとまずの終わりを告げた。

 だが、俺たちの本当の戦いは、ここから始まるのだということを、俺たちは皆、理解していた。


          ◇


 数日後。俺は、自分の部屋で、通帳を前にして三度目の気絶からようやく意識を取り戻したところだった。


「…おい、姫川さん。これ、マジなのか…?ゼロの数、一個多くないか…?」


 俺の声は、自分でも情けないと思うほど震えていた。

 隣で、優雅に紅茶を飲んでいた瑠奈は、平然とした顔で答える。


「ええ、間違いないわ。あなたが持ち帰った、あの“副産物のゴミ”を、エレイザーさんのルートを通じていくつか換金した結果よ。もちろん、その価値が世間に知れ渡って混乱が起きないよう、細心の注意を払って、ね」


 俺たちが「賢者の書庫」から持ち帰った、いくつかの「古代のゴミ」。

 例えば、アノニマスが落とした魔力制御装置の破片。あるいは、書庫で見つけた用途不明の金属塊。それらは、瑠奈の鑑定によれば、現代技術では到底再現不可能な、とんでもないロストテクノロジーの産物だったらしい。


「ちなみに、あの金属塊はオリハルコン以上の強度と魔力伝導率を持つ未知の合金だったわ。ほんの数グラムで、最新鋭の戦闘機が数機買えるくらいの価値があるそうよ」

「戦闘機ぃ!?」

「それから、あの魔力バッテリーの破片。あれ一つで、この都市の電力を数年間は賄えるほどのエネルギーが内包されていることが分かったわ。エネルギー産業がひっくり返るレベルね」


 もう、何が何だか分からない。

 俺は、ただの高校生だったはずだ。それが、ダンジョンでゴミ拾いをしていただけで、いつの間にか世界有数の大富豪(の可能性)になってしまっていた。

 あまりの現実に、俺の金銭感覚は完全に宇宙の彼方へと旅立っていった。


「そ、そんな大金、どうするんだよ…!」

「どうする、と言われても。当面の活動資金にはなるでしょう。それに、ソフィアさんの願いを叶えるためには、これでもまだ足りないくらいかもしれないわ」


 瑠奈はそう言うと、何でもないことのように紅茶を一口飲んだ。

 だが、その瞳の奥が、近所のデパートの高級スイーツコーナーを思い浮かべてキラキラと輝いているのを、俺は見逃さなかった。


          ◇


 俺たちの日常が、金銭感覚だけでひっくり返っている頃、世界もまた、大きな激震に見舞われていた。

 エレイザーさんが、自らの正体を明かし、「忘却の徒」の解体を宣言。そして、組織の幹部数名と共に、国際的な司法機関に自首したのだ。

 それと同時に、彼らは、長年にわたって隠蔽いんぺいしてきた「古代魔法文明の存在を示す証拠の一部」――もちろん、「水晶の種」のような核心的な情報は伏せた上で、差し障りのない範囲で――を、全世界に向けて公表した。


 そのニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡った。

 テレビも、ネットも、その話題で持ちきりだ。

 歴史学会、考古学会、エネルギー産業、そして各国政府に、文字通り激震が走った。

 これまで「神話」や「おとぎ話」として片付けられてきた超古代文明が、実在した可能性が極めて高いと証明されたのだ。世界中の教科書が書き換えられ、新たな研究プロジェクトが次々と立ち上がり、世界は、大混乱と、そして熱狂に包まれていた。


 俺と瑠奈は、その中心に自分たちがいることを自覚しつつも、テレビのニュースを眺めながら、あくまで一介の高校生として、その喧騒けんそうを静観していた。

「すごいことになったな…」

「ええ。でも、これは始まりに過ぎないわ」


 瑠奈の言う通りだ。

 世界が知ったのは、真実のほんの氷山の一角に過ぎない。

 本当の「希望」も、そして本当の「災厄」の可能性も、全ては俺たちの手の中にある「水晶の種」に眠っているのだから。


          ◇


 俺たちの日常は、静かだが、確実に変わり始めていた。

 俺と瑠奈が「賢者の書庫」の(表向きの)攻略者として、その名前が一部で英雄視されるようになった。もちろん、その若さから能力を疑う声や、やっかみの声も少なくない。

 学校に行けば、遠巻きにヒソヒソと噂をされ、家の周りには、時折マスコミらしき車が停まっていることもある。各国の諜報機関のような、胡散臭うさんくさい影がちらついているのも、瑠奈の鑑定で分かっていた。


 だが、俺たちの心は、不思議と落ち着いていた。

 隣には、同じ秘密を共有し、同じ未来を見つめる瑠奈がいる。

 そして、俺の肩の周りでは、マスコットのようにウィスプが楽しげに飛び回っている。

 俺たちは、ソフィアさんとの約束を、決して忘れてはいなかった。


「俺たちは、ただのゴミ拾いと鑑定屋だ。でも、ソフィアさんが託してくれたものを、ちゃんと未来に繋がないとな」


 放課後の教室で、夕焼けに染まる窓の外を眺めながら、俺はそう呟いた。


「ええ。私たちの戦いは、まだ始まったばかりよ、相馬君」


 瑠奈が、隣で力強く頷く。

 その横顔は、以前よりもずっと大人びて、そして美しく見えた。

 高校生でありながら、世界の運命を左右するほどの秘密を抱えてしまった俺たち。

 これから、どんな困難が待ち受けているのだろうか。

 それでも、俺は不思議と、不安よりも、未来への期待の方が大きいのを感じていた。

 瑠奈と、ウィスプと、そして今は亡きソフィアさんの想いと一緒なら、きっと大丈夫だ。

 俺は、そう固く信じていた。

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