第10話:月光草の守護者と、聖女の覚悟(とティアラの《クロノ・ブースト》初起動!)
バグモンスターの新たな群れが迫り、エドガーは深手を負い、セシリアの魔力も尽きかけていた。まさに絶体絶命。
ティアラ(優)も、連続的な戦闘サポートで演算コアに多大な負荷がかかり、思考処理速度が目に見えて低下していた。
(万策尽きたか……? いや、諦めるな! 何かあるはずだ……!)
優は、先ほどエドガーが拾ったゴードン村長の日誌の切れ端に、最後の望みを託すように意識を集中させた。セシリアにそれを拾わせ、震える手でページをめくらせる。
羊皮紙には、ゴードンの若々しい筆跡で、森の奥深くでの体験が綴られていた。その中で、ひときわ目を引く記述があった。
「……満月の夜、月見の泉へ続く隠された道が現れる。それは古の民が遺した月の聖域への道。泉の水はあらゆる傷を癒やし、そのほとりには、月の女神の涙とも呼ばれる奇跡の薬草が咲き誇るという……」
(月の女神の涙……月光草のことか! そして、隠された道……今日は……)
優は、ティアラのクロノメーター(時計機能)を確認する。そして、天を仰ぐようにセシリアに視線を上向かせた。木々の隙間から見える夜空には、雲一つない満月が煌々と輝いていた。
(これだ! この近くに隠し通路があるはずだ! 《地形データ》と日誌の記述を照合……あった! 北西に三十メートル、巨大な岩の陰だ!)
「エドガーさん! こっちです!」
セシリアは、ティアラからの指示を叫ぶと、エドガーの腕を引き、日誌に記された方向へと走り出す。エドガーも、セシリアの必死の形相と、ティアラからもたらされる情報の的確さを信じ、最後の力を振り絞って彼女に続いた。
追ってくる魔物の群れを背に、二人は巨大な岩陰へとたどり着く。そこには、月光を浴びて初めてその姿を現したかのように、古びた石段が森の奥へと続いていた。
「こ、これだわ……!」
セシリアは息を切らしながらも、希望の光を見出したように声を上げる。
二人は、追っ手を振り切るように石段を駆け上がった。
石段を登りきると、そこは別世界のような空間だった。
頭上には遮るもののない満月が輝き、その清らかな光が、
そして、泉の中央に浮かぶ小さな島には、日誌の記述通り、青白く幻想的な光を放つ数本の薬草――月光草――が、まるで月の女神の涙のように咲き誇っていた。
「あ……! あった……! 月光草よ!」
セシリアは、歓喜の声を上げ、泉へと駆け寄ろうとした。
しかし、その時だった。
静かだった泉の水面が突如として激しく波立ち、中から巨大な影がゆっくりと姿を現した。
それは、水晶のような半透明の鱗に全身を覆われ、月光を浴びて妖しく輝く、美しいが同時に恐ろしい威圧感を放つ巨大な蛇
月光草を守護する、泉のヌシに違いなかった。その力は、これまでのバグモンスターとは比較にならないほど強大であることを、肌で感じ取れた。
エドガーは、深手を負った身体で剣を構え直すが、立っているのがやっとの状態だ。
セシリア一人で、この強大な守護者に立ち向かわなければならない。絶望的な状況だった。
守護者は、長くしなやかな
(くそっ、ここまで来てラスボスかよ! だが、ティナのためにも、ここで諦めるわけにはいかねぇんだ!)
優は、ティアラの内部で全ての演算リソースをかき集める。もう、出し惜しみしている場合ではない。
(セシリア、一瞬だが世界が止まって見えるぞ! 脳が焼き切れるかもしれんが、耐えろ! 聖ティアラ・デバッガー、
その言葉と共に、セシリアの頭上のティアラが、これまでにないほどの激しい光を放った。
セシリアの意識が、まるで時間の流れから切り離されたかのように、極限まで加速していく。
世界が、変わった。
猛スピードで迫っていた守護者の動きが、まるで絵巻物の一場面のようにゆっくりと見える。鋭い牙から
そして、頭の中には、普段の数倍の速度で、しかし驚くほど明瞭に、ティアラ(優)の声が響き渡る。
(右に三ステップ、ブレス回避! 即座にカウンター、杖でヤツの左目を狙え! そこが唯一の物理的弱点だ! 次にヤツは尻尾で薙ぎ払ってくる、ジャンプで回避! 空中で浄化魔法チャージ開始! 着地と同時に最大威力で叩き込め!)
セシリアは、まるで熟練の踊り子が舞うように、あるいは百戦錬磨の戦士が立ち回るように、ティアラの指示通りに超人的な動きを見せた。
おっちょこちょいで不器用だった彼女からは、到底想像もできないような、洗練された精密な戦闘。
守護者の攻撃を紙一重でかわし、的確なカウンターを叩き込み、そして再び距離を取る。その一連の動作は、もはや芸術の域に達していた。
そして、ついに守護者の懐深くへと飛び込むと、セシリアは渾身の力を込めて、浄化の魔法を杖の先端に収束させた。
「聖なる光よ、邪を祓い、魂に安らぎを!」
その声は、もはや震えてはいなかった。
凝縮された聖なる光が、守護者の眉間に叩き込まれる。
ギャァァァァァッ!
守護者は、これまでとは比較にならないほどの苦悶の叫びを上げ、その水晶のような鱗が砕け散り、光の粒子となって霧散していく。
やがて、その巨体は完全に消え去り、月見の泉には再び静寂が戻った。
泉の中央には、変わらず月光草が青白い光を放っている。
「や……やった……」
セシリアは、震える手で月光草を数本摘み取った。
しかし、その直後。《クロノ・ブースト》の効果が完全に切れ、セシリアの身体を激しい反動が襲った。
焼けるような頭痛、全身の激しい倦怠感、そして何よりも、周囲の世界の時間の流れが異常に遅く感じるという、奇妙な知覚の混乱。
「頭が……割れそう……ティアラさん……私……」
立っていることもできず、セシリアはその場に崩れ落ち、意識を失いかけた。
(やったな……セシリア……! お前、最高の……ユーザーだ……!)
優の声も、極度の疲労で途切れ途切れだった。
(システムダウン……エネルギー残量……0.1%……)
セシリアの頭上のティアラもまた、その輝きを急速に失い、まるでただの石ころのようになっていく。
月光だけが、静かに二人を照らしていた。
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