そばにいて。
緋翠
そばにいて。
ストレートロングの黒髪を風に靡かせながら、一人の少女が防波堤の上に座っていた。
少女の眼前には太陽に反射して燦々と輝く広大な海がある。
鳥の鳴き声が汐織の耳朶に優しく触れた。
後ろに手をつき空を仰ぎ見ると、遙か遠い空の果てに聳え立つソーダ色の淡い入道雲が、蒼穹に溶けていくところだった。
心を奪われながらそれをいつまでも見つめていると、雲の間を一機の飛行機雲が、白い尾を引きながらゆっくりと北上していった。実際は物凄いスピードで飛行しているのだろう。
また、海を見た。
青春の匂いがする。夏の陽射しは私の華奢な体躯を優しく包み込み、煌めく海が心を華やかにさせる。砂浜を歩む足跡が青い波に消え、夏の香りが胸を満たし、永遠の思い出を刻む。もう夏も終わりだと言うのにそんな気分に酔いしれていると急に悲しくなって、気づけば一筋の透明な雫が頬に流れていた。
この防波堤は学校が終わった放課後、帰宅途中にいつも寄っていて、親友の心春と共にアイスを齧りながら夕日を眺めている。そして、日が暮れるまで雑談や恋バナをしている場所だ。
私は寝そべって目を瞑る。
だいぶ暑いが汗が出る気配はいっこうにない。
私は昨日というか連日、どこで何をしていたかが全く記憶に無いのだが、最近はこの防波堤から見える美しい景色を眺めるためだけに、足繁く訪れているということだけは鮮明に覚えている。毎日変容する景色。これが飽きないのだ。明日はどんな雲が見れるのだろうかと私は胸を躍らせていた。
蝉の鳴き声が遠のいてきたと思っていた時「あ!!」と突然声をかけられた。見覚えのある声だった。
慌てて起き上がり、後ろを振り向くと、チャリに乗った親友の心春が瞠目していた。今日はいつもの茶髪ではなく全体的に黒く染めていた。格好は制服姿。
「あ、おはよう心春。今日は早いね。午前中授業だったの?」
おはようと言ってもお昼過ぎなんだけどね。彼女は口を半開きにしながら黙視している。
ここであることに気づく。
今日、学校あったんだ。わからなかった。
私の記憶ではまだ夏休みだ。
もう一度彼女を見ると先刻と変わっていなかった。
「おーい、こはる〜、聞いてるー?」
私は心春の前に近づき手をヒラヒラしてみせた。
すると乗っていた自転車を投げ捨て、物凄い勢いで私のお腹に抱きついてきた。私に触れた途端、肩を震わせる。その上泣き出す始末だ。
私はそっと彼女の頭を撫でる。
普段は温厚で人当たりが良いが、内面は繊細で人一倍傷つきやすい子だ。そして、相手の立場に立って物事を考えられる優しい子でもある。誰よりも感受性が豊かなので共感しやすいのだろう。そんな心春が泣き出したことに驚いたりはしなかった。
「ごめん…うん、そう。今日は午前中で終わった。あとは…」
「あとは…なに?」
「ううん、何でもない」
そう言って俯く。口元は笑っているが目元は笑っていない。
泣き止んでから話を聞くと、今日私が学校に行かなくて寂しかったと教えてくれた。何だ、そんな理由か。明日から行くと伝えるが、心春は何も言わない。靴先をじっと見つめていた。
