第8話 運び屋の代価
火の熱がまだ衣に残っている。村は朝というより夜の余熱の中に沈み、誰もが疲労と慎重さを肩に載せていた。アドラスは使い古した作業台に腰を据え、カルマンが焦げた義手の外装を拭くのを見つめた。刃は動くが、冷却系のダメージは深い。あれば助かる精密装置、ないと危険な再調整——どちらにせよ、ここにはそれを直せる設備がない。
「直すには外へ出なきゃならん」カルマンが顔をしかめて言う。ネイラの寝息が向こうで静かに波打つ。義手はアドラスの武器であり、同時に身体の一部でもある。放っておけない重みが胸にのしかかる。
メティスは端末の光に肩を寄せ、回収したログ断片を並べていた。解析は進んでいるが、暗号の解読は難航している。深層にアクセスするには高度な解析装置とクリーンな環境、交換部品が必要だ。行き先は一つ、設備の整った惑星――最寄りの整備拠点。そこに行けば部品も工具もある。
だが問題は天候だ。雨季が来ている。港は断続的に閉鎖され、航路は嵐で塞がれ始めている。正規の航路は企業の目につきやすく、密輸や抜け道を使うのはリスクが高い。アドラスは地図を指でなぞりながら、選択肢の少なさを噛みしめた。
「どうする?」カルマンが訊く。マクリルは手元の小型地図に赤い線で可能なルートをなぞり、皆の視線を集める。
そのとき、マクリルが沈んだ声で口を開いた。「ヴァークが使えるかもしれん。昔、こいつに助けられたことがある」
イルサ・ヴァーク。噂では雨季の裏道や通行を知り尽くした運び屋だ。マクリルの顔にわずかな笑みが浮かぶ。
「奴は代価を取る。それも安くはない」
代価とは金か物か、あるいは別のものか。アドラスたちの目的は明確だ。必要なデータを回収し、手がかりを得ること。そのためには手段を選んでいられない。それだけは、アドラスの中で固かった。
夜が深まり、合意は一つの線へ収束しつつあった。補給の不足、義手の不安定、ネイラの安全。短い会議の後、アドラスは決心する。「行く。できるだけ安全に動くにはそいつに頼るしかなさそうだ」
出発の朝、アドラスは荷をまとめ、ネイラを抱いたまま村の広場へ出た。朝の光はまだ薄く、焚き火の灰が冷めかけている。先住民たちはいつもの静けさで集まり、顔には疲労と安堵が混じっていた。カミアキンが一歩前に出て短く会釈する。
「助けに感謝する。またいつでもここに来てくれ」
アドラスはゆっくりと頭を下げた。「こちらも同じだ。協力に感謝している」
カミアキンの目がアドラスを測る。短い沈黙の後、彼は頷いた。「道中、気を付けよ。特にその子からは目を離すな」
「もちろんだ」アドラスはネイラの額に軽く口づけをし、周囲に向き直る。「ここでのことは忘れない」
簡潔な別れが交わされる。先住民の一人が小さな包みを差し出した。中には乾燥した薬草と簡素な包帯が入っている。アドラスはそれを受け取り、目を細めた。
「それで足りる?」とレアが小声で訊く。アドラスは首を振らずに笑った。「足りる。十分だ」
荷車が軋み、道が泥をはねる。村の外れへ歩を進めると、焚き火の煙がゆっくりと空へ溶けていった。村は静かに日常へ戻ろうとしていた。
港へ向かう道すがら、マクリルが小声で言った。「先住民には礼を尽くした。だが俺らの用はデータだ。余計な関与は避けるべきだろう」
「同意だ」アドラスは答え、ネイラを抱き直す。「ここでの協力は必要最小限にすべきだ。これ以上は彼らの負担になるだけだ」
街の外れに着くと、湿った空気が重くのしかかる。市場の喧騒を抜け、裏通りへ入ると、濡れた石畳の向こうに濃いコートの男が一人、星図を抱えて立っている。アドラスは深く息を吸い、歩を速めた。村での別れは済んだ。次は運び屋との交渉だ。
