第27話 初めての兵器

 鍛冶工房の窓から差し込む陽射しは、まだ穏やかな春の名残を感じさせたが、アルクの額には薄く汗が浮かんでいた。


 火は入っていない。炉の前にはいない。だが、彼の手元では木と金属、そして革紐を組み合わせた異様な構造物が形を成しつつあった。


 「これは……弩?」


 工房の片隅で思案していたドレルが、眉をひそめながら覗き込む。


 「違う。まだ“試作”だよ」


 アルクの答えは簡潔だった。


 その手元には、弓とはまるで異なる構造の武器があった。湾曲した硬木の腕に、ぎりぎりまで張られた弦。その中央にある長方形の溝には、細身の金属矢を差し込むスペースがあり、その下には短く太い引き金が装備されている。


 「強い弓を作ったところで、それを扱える兵は限られる。だったら……誰でも、扱えるものを作るべきだ」


 「誰でも?」


 「……レコナが、泣いてた」


 その言葉に、ドレルは目を瞬かせる。


 「神剣が盗まれたことを、自分のせいだと思ってる。でもさ、あれは彼女だけのせいじゃない。僕が、もっと早く“戦う”ということを理解していれば、防げたかもしれない」


 アルクの手は止まらなかった。角度を微調整し、矢倉のスライド機構を何度も繰り返し試す。


 「これが、“戦う”ということなんだ。相手を“人”と見たとき、剣だけじゃ足りない」


 


* * *


 


 しかし、それでも尚、彼の中にはどこか引っかかるものがあった。


 ――こんな道具を、王国の民が本当に必要とするのか?


 ――自分が作っているのは、本当に“正しい武器”なのか?


 考えすぎるほどに、頭の中は濁っていく。火の入っていない炉のように、どこか冷たい。


 アルクはふらりと立ち上がり、工房を出て王城の奥、静かな回廊を歩いていた。


 兵士も侍女も気づかぬほどの足音。彼の心が重いときほど、歩き方は自然と慎重になる。迷いの気配が足音ににじみ出る。


 そして、無意識のうちに、彼の足は王宮の浴場へと向かっていた。


 「……頭、冷やそう。風呂で」


 


* * *


 


 王宮の浴場――それは、国王インシャッラー60世の趣味が反映された広々とした石造りの湯屋であり、男女で時間帯が分けられているものの、深夜帯や昼の空き時間にはしばしば「準備中」となり、誰もいないことも多い。


 アルクは「今は誰もいないだろう」と勝手に思い込み、服を脱いで中へと足を踏み入れた。


 湯気が立ち込める静かな空間。石張りの床に、低く湯が張られた浴槽。静けさと、ほんのりとした薬草の香りが疲れた思考を癒す。


 「ふぅ……」


 肩まで湯に浸かると、ようやく少しだけ表情が和らいだ。


 「……最初は、狩りに使ってたんだよな、弩。誰でも獲物を仕留められる道具。そう……僕が初めて作ったのも……」


 


 そのときだった。


 「っ、あっ……!?」


 聞き慣れた声。湯気の向こう、脱衣所の方から。慌てたような小さな声が響いた。


 「えっ……!? ちょ、なんでアンタが!?」


 アルクは、ぴくりとも動かない。


 いや、動けなかった。


 今、視界の端に、細くしなやかな肩が一瞬見えた気がした。いつものポニーテールをほどいた長い赤髪。濡れて背に張りついたそれが、一瞬だけ湯気の向こうに浮かぶ。


 「……なんで私が黙って入ろうとした時間に、あんたが先に入ってるわけ……? ていうか、寝てる……の……?」


 レコナの声は怒りを含みつつも、戸惑いと羞恥に揺れていた。


 だが、当のアルクは。


 「……すぅ……」


 完全に熟睡していた。


 湯に浸かって思考を緩めた瞬間、疲労に負けたのだ。


 目を閉じ、穏やかな顔で眠るアルクに、レコナはしばし固まった。


 「……え。気づいてない? まじで……?」


 顔を真っ赤にしながら、彼女は静かに後退し、脱衣所へと消えた。


 「し、死ねる……! 何この羞恥……!」


 背中まで赤くなりながら、彼女はタオルで必死に髪をぬぐう。


 「でも、でも……ちょっとだけ……アルク、……ありがと」


 レコナはタオルを身に巻きつけ、アルクの耳元でそっと囁くと、脱衣所に向かう。アルクが起きる前に退散しなければ。

 


* * *


 


 その夜、アルクは再び工房へと戻った。


 浴場での記憶は、微睡の中にぼやけていた。夢だったのか、現実だったのか。目を覚ましたとき、誰もいなかった。


 だが、妙に胸がどきどきしていた。


 ――いや、今はそれどころじゃない。


 彼は図面を広げ、再び木材と金属を手に取る。


 「次の弩は、もっと軽く。引き金の反応も良くして……矢筒と連動させるには、ここの構造を……」


 レコナは戻ってこなかった。


 だが、彼女が見ていた夢のような時間が、アルクの手を導いていた。


 やがて、夜の工房に、カチリという精密な音が響く。


 ――新たな戦いの音。


 誰でも扱える、誰にでも届く遠距離の牙。


 その名は、連射式クロスボウ。


 王国の未来を守るために、アルクは“狩人”から“兵器職人”へと変わろうとしていた。

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