心春は小学校からの付き合いで私の大切な親友だ。会うのは何日振りだろうか。今年の夏はお揃いの着物を着て、嵐山の竹林と、伏見稲荷神社の千本鳥居を散策したり、黄緑色の夏紅葉を「綺麗だね」と言い合いながら、ぼんやりと眺めていた。彼女は相変わらずのはしゃぎ具合で楽しそうだった。つい一週間前の出来事が遠いように感じ、妙にそわそわする。
ふと懐かしくなり隣に座っている彼女に「夏の京都、また行こうね」と話しかけたら「うん、絶対だよ」と破顔した。
いつもの明るい笑顔が見れて安心する。
「ねぇ、汐織。お腹空かない?」
「うん、空いてきた」
「じゃあさお昼だし、どっか食べに行こうよ」
「いいね!なにたべたい?」
「私は汐織がたべたいものがいい」
「えー、んじゃ、お寿司がいい」
「昼からお寿司!?」
「うん!大好物のネギトロをいっぱい食べる!」
「オッケー!てか、この前みたいに食べすぎて気持ち悪くなんないでよ!」
「大丈夫、安心して」
心春の目の前でとびっきりのサムズアップをかました。
「それ大丈夫じゃないいつものパターン」と心春も苦笑した。
近場にスシローがあったのですぐ向かうことにした。なんせ海の近くだから新鮮な魚をいつでも食べれるというわけだ。
その道中、入道雲を見上げながら私はある違和感を覚えた。
心春との物理的な距離が近く、普段より、いやそれ以上に大人しいこと。いつも寿司屋に行き時は「いっくらぁ〜!いっくらぁ〜!」と軽快なステップをしたのち私の方を振り返って「いくらはいくら?」なんておどけたこと言い出すくせに。
それともう一つ。
先程、心春が乗っていた自転車は、私と彼女が通っている学校とは真反対の方面から来ていたことが判った。
それを聞こうか逡巡していると、隣では心春がスマホでなんかイジってた。多分、LINEだろう。
「何してるの?」と問うと母親にご飯を食べてくると連絡したそうだ。
母親が家にいて、ご飯を作ってくれていたら申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
それが顔に出ていたのか「今日は汐織と一緒にご飯を食べることができて幸せ!」とにこにこの笑顔で言ってくれた。
その言葉が嬉しくて嬉しくて「私も幸せだよ!大好き!」と返答したらまた泣き出した。
二十分程歩いてスシローに到着した。途中自動販売機で「喉乾いてるでしょ、何か飲む?奢るよ」と声を掛けてくれたが、そこまで喉は渇いてなかったので遠慮しておいた。その途端、心春の表情に翳りがさした気がした。素直に買って貰えばよかったなと少し後悔する。店内は平日のせいか空いておりサラリーマンと老夫婦らしき人物がポツポツと座っていた。
「ピーク過ぎたのかな。めっちゃ空いてるね」
私は店内に設置されている時計を見た。
時刻を確認する。それと同時に大きな電波時計の中心には8.30の文字が浮かんでいた。
「もう一時だもんね」
そんな会話をしていると二十代の大学生と思わしき女性からカウンター席にしますか?テーブル席にしますか?と聞かれたから心春が「テーブル席でお願いします」と下を向いて答えた。二秒間の沈黙の後、案内され指定された席へと座った。
「ネギトロ七巻目突入ー!」
「もう、やめとき」
「やだー」
「本当に吐くよっ!」
本気で心配してくれているようだ。しかし私の胃袋はいくらでも入るユニバース。ネギトロなら無限に入る!
