第10話:古時計の「秒読み」と失われた日常

カフェ「ルナ・マーレ」の朝は、昨日までとは違う、張り詰めた空気に包まれていた。


タカハシ部長の言葉――「君たちは『時間』が最も大きく『歪んだ』地点にいた者たち。そして、その『歪み』を修正するために、この場所に『招かれた』のだ」――が、ハルカたちの脳内に重く響いている。


壁の古時計は、相変わらず停止したままだが、その真鍮の表面には、新たな奇妙な紋様が薄く浮かび上がっていた。ハルカの心のBGMは、何かのカウントダウンが始まったかのように、微かな緊張感を伴って鳴り響いている。


ミサキは、タカハシ部長が語った「時間の歪み」について、スマホを睨みつけていた。しかし、表示されるのは相変わらず「通信エラー」の文字。


ユウトは、店の隅で、新しい「時間修正装置」の構想を練っていた。

彼の心のBGMは、新たな課題に興奮しているようだが、その電子音には、どこか解決への焦りも混じっている。


「ねえ、部長の話ってさ、結局、俺らが元いた世界に戻るには、このカフェの『時間』とやらを直さないといけないってこと?」


ユウトが、不安げにタカハシ部長に問いかけた。部長は、いつもの奥の席でコーヒーを啜っている。


「その通りだ。君たちの『バグ』は、その『歪み』によって生じたもの。そして、それを修正するための『鍵』でもある」


タカハシ部長の声は、いつも通り穏やかだが、その瞳の奥には、彼らにしか分からないであろう深い知識と、かすかな期待が宿っていた。

彼の心のBGMは、静かなクラシック音楽を奏でながらも、その旋律には、「重要な節目」を示すかのような重々しさが加わっている。


その瞬間、店内の空気が、急激に冷え込んだ。壁の古時計が、チクタク、チクタク、と、異常な速さで秒針を刻み始めた。その乾いた音が、カフェ全体に響き渡る。


「うわっ! 時計が勝手に動き出した!?」


ユウトが驚いて叫んだ。彼の心のBGMが、警告音のように激しく乱れる。


ミサキは、データが異常に高速で流れ込むかのように、眉間に深い皺を寄せた。


「これは……時間の加速!? いや、違う。時間感覚のバグが、物理的に時計に影響を与えているわ!」


ミサキの心のBGMが、高速で現象を解析し始める。


ハルカの脳内では、体感時間が急激に早くなったり、遅くなったりするような奇妙な感覚に襲われる。


「まるで、世界が早送りになったり、スローモーションになったりしてるみたい……!」


ハルカが、こめかみを押さえながら呟いた。彼女の心のBGMも、その時間感覚のズレに呼応するように、不安定に揺らいでいる。


リョウが、静かに古時計を見つめていた。

彼の心のBGMは、冷静な分析音の中に、「既知のパターン」を見出したかのような確信が混ざっている。


「この現象は、我々の『時間感覚のズレ』の顕在化……。特に、ハルカの共感力、ユウトの忘却、ミサキの情報過多、ナツミの多次元認識。それぞれの『バグ』が、この時間の『歪み』に共鳴している」


リョウの言葉が響く中、古時計の秒針はさらに加速し、文字盤に浮かび上がった奇妙な紋様が、複雑な数式へと変化していく。その数式は、彼らの「心のBGM」の周波数や、カフェの空間の歪みを示しているようだった。