港の裏通りでヴァークはいた。風は湿り、空は鉛色だ。市場の雑踏は人影を隠し、泥と油の匂いが混ざり合う。ヴァークは濡れたコート、手には古い星図を巻いた筒を持っていた。左耳に小さな切り傷、目は冷めているが仕事は早そうだ。
「久しぶりだな、マクリル」ヴァークは低く言い、握手を交わす。挨拶は手短に済み、一行はヴァークの拠点へと入った。埃を被った年代物の武器や弾薬、薬物が積まれた部屋の中央には大きな地図とテーブルがある。雰囲気は用心深く、実務的だ。
マクリルが要件を話すと、ヴァークは缶をテーブルに置き、指で回して見せた。中の小道具は古びた位置座標器だ。
「雨季は地図を食う」ヴァークが言う。「だが地図の裏には道がある。金で開ける門もあるし、誰の目にも留まらない穴だってある。問題は代価だ。俺はただの案内屋じゃない。運ぶ物、受け取る場所、それらを管理する役割がある」
アドラスはネイラを抱いたまま黙って聞く。ヴァークの瞳がちらりとネイラに向き、すぐに逸らされた。運び屋は人を見る。アドラスは鏡のように返す。
「どんな代価だ?」
ヴァークは一本の薄板を差し出した。そこには記号と数字、簡潔な条件が刻まれている。金額、装備の手配、そして最後に一行——「追加荷物の運搬を了承すること」。
場が一度で凍る。「追加荷物」とは何か。ヴァークは言葉を選びながら説明した。
「単純な荷物もある。だが時には修理に必要な希少部品、時には企業の余剰品、時には当局が追う小箱――そういったものも俺は運ぶ。誰がそれを受け取るか、荷物の中身が何なのかは別の話だ。」
マクリルがそっと付け加える。「ヴァークの言う“荷”は全部が黒くない。重要な交換物や修理部品も混じる。だが確かに、企業に繋がるものや当局が追う物もある。リスクはある」
交渉は長引いた。金で済ませるなら高価を求められるが、アドラスたちに余力はない。代わりに提示されたのは「ある箱を一箇所に持って行くこと」。箱の中身は明かされない。
「中身を見せろ」アドラスが要求する。
ヴァークは肩をすくめた。「見せたくない。俺も中身を知らないことがある。中身を知られるのを嫌うやつもいるから、あえて聞かない。そうやって信用を築いた。さぁ、どうする?決めるのはお前たちだ」
沈黙が流れる。アドラスはネイラの額を軽く撫で、考えをまとめる。選択肢は一つに絞られた。マクリルがゆっくり頷く。
「受ける。ただし条件がある。移動は我々の船を使う。お前も船に同乗し、荷物を運び終えたらすぐに安全なルートで案内すること。それが条件だ」
ヴァークは目を細め、皮肉を口元に浮かべたが、やがて硬く頷いた。「分かった。その条件をのもう。準備をしておけ。明日の夜、雨が切れる頃に出る」
条件は組まれ、リスクは残った。ヴァークは星図を取り出し、指でルートをなぞる。窓から差し込む光が紙の端をわずかに光らせる。路は半ば消えかけ、雨季の影が深い。
夜がくる。準備が進み、荷の一部はまとめられる。マクリルはヴァークに小さな封筒を渡し、二人の視線が短く交差する。そこには言葉では測れない負債と恩が巻き込まれている。
最後にアドラスは外に出て、空を仰いだ。雲は低い。遠くで雷が唸る。ネイラを抱いた腕に、責任と不安と、わずかな希望が混ざる。ヴァークの案内で脱出を試みる――それは正しい選択なのか。答えはこれから出る。
港の向こうで、見慣れない黒い艇が一瞬だけ灯りを点けて消えた。アドラスはそれを見て、胸の奥が冷たくなるのを感じた。明日の夜、出航する。
双星の軌跡 ジョン @jyonpei415
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