「大丈夫だもん」
笑顔でパクパク口に運んでいる私を見て何がおかしいのか、心春は幼い少女にようにくすぐったそうに笑い出した。
「ねぇ、心春」
「なに?」
彼女のつぶらな瞳を一瞥したあと
「あんたのイクラ貰ったァ!」
私がイクラを右手で俊敏に掻っ攫っていくと「あー!私のイクラが…」と少し落ち込んでいたが笑みは益々深まるばかりだ。
「これも貰いっと!」
ちょっとムカついたので空いた左手でもう一貫、計一皿分を掠め取ると今度は本気で哀しそうにしてた。
お腹が膨らんできたらデザートとして、私は苺と北海道みるくのアイスパフェ、心春は焼きマシュマロチョコタルトを注文した。
「ネギトロ食べた後にマシュマロ食べたら更に気持ち悪くなりそう」
「やっぱり気持ち悪くなってんじゃん」
「いやいや全然平気だって!」
「ホントかぁ〜??」
マシュマロをフォークで指して、なら食べてみる?と手を差し出してきた。
「ちょっとお腹痛くなってきた!」
「わ!逃げたぞ!」
沢山食べすぎたせいでお腹が痛くなり、トイレに駆け込もうと席を立った瞬間、廊下を挟んでウニを口に運んでいる老夫婦が箸を止めてじっとこちらを見ていた。
待って、見られた。恥ずかしい。はしゃぎすぎた!みるみる顔が紅潮していくのがわかる。彼女の方を見ると、私とは比べ物にならないくらい赤くなっていた。心春は唇を噛みながら、ぺこぺことお辞儀をしている。私も老夫婦に向かって一礼したが、見向きもされなかった。お代は分割して払おうと提案したが、彼女が全額出すと言い、そそくさとレジの方へ行ってしまった。
スシローを出てから近くのデパートに訪れ、ライラックの形をした淡いピンク色の髪飾りを二セット購入した。お揃いだねと笑い合いながらお昼に偶然出会った防波堤へと戻る。
「そういえば心春の髪、黒くなってる。染めたんだね。似合ってるよ」
「ありがとう。今日はとても大事は日だから染めたの。それに私、制服着てるけど本当は学校には行ってない…」
心春はどんどん語尾が弱くなっていく。でも学校に行ってないのは私もなんとなく分かってた。
「え?どうして?」と問う前に全てを察した。
彼女が今日、一日中泣いていた理由。髪を黒く染めていた理由。様子がおかしかった。もっと早く気づくべきだった。
お互いの視線が交わった。
彼女が泣き出す前に、私は力一杯抱きしめた。
「哀しいことがあったんだね」
すると心春は声をあげて泣き出し、胸の中で哀哭した。
暫くそうしていると彼女のスマホが鳴り出した。お母さんからだそうだ。
「火葬が終わって今から収骨をするから早く来てほしいって連絡がきた」
もうすぐ十五時を回ろうとしている。
「そうなんだ…ちゃんとさよならって言えるといいね」
「うん…」
「ほら、早く行きな」
「……」
「間に合わなくなっちゃうよ!」
「違う…いなくなったのは汐織なの…。汐織はもういないの!五日前、汐織は交通事故で亡くなった!一緒に映画を観た帰り、T字路で別れた後だった。歩道を歩いてたら飲酒運転をしたトラックが背後から猛スピードで汐織に突っ込んだ!私はすぐに病院に駆けつけたけど間に合わなかった……即死だった…」
「……」
「だから今日!私は汐織と最後に会えて最高に幸せだった。ずっと落ち込んでたから…。最初は少し困惑したけどね」
心春は涙を流しながら風が吹いたように笑っていた。一筋の雫が、私の頬を伝った。それは流れ続ける。
彼女の心に空いた哀しさを埋めるようにもう一回、心春を抱きしめた。強く強く。
「私たちが過ごした日々は一生の宝物だよ。だから忘れないでね…」
「絶対に忘れない!忘れるわけない!」
「そうか…嬉しい…。心春は笑顔が可愛いからもしも私がいなくなってからもずっと笑顔でいること!悲しい時こそ笑顔だよ!わかった?」
「うん…」
「ホントかぁ〜?そのままだと彼氏できなくなっちゃうよ」
「うるさい、ほんとだよ…」
身体を離し、私は最後に飛びっきりの笑顔を心春に見せた。
「どうか世界で一番幸せになって。私はいつも心春のそばで見守ってるから―」
その刹那、視界がぼやけ意識が遠のいていく。心春が何か言っているが、それはもう聞き取れない。
入道雲が犇めき合う夏の午後、並行して飛んでいる飛行機雲が、西の空に見えた気がした。
そばにいて。 緋翠 @Shirahanada
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