第11話:奇跡の生還と、溶け始めた氷(と村長の涙腺バグ)

 月見の泉での死闘から、どれほどの時間が経過したのだろうか。

 セシリアは、かすかな温もりと、誰かの呼びかける声で、ゆっくりと意識を取り戻した。

 目を開けると、そこは月明かりに照らされた森の中。傍らには、深手を負いながらも必死に彼女を介抱しようとしているエドガーの姿があった。彼の顔には、安堵と疲労の色が濃く浮かんでいる。


「聖女様! よかった……気がつかれたのですね!」

 エドガーの声はかすれていた。

「エドガーさん……月光草は……?」

 セシリアのか細い問いに、エドガーは力強く頷き、彼女の手に握られていた数本の青白い薬草を示した。

「はい、ここに。聖女様が、命懸けで手に入れてくださった月光草です」


 その言葉に、セシリアはほっと胸を撫で下ろす。しかし、すぐに《クロノ・ブースト》の強烈な反動を思い出し、頭を押さえた。まだズキズキとした痛みが残り、世界が少し歪んで見えるような奇妙な感覚があった。

 そして何より、頭上のティアラ――優の気配がほとんど感じられない。まるで、ただの冷たい金属の塊に戻ってしまったかのように。


(……やっと起動したか……セーフモードだがな。おいセシリア、お前のそのスローモーな喋り方、見てるこっちがイライラするぞ。早く通常モードに戻れ)

 その時、本当にかすかで、ノイズ混じりではあったが、優の念話がセシリアの頭の中に響いた。

「ティアラさん! よかった……!」

 セシリアの目に、安堵の涙が溢れる。


(心配かけやがって、このおっちょこちょいユーザーめ。まぁ、俺もギリギリだったがな。エネルギー残量0.1%からの再起動は、さすがに骨が折れたぜ。しばらくは省エネモードだ。高度な演算処理は期待するなよ)

 優の声は弱々しかったが、いつもの皮肉な口調は健在だった。それが、セシリアにとってはなによりの安心材料だった。


 エドガーに肩を借り、セシリアはふらつく足取りで立ち上がる。

「急いで村へ戻りましょう。ティナちゃんが待っています」

 二人は、夜明け前の薄暗い森を、互いに支え合いながら進み始めた。


 森の入り口には、村長ゴードンと数人の村人が、松明たいまつを手に固唾を飲んで彼らの帰りを待っていた。

 夜通し祈り続けていたのだろう、ゴードンの顔には深い疲労の色が見えたが、セシリアとエドガーの姿を認めるなり、その表情がわずかに和らいだ。

「おお……聖女様! エドガー! 無事であったか!」


 セシリアは、ゴードンに月光草を差し出すと、緊張の糸が完全に切れたのか、その場にへたり込んでしまった。

 ゴードンは、セシリアとエドガーの満身創痍の姿、そして手にされた月光草を見て、事の次第を察したのだろう。彼は何も言わず、ただ深く頷くと、すぐに村の薬師くすしの元へ月光草を届けさせた。


 村の小さな診療所。

 ティナは依然として高い熱にうなされ、苦しげな呼吸を繰り返していた。その小さな手を握り、村の女性(サラとは別の、ティナの母親)が涙ながらに見守っている。

 そこに、薬師くすしが月光草を煎じた薬湯を持って駆け込んできた。

「よし、できたぞ! これをティナちゃんに!」

 村長ゴードンが、そっとティナの上半身を抱き起し、薬師くすしがゆっくりとその薬湯を飲ませる。

 セシリアも、エドガーに支えられながら、祈るような気持ちでその様子を見守っていた。


 薬湯を飲んでしばらくすると、ティナの苦しげだった表情が、少しずつ穏やかになっていくのが分かった。彼女の体から、まるで黒い靄が晴れるように、かすかな瘴気しょうきが抜け出ていく。

 そして、数時間後。窓から朝日が差し込み始めた頃、ティナはゆっくりと、本当にゆっくりと目を開けた。

「……あれ……? お母さん……? それに、聖女様……?」

 か細いながらも、その声は確かにティナのものだった。


「ティナ!」「ティナちゃん!」

 ティナの母親とセシリアが、同時に喜びの声を上げる。

 村中が、ティナの回復という奇跡に、歓喜の渦に包まれた。子供たちは診療所の周りを飛び跳ね、大人たちは涙を流して抱き合った。


 その喧騒の中で、村長ゴードンが、そっとセシリアの前に進み出た。

 彼は、深々と、本当に深く頭を下げた。その肩は、かすかに震えている。

「セシリア殿……いや、聖女様。わしは……聖女というものを、長年誤解しておりました。あなた様のそのお小さいお身体で、あの呪いの森の最奥までおもむき、ティナを……そして、この村を救ってくださった……。このゴードン、生涯、このご恩は忘れませぬ」

 顔を上げたゴードンの目からは、大粒の涙が止めどなく溢れていた。その涙は、彼が長年抱えてきた聖女への不信と、過去のトラウマという固い氷を、ようやく溶かし始めたかのようだった。

「本当に……本当に、ありがとうございました……!」


(お、村長の涙腺バグも、ついに修正されたか? めでたしめでたし、だな。まったく、世話の焼けるジジイだぜ)

 優は、ティアラの内部で、少しだけ温かい気持ちになりながら、いつものように憎まれ口を叩いた。


 セシリアもまた、ゴードンの心からの感謝の言葉に、そしてティナの元気な笑顔に、これまでの苦労が全て報われたような、温かい幸福感に包まれていた。

 彼女は、まだ少しだけ世界がゆっくりと見えるような奇妙な感覚と、頭上のティアラのかすかな温もりを感じながら、静かに微笑んだ。


(ふぅ……今回のデバッグ案件も、なんとか山場は越えたか。だが、《クロノ・ブースト》の負荷は想像以上だった。連続使用は不可能、インターバルも必要。そして何より、セシリア自身の基本スペックを上げないと、この先もっとヤバいバグに遭遇したら詰むぞ……)

 優は、安堵と共に、次なる課題を冷静に分析していた。

(セシリア、よくやった。だが、今回の戦いで課題も見えた。お前、もっと強くなる必要があるぞ。まずは、その方向音痴バグから修正しないとな!)


 ミストラル村に、ようやく本当の意味での夜明けが訪れた。

 しかし、聖女とティアラのデバッグ作業は、まだ道半ばだった。

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