ナツミが、心配そうに古時計を見つめていた。

彼女の心のBGMは、優しいシナモンの香りを保ちながらも、時を失った者たちへの哀しみが混ざっている。


「このままだと、私たちの『時間』が完全に壊れてしまうわ! もしかしたら、私たち自身の記憶も……!」


ミサキが焦ったように叫んだ。

古時計の秒針は、もはや目で追えないほどの速さで回転し、カチカチという音は、まるで爆音のようにカフェ全体を震わせる。


「みんな、この時計の音を止めるんだ! この音、私たちみんなの『時間感覚のズレ』を増幅させてる!」


ハルカが、必死に声を張り上げた。

彼女は、この状況を打開するためには、全員の「バグ」を「個性」として活かすしかないことを理解していた。


「ミサキ、その数式、解析できる!?」


ハルカはミサキに問いかけた。

ミサキは、古時計の文字盤に映し出された数式を、瞬時に読み取り始める。

彼女の心のBGMは、再び高速解析音を奏で、膨大な情報の中から「解」を導き出そうとする。


「ユウト、あんたのその奇妙な発想で、この『時間の加速』を抑える方法を見つけて!」


ユウトが目を輝かせた。

彼の心のBGMは、混じり合ったノイズの中から、何か新しい「理論」を組み立てようとするかのように、不規則だが創造的なリズムを刻み始める。彼は、近くにあった古い蓄音機と、なぜか持っていたコイルを組み合わせようとしていた。


「リョウくん、その数式と、私たちの『バグ』の関係性を解析して! どのバグが、どう影響してるのかを!」


リョウは、既に数式と彼らの心のBGMの波形を照合し始めていた。

彼の心のBGMは、冷静な分析音の中に、「確信」が混ざっている。


数分後、ミサキが、目を細めて数式を解読した。

「……この数式は、私たちの『心のBGM』の特定の周波数を調整することで、『時間の歪み』を安定させられるって示してるわ!」


ユウトは、古時計から伸びる配線に、蓄音機とコイルを繋ぎ合わせた奇妙な装置を接続した。彼の心のBGMは、発明の成功を予感させる高揚感に満ちている。


「よし! この蓄音機から、みんなの心のBGMを安定させる『逆位相の音波』を出してやるぜ!」


ユウトが装置のスイッチを入れると、蓄音機から、耳には聞こえないが、カフェ全体を包み込むような微細な振動が放たれた。それは、それぞれの心のBGMに干渉し、乱れていた音の波を穏やかに整えていく。


リョウが、古時計の数式と、それぞれの心のBGMの波形を見比べながら、正確な指示を出す。

「ハルカ、君のBGMの振幅を3.14調整。ユウト、君のBGMの周波数を……」


ハルカたちは、リョウの指示に従い、自分の心のBGMを意識的に調整しようと試みた。それは、これまで無意識だった「バグ」を、意図的にコントロールする初めての試みだった。


すると、古時計の秒針の回転が、ゆっくりと、しかし確実に減速し始めた。チクタクという爆音は、徐々に普通の秒針の音に戻り、やがて、ピタリと動きを止めた。文字盤の数式も消え、ただ奇妙な紋様だけが残った。


カフェの「時間」は、再び静けさを取り戻した。体感時間のズレも収まり、店内を包んでいた妙な冷気も消え去った。


「やった……止まった……!」


ハルカは、安堵の息を吐いた。彼女の心のBGMは、落ち着きを取り戻し、以前よりも自身の「バグ」を制御できるようになった確かな手応えを感じさせていた。


ミサキは、疲れたように額の汗を拭った。

「まさか、自分たちの感情が、こんな形で物理現象に影響するなんてね……」


ユウトは、得意げに蓄音機を抱えていた。

「俺の発明、天才すぎだろ! これで、俺たちは『時間』をも操れるようになったってことか!?」


リョウは、無言で古時計を見つめていた。

彼の心のBGMは、冷静な分析音の中に、新たな「可能性」を見出した確信が混ざっていた。


ナツミは、カウンターの奥で、再び穏やかな笑顔を見せていた。

彼女の背後に人影はなかったが、ハルカには、彼女の心のBGMに、「失われた時間」への微かな哀惜が残っているように聞こえた。


奥の席で静かに事態を見守っていたタカハシ部長は、コーヒーカップを静かに置いた。

彼の心のBGMは、変わらぬクラシック音楽だったが、その旋律には、「新たな一歩」への静かな期待が込められているようだった。


「……良い調整だった。これで、君たちは、この世界の『時間』と、より深く接続された。次なる『歪み』は、より複雑な形で現れるだろう。そして、それは、君たち自身の『失われた日常』に関わることになる」


彼の言葉は、彼らに向けられたものか、それとも自分自身に語りかけているのか、定かではなかった。


そして、その視線は、カフェの壁に、新たに薄く浮かび上がった、彼らが「ここにいる前の、日常の断片」を示唆するような、ぼんやりとした映像に向けられていた。


(つづく